金木犀の小道とビスクドール

 庭の金木犀が香る頃、思い出す光景がある—。


 子どもの頃、引っ越しを何度か経験している私は金木犀に囲われた家で五年ほど暮らしていたことがあった。つまり、家の庭の垣根がすべて金木犀だったのだ。当時、父が勤めていた会社から提供された社宅で15件ほど家があって、すべての家が金木犀で区画されていた。贅沢なことに家と家の間に小道があったので、秋になって金木犀が香る頃になると、その小道が橙色の絨毯を敷き詰めたように変化して、とても綺麗だった。その家に引っ越してきて初めて迎えた秋に当時まだ小学三年生だった私は学校帰りに甘く香る金木犀の小花が小道に敷き詰められた光景にとても感動して、家に帰り着くと母や妹に報告した記憶がある。その時、母に花の名前は金木犀だと教えてもらった。


 小学校が近く、社宅内の子ども会で友人もでき、すぐに仲良くなったし、転入したクラスにも私も妹もそれぞれ溶け込み、学校生活に馴染んでいったが、引っ越した当初は母は私たちが学校から帰ってくるまで荷物の整理などに追われていたのではないかと今になって思う。ダンボール箱から荷物を出したり、私なりに手伝ったつもりだったが、今でも「引っ越しはほんとうに大変だったわ」と時々母は私に零す。結婚後、引っ越し後の細かな整理の大変さが身に染みてわかったが、その頃はその大変さをあまりよくわかっていなかった一方で、いろいろ大変そうだから大人にはなりたくないなんてことを考える子どもだった。その家の庭はけっこう広く、母はやがて家庭菜園でキュウリやナスやミニトマトを育てたり、花を植えて、園芸を楽しむようになった。その一方でその頃、ピアノを習っていた私と妹に新しいピアノの先生をすぐに見つけてきてくれたり、習字教室やスイミング教室にも通わせてくれて、教育熱心な母の規律に守られて日常生活が送れていたとつくづく思う。その当時の私たちの家族の日常をピアノの上に飾ってあったビスクドールは静かに見守っていてくれていたように思う。白いウエディングドレス姿のビスクドールの顔は明るく希望に満ちた表情で微笑んでいた。そのビスクドールにはオルゴールが付いていて、ネジを回すとベートーヴェンの「エリーゼのために」が流れてきて、学校から帰って疲れている時など、私に「ピアノの練習をしなさい」と凛々と威嚇するような気品があった。その頃私と妹が着ていた洋服は裁縫好きの母のお手製が多く、特にピアノの発表会ではお手製のドレスを作ってくれたので、嬉しかった。学芸会の衣装などもよく作ってくれて、母はとても器用だなと子どもながらに尊敬していた。白いウエディングドレス姿のビスクドールは裁縫好きの母に明るいイメージデザインを投影していたようにも思う。


 家の引き出しの中にはその頃着ていた洋服はもうないが、記憶の引き出しに詰まっている遠い日の思い出はふとした瞬間に鮮やかに心の中に蘇る—。何気無い物や言葉がそんな風に過去の景色の中で思い出とともに静かに記憶に刻まれ、家族や親しい人との心の絆に光を灯す—。その光をこれからも追い続けられたらと思いながら、私は綴ることにこだわっているのかもしれない—。


静々と

零れた

金木犀

前世と

来世に


五行歌集『詩的空間—果てなき思いの源泉』〜緑の万華鏡より抜粋


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