普通がわからない
気が付くと、部屋中が醤油と鰹のいい香りがしていた。体を起こすと、首元に塗った謎水の薬草っぽい匂いがむわんと立ち上ってきた。ただ少しだけ頭のだるさがなくなって、体が軽くなった気がした。
「これー、なべ焼きうどんね~」
「なまこは?」
「あ、あれね。あんなの戻すだけで7日くらいかかるから」
「どんだけかかるんだよ…? つうことはつまり…」
「ただ単に弱った優馬をおちょくりたかっただけ」
「希~…」
「まあ気にするなよ、希はいつもこんなんだよ」
と浩然は言った。と言いつつも、浩然も増長しておれの反応を見て遊んでたくせに。
「浩然だって嘘ついたじゃん」
「ああ、あれ? 正確に言うと干しなまこを食べる文化はおれは知らないってだけ」
「? どういうこと」
「おれは黒竜江省の田舎出身、海がない、ロシアに近いところ出身ね?」
「うんうん」
「希の…お父さん? お母さんは南出身なんだよね?」
「そうそう。僕の母さんは上海人なんだよ」
「南側で海がある地域だから、おれとは文化圏が違うの。だからそっちのほうではそういう文化でも“ふうん”って感じ」
「同じ中国人同士でも知らないことあるんだな」
とおれが言った後、しまったと思った。希は国籍的には日本人だった。センシティブな話題に触れたかとドキドキしたが、希は平然とした様子で、
「あるよ、ぜんぜん。北海道や沖縄の文化が違って、知らないことあるじゃん。それと大差ないよ」
と言った。やべ…謝んなきゃと思ったが、あんまり気にもしてなさそうだし、もしかしたら聞き逃しているかもなんて余計なことを考えていたら謝るチャンスを失った。
「まあそもそも日本の家庭の普通ってわかんないんだよね」
「どういうこと?」
「表面的には理解しているつもりでもさ、たまに出てくるんだよ、知らないこと」
「うんうん。僕は日本の家庭料理がわからないんだよね」
「日本の家庭料理? じゃあ普段は中華なの?」
「中華でもない」
「じゃあ何食べてるの?」
「日本料理とも、中国料理でもない料理」
「え?」
「どちらでもあるというかどちらでもないというか、そういう料理だよ」
なにそれは?
「おれんちは中華8割、日本食もどき1割、謎料理1割ってところかな」
浩然が呑気に答える。謎料理1割…。
「さっきも言ってたじゃん、熱出したら水飲め、果物食えっていう教え。あれ考えてみたけど、もしかしたら中国人特有かもしれない」
「…日本人だって言わなくはないけどさ」
量が異常に多いんだよな…、うれしいんだけどね。
たまにこうなのだ。浩然たちと一緒にいると、彼らはおれにとってはかなり不思議なことを言うのだ。二人とも見た目は日本人と大差がない。しかし、ふとした瞬間、思いがけない反応や習慣、考え方を見せてくることがある。
おれはシャンプーとはこういう時の反応が全く違う。シャンプーは違いを楽しんでる。けれどおれはおっかなびっくりしているところがある。一見するとそうは見えないだろうけど、悟られないように必死だ。
ばれてないとは思っているが、浩然は妙に人を観察しているところがある。だからおれがびびってることも、おれの秘密も、もしかしたら全部知っているのかもしれない。
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