プロローグ 浩然(ハオラン)
話せないけど、聞いてわかる
「ほんとに中国語ってわかんないの?」
岡が不思議そうにこちらを見てくる。
わかるというか、わからないと言うべきか。
中国人なのに日本語しか話せない。話せないけど、聞いてわかる。
浩然はとりあえず父母の両祖父母が中国で預かって育てていた。浩然が小学2年生になると、それまで日本語もあまりうまく喋れずに馬車馬のように働いていた両親の収入がようやく安定し始めた。そこで、浩然と浩然の兄・
兄の思遠は5歳年上なので、この時13歳であった。
日本に行くと浩然はそのまま日本の小学校に入れられた。また浩然はまだ8歳なので、両親はかなり楽観的に、
「そのうち日本語は覚えるでしょう」
とそのまま何か対策を取らずに通学を続けた。
1年目は言葉に慣れるのに精一杯だった。うまく発音できず、日本語の読みは多いので、口パクでその場を乗り切っていた。日本語がわからないので、他の教科である算数や理科、社会もまるでわからない。勉強が全く追いつけなくなってしまった。
たぶん先生も気付いていたけれど、先生は国語が教えることはできても、日本語を教えることは専門外だっため、浩然の指導は十分には行えなかった。
発音では特に有声音と無声音、つまり「た」と「だ」というような清音と濁音が聞き分けられない。「また」なのか「まだ」なのか分からず、浩然自身が引っ込み事案だったため、よく一人で混乱していた。
表立っていじめられることは浩然の場合なかったが、
「ハオランくんの言っている意味わかんない」
と煙たがれることはしょっちゅうあった。
みんなと話すのが苦手な浩然はいつしか図書館にこもりきりになった。遊び時間に教室にいると、先生に校庭へと追い出されるが、図書館なら追い出されることはない。浩然にとってそこは安全な場所だった。そこで日本の絵本と出会うこととなった。
大小様々な大きさの絵本が無造作に入っている棚から本を取り出した。上手いとは言い難い、絵の具をベタ塗りした、独特のタッチの本を手に取った。なんとなく、絵が上手くないところに浩然は自分自身と重ねていた。その絵本は長新太の「ゴムあたまポンたろう」だ。ゴム頭を持つ「ゴムあたまポンたろう」が山にぶつかって飛んでいき、何かにぶつかっては飛んでいくという物語だ。なんのメッセージもない、ただ飛んでいくゴムあたまポンたろうのシュールさに笑いが込み上げてくる。
自由な世界だ————。
授業で聞かれるような“主人公はどう思ったのかな?”みたいなことが聞かれることもない世界。浩然の国語力では読み解くことも、それを日本語にして伝えることもまだできなかった。しかしそんなことすら超越した世界に魅了された。
中国の本は「いい子に育とう」のような、最終的にこの話から“何を学ぶか“まできちんと明記されているものが多かった。しかし、日本の絵本はふわふわして始まり、何も教訓めいたものなく終わるというものが多かった。
そこから本に没入していった。本を読んでいくと次第に日本語がわかるようになった。そうして本というのが浩然にとっていつしか身近な存在になった。読んでいるのは歯磨きなどと同じで、読まなければムズムズする。そんな浩然が日本文学専攻になったのは至極自然なことだった。
日本に来てから2年目になると、日本語にも不自由せず、勉強にもついていけるようになった。同時に、中国語はすっかり忘れてしまった。親は維持するための中国語学校に行かせようとしたが、この頃浩然はみんなと違う言葉を話すことが「変」に感じられ、喋ることを拒否していた。普段大人しいくせに、この時ばかりは頑として話さず、言うことも聞かなかった。最終的に親が根負けしたため、浩然は今に至るまで話せなくなってしまった。
しかし家で家族全員が中国語で話すので、よっぽど高度で専門的な話以外なら聞いてわかるという、浩然自身もよくわからない状態に陥った。
「では言語学の講義を始めます」
和崎が壇上に上がる。ざわめきが収まり、浩然も遠い過去から現実に引き戻された。和崎のネイビーのハイヒールがカツッと鳴った。
その時ふと携帯を見ると、メールが届いていた。鼓動が早くなった。
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