記憶の森での省察

 レトロゲームというと先ず思い浮かぶのはトランプ。子どもの頃から高校時代にかけてけっこう、楽しみました。誰もが手軽に遊べるトランプですが、その発祥については諸説あり、今のようなプレイングカードとしてのトランプの原型は14世紀頃ヨーロッパに広まり、その後、絵柄や絵札のデザイン、モデルなど細かな変遷を経てアメリカへと広まり、19世紀末、明治時代にアメリカ、イギリス、ベルギーから日本に伝わったと言われているそうです。小、中学時代にかけてよく遊んだのが七並べ、ババ抜き、神経衰弱、ダウト、ドボン、戦争、セブンブリッジなど。高校時代には大富豪、ナポレオンなどを楽しみました。その頃、コンピューターゲームはインベーダーゲームやパックマンなどがアーケードゲームとしてゲームセンターや喫茶店などに設置されたりもしていたようですが、私はよく知らなかったし、そういったゲームで遊ぶことは何かお金の無駄使いのような気がして、遠目に見ることはあってもほとんど近寄ることはなかったです。でも、パチンコが得意な男の先輩が嵌ったとか、野球部の人たちが得意げに数を競い合っているのを噂に聞いたことはありました。


 さて、小学生の頃は母のお手製の洋服を着ていた私ですが、中学生になると制服を着るようになり、母も私が中三の頃には仕事を始めたりなど、何かと忙しくなり、お手製の洋服まで手が回らなくなりました。しかも中二の時期と中三の時期と父の転勤のため2回も引っ越し、転校したため、それに応じて制服も変わった影響で、普段着もあまり買ってもらえず、ジャージで済まされ、小学生の頃とは打って変わり、中学時代は洋服のことでとても不自由な思いをしました。でも制服は高いし、妹の分もあったので、節約家の母としては引っ越しの片付け物に追われながら、私と妹の制服をはじめとした教科書等の学用品を整え、高校受験の配慮などを工面するだけで精一杯だったのではないかと今更ながら思ったりもします。その後、進学した高校が私服だったので、合格祝いにお小遣いをもらって初めて一人で洋服を買いに行った時、とても嬉しかったです。私はその頃は可愛い系の洋服で揃えたのですが、なんだか大人になった気分でドキドキしました。その頃から自分の洋服は自分で買うようになりました。2年後、妹も私と同じ高校に進学し、合格祝いにお小遣いをもらって初めて一人で洋服を買いに行きました。そして、意気揚々と買ってきた洋服を披露した時に小さな事件が起こりました。妹はカッコイイ洋服を選んで買ってきたのですが、その中に背中に英語表記でバックプリントされているパーカーがあって、母がそれを見て悪趣味だと突然怒り出し、あっという間にそのパーカーをハサミで切り刻んでしまったのです。妹はカッコイイと思って気に入って買ってきただけだったので、お気に入りの新品のパーカーが切り刻まれて泣いてましたし、その時は私も母の剣幕にビックリして側で呆然としていましたが、今更ながら想像すると、母の父にあたる祖父は軍医として出征し、フィリピンのレイテ島で戦死していて、そのことが幼少期の母の心に悲しい影を落としているので、パーカーにバックプリントされていた英語表記が何か悲しい記憶とリンクしてフラッシュバックしたことがあったのかもしれないと推察します。終戦後、日本が敗戦国としてアメリカを主体とする連合国の占領下にあった時代を生きてきた世代の方々は平和な時代を生きる私たちには計り知れないような苦労があったことを父母からも聞いたことがありますし、ドラマなどでも見かけますが、当時、生きていた人の痛みは平和な時代を生きる私たちには想像を絶する心の痛みだったり、苦労や悲しみなのだと思います。パーカーはすぐに切り刻まれてしまったので、英語表記で何が綴られていたかはわかりません。もしかすると意味もわからず反射的な行動だったのかもしれませんが、戦死した祖父のことで母はよく涙を浮かべるので、幼少の頃の悲しい記憶として心に深く刻まれていることを私は知っています。しかも、バックプリントというと、後ろ指さされるイメージで幼少の母の悲しい記憶と繋がったような気がします。母は私と妹をとても大切に育ててくれていますし、母親としての愛情ゆえの剣幕だったと思うのですが、妹としては気に入って買ってきたパーカーを切り刻まれて悲しかったし、ビックリしたので、その時のことはトラウマになったと言ってます。(ちなみに無地のパーカーは特に問題はなかったし、新品を切り刻まれたのはその時だけです)かくいう私も別件で思いもかけない母の言動でトラウマになったことはあります。時代の変遷に応じて価値観や言葉の解釈に違いやギャップが生じたり、親子でも意見が食い違ったり、譲り合えないことは時にあります。


 そんなことでふと立ち止まったり、記憶の森で迷子のような気分で考えた事が過去の省察として意識に働きかけて、日常において影響することもあり、言葉には過去の記憶に瞬時に働きかけることで生じる魔法のような不思議な作用があると思うし、文章として記録することで過去の記憶は外の世界へと意味をもって目覚め、考える力や意志に影響を及ぼすように思います。


遠い日の

石楠花に

窓を開けてくれた

父の笑顔が重なって

ほんわかまぶしい

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