棘を刺す

 浩然たちは回答を回収し、本部兼休憩所に戻る。雪梅シュエメイと山西が話し込んでいる。

 覗き込むと3級の問題用紙だった。

「…余った問題用紙を渡されたから解いたんだって」

のぞむ浩然ハオランにボソッと言った。

 山西が嬉々として赤ペンを走らせる。

「まだまだやね」

「すみません…」

「この前短期留学行ってきたんでしょ?」

「はい、半年間上海へ」

「まだ検定受けてないの?」

「はい、まだです」

「忘れちゃう前に早く受けないと」

 雪梅の顔がパッと赤くなった。そのやりとりを見ていて、浩然はスッと背筋が冷たくなった。

 それはまるで忘れることが前提のような口ぶりだった。どのくらい本気で雪梅が勉強しているのかは浩然には解らない。ただ真面目に勉強しているのなら、山西は残酷なことを言っている気がした。

 隣の希は眼をかっと開いていた。

 浩然は黙って希の肩に手を置いた。希が眼を見開いたまま、浩然を見る。浩然は首を横に振り、希をなだめた。



 会場の整理し終え、浩然たちは無事にバイト代1万円入った茶封筒を手に入れた。浩然にとって初給料である。先生たちはまだ解答用紙を整理し、送る準備をしていた。帰り際に希が山西にあいさつした。

「山西先生はいつ留学されたんですか?」

「大学院生の時にだけど?」

「ふーん、じゃあ先生の中国語はもう忘れちゃってるんじゃないですか」

「なっ、そんなわけないでしょ」

「どうしてですか? 留学してから時間たてばどんどん忘れるんでしょ? ついこの間留学していた雪梅が忘れるなら、先生はもっと忘れてるでしょ」

「…あんた何を言っているの?」

 雪梅が飛んできた。手を希の頭に当て、ぐっと力を入れ頭を下げさせた。雪梅も一緒に頭を下げる。

「申し訳ありません! わたしからちゃんと言っておきますから」

 山西は明らかにまだ怒っていたが、他の先生たちがいる手前それ以上は怒らなかった。



 3人は会場だった校舎を後にした。雪梅も希も終始無言だったが、大学の校門を出た瞬間、

「ふっ、ハハハハハハハハハハッ!!!!」

 一体、なんだ? 浩然は笑う二人に唖然とした。

「いや最高よ、あんたは」

 雪梅は希の頭をくしゃくしゃした。希もくすぐったそうに笑う。

「だってさあ、あんまりだったんだもん。雪梅があんなに頑張って勉強しているのにあんな風に言うなんて」

「まあ希が話したからわたしもすっきりしたけど。でも話せるわって反撃してきたらどうするつもりだったのよ?」

「ん? もちろん中国語で返すけど?」

「さすが!」

「え、希くん、中国語しゃべれるの?」

「うん、僕は日本国籍だけど、ハーフなんだよ。それに中国でも暮らしてたから」

「へえ…バイリンガルなんだ、すげえ…」

 それを聞くと希は困った顔をした。

「…そんないいものじゃないよ、僕のは」

 どういうこと? バイリンガルで何がそんなによくないの? 

 というかこの希ってなんなんだ? さっきまで人見知りで話さなかったのに、急にケンカ吹っかけたり、今は犬みたいにころころ笑ってる。


「あのさあ…」

 浩然が耐えきれず口を開く。

「うん? どうした?」

「たぶん推しのファンの話、わかったかも。希さんの言いたいこと」

「え! 本当?」

 二人とも浩然を見る。

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