北もわからない
「そういや結局シャンプーと付き合うの、浩然は?」
アルミ鍋で作ったうどんをすすりながら、洗濯物を干し終えたところの浩然に話しかけた。
浩然は驚いた表情を一瞬すると、ぽわっと赤く頬を染めた。
「…付き合えないって」
「なんで?」
「別にシャンプーはなんとも思ってないだろうし…」
こりゃまたすげー自信のない奴だよ。
「何なに? シャンプーちゃんとどうしたの?」
にやっと笑いながら、台所の片付けをしていた希が近づいてくる。
「あ~、こいつらが抱き合ってたって話だよ」
「ほ!? いつの間に!」
おれは寝て食べてすっきりした頭で希におれの見た風景を話した。浩然は熟していくようにどんどん赤くなっていく。もはや話さないでみたいなことも言わない無抵抗状態なので、相当まいっているようだ。はは、おもしれー。
「は~、そんなことがねえ…」
「でも教えてくれないの、二人とも何があって抱き合ってたのかなんて」
「シャンプーちゃん泣かせたのにぃ?」
「もう勘弁して…」
「シャンプーちゃん、恰好は確かにアレだけど、顔丸くて、眼が大きくて、磨けばめっちゃ可愛くなりそうだよね、愛想もいいし」
確かに磨けばかわいくなりそうだ。
まあ、あんまり冷やかしすぎると、今度は浩然からの逆襲があるかもしれないし、この辺にしておくか。
それにしても。何を話していたかはわからないけど、シャンプーの優し気なあの表情はなんとなく恋愛っぽくなかったんだよな…。う~ん、母性とかそういうタイプのほうが近いっていうか。
何があったかわかんねーけど、たぶん浩然のセンシティブな話でも聞いたんじゃないだろうか。そりゃ浩然はさ、中国人なのに中国語しゃべれないし、日本人に考え方もかなり近いんだからいろいろ抱えてんだろうな、とは思っていた。アイデンティティってやつを。そのことを話してたんじゃないだろうか。
だからあんまり触れない方がいいとは思っていたけど、さすがに男女の友達同士が抱き合ってるところに遭遇するという分の悪さを希ぐらい言ってもいいだろう。
「…ちょっとおれ、果物買って来る」
そう言って浩然は外へ出かけようとバックをひっつかんでドアに向っていた。
「え! いらねーよ、もう果物は」
「じゃあ水」
「水もいらねーよ」
「あ、じゃあ、食後のゼリーか何か買って来るわ!」
希は可笑しそうにけらけら笑い出し、
「浩然、
と何やら中国語で言った。浩然はそれを聞くと、より一層かあっと赤くなり、そのまま外へ出て行った。
パタンとドアが閉まった。
「なあ、今希が言ったの何て意味?」
「え? あ~
「たぶん」
「“北も分からなくなったのかよ”っていう意味」
「どーいう意味? 何? キタってあの方角の北?」
「ああ、ええと…」
希が口ごもりし始めた。そうだ、希はなぜかはよく解らないけど、たぶん説明するのが苦手のようなのだ。…しまったな。聞き出すには付き合うしかなさそうだな。
「うんと、日本語で似たような言葉があるかわかんないけど…。あのさ、優馬って今北がどっちかわかる?」
「え、北の方角? スマホだめ?」
「スマホで調べるのはだめ。でも他のアイテムなら使ってもいいよ」
まあスマートフォンはチートアイテムすぎるか…。
えーと…、確か…。よろよろとベッドに向う。
「何探してるの?」
「時計」
「時計ならそこに」
希が机に置いてあるG-SHOCKを指さす。
「あ、あれじゃだめ、デジタル腕時計だから」
G-SHOCKでも調べられるけど、かなり面倒臭いやり方だからなあ。
「? アナログの時計?」
「そう」
目覚まし時計を持ち上げ、短針を太陽の方角に向ける。『12』の数字と短針のちょうど真ん中の方角を指さした。てことは、逆だから。
「こっち」
短針と『12』の間はちょうど窓側で南だった。ということは逆のドア側が北だということだ。
「えーと…」
希がスマートフォンを取り出し、コンパスを立ち上げて確認する。
「おお~、ご名答。よく知ってるね」
「山岳地域のフィールドワークに行った時に習った」
「でも、北京人なら北はすぐわかるよ、何も使わなくてもね」
希は急にビッとおれに指をさしてきた。
「北京人? 原始人のこと?」
「ちがう」
あ、それは北京原人。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます