本作の前日談

ノートの中のわたし、夢を描くキミ

「小野さんが、——— て良かった」


 その言葉は屋上の柵に取り付けられたスピーカーにかき消された。


「は? なに、高田くん。今なんて?」


 昼休みの終了を予告する大音量のアナウンス。

 十年前、母校の屋上。

 まだ十代で高校生だった頃のわたし。


「あ……… いや、何でもない。そろそろ授業が始まるよ、お先にっ」

「えっ、ちょっと、待っ………」


 高田くんは慌てて踵を返し、その大きな背中をわたしに向ける。

 そして、どすどすと大きな足音を立てて階段を駆け下りて行った。


 わたしはあの日の出来事が今でも忘れられない。

 遠いようで遠くない、あの日の思い出。




***




 遡ること前日の放課後、わたしがちょっとした忘れ物を取りに戻った時のことだ。

 校門が締められる十分ほど前、既に陽は落ちて暗い蒼に染まった教室。

 窓際のわたしの席にたどり着いて机の中に手を差し入れると、机と壁の間の床に立った状態で落ちている「ある物」に気が付いた。

 使い込まれて随分とくたびれたA5サイズのノート。

 もちろんわたしの持ち物ではない。

 暗くて名前らしき記載を見付けられず、やむ得ずわたしは教壇側の灯りを点ける。

 何の気なしにわたしはそのノートを開いた。


 はぁっ? こ、こいつ、うっまぁいっ!


 わたしの視界に飛び込んでくる様々な人物達の絵。

 ノートの四分の一ほど残して、写実調のスケッチからコミック風キャラクターまで。

 その描線は筆圧が強く、その割に消しゴムを使った跡が殆ど見られない。

 何本か硬さが違う鉛筆を使い分けているのだろうか。

 かっちりとした輪郭線とシャドウを表す繊細な斜線ハッチングがすんなりと同居している。


 ううむ、わたしより断然上手い。それに、すごく描き慣れてる。


 わたし自身も小さな頃から絵を描くのが好きで、中学生までは俗に言う「ハンコ絵」を描いて悦に入っていたからよく分かる。

 キャラクターの右向き左向きに違和感は見られず、人物のデッサンも破綻がない。

 少年誌のいわゆる青春漫画ラブコメに影響されているのだろうか。

 誇張が過ぎない頭身と癖がない爽やかな絵柄テイスト


 めらっと沸き立つ嫉妬、そして羨望。


 わたしは瞬く間にそのノートにのめり込み、夢中になってページをめくる。

 すると、頻出する「あるテーマ」に気がついた。

 ノートに最も多く描かれたキャラクター、馴染みあるブレザーの女の子達。


 どう見てもわたしの親友の斎藤栞、そしてわたし、小野美鈴だ。


 その絵はわたし達の特徴をよく掴んでいた。

 艶やかで長い黒髪に丸っこい顔と大きな瞳、誰もが羨やむ減り張りのあるスタイル。

 周りに花まで咲かせていて、まるで主人公のように描かれた栞。

 彼女に好意を寄せる者は少なくはなく、知っていればピンと来ない者は居ないだろう。

 一方、わたしは男の子みたいなショートボブ、お気に入りの髪留めと口許の小さな黒子。

 顔に均一に入れられた薄い斜線は地黒の表現かと思われる。

 ご丁寧に寂しい胸まで忠実に反映されており………


 ぬぬう、こいつムカつくぅ………


 更にページをめくると見開きでコマ漫画が描かれていた。

 昼休みの教室でわたしが皆の前で披露したある笑い話をベースにしたものだ。

 それは先日、買い物をしようと栞と渋谷に出掛けた時のこと。

 待ち合わせ場所に先に着いた栞が二人組の男の子にナンパに遭っていて、わたしが声を掛けると男の子達は「チッ」と露骨に舌打ちをして歩き去った。


 ちょっと待て。「チッ」ってなんだっ、わたしも女だぞっ!


 額に「血管マーク」が付いたわたしを「大粒の汗」を浮かべてなだめる栞。

 うわぁ、スカートなのに机の上に足なんか載せちゃってるよ。

 わたし、こんなに端なくないぞっ!(いや、掛けたかもしれない)


 ノートの中のわたし達は殆どわたしがボケで栞がツッコミ。

 現実リアルでもそうだから間違ってはいないが………


 漫画と同じように頭に来たわたしは、この無礼千万な下手人を何としてでも特定すべく、ノートの隅々まで必死に書き手に繋がる手掛かりを探した。(早口)


 すると、裏表紙の隅に慎ましく記された筆記体のサインを発見する。


「K.Takada」


 間違いない、わたしの前の席に座る高田くんだ。




***

 



 恐らく百八十センチ近くあるだろうデカい図体。

 割と物静かで積極的に女の子に話し掛けるタイプではない。

 決してイケメンではないが、何処となくウチの老犬に似た愛嬌がある。

 好きな食べ物はカレーパン。購買部でよく買っているのを見掛ける。

 前に最後に残った一つを譲ってくれたから、根は悪くないのだろう。

 授業中、時々こくりこくりと舟を漕いでいる。

 言うと悪いが、達者な腕前が連想させる知的なイメージには程遠い。

 良く言えば大らか、悪く言えば隙があるヤツである。


 翌朝、皆の登校にはまだ三十分ほど早い時間。

 高田くんは大きな身体を持て余しながら、床の上を必死に探している。

 机と机の間から覗き見える四つん這いの彼。まるで檻の中の熊のようだ。


 ふふ、読み通りだ。


「おはよう、高田くん」

「えっ」ガッ


 高田くんは大きな音を立てて頭を机の縁に打つけた。

 予想外のわたしの出現に驚いたのだろう。


 ふふ、いい気味である。


「あれ、えっと小野さん、早くない?」

「高田くんこそ、今日は珍しいよね。どうかした? 探し物?」

「あっ、いや、別に。あ、消しゴムを落として………」


 見え見えの嘘を吐く彼を横目に、わたしは席に鞄を置いて女子トイレに向かう。

 わたしが居ると探し難いだろう、探し物はわたしの手の中だけど。


 程々の意地悪に満足したわたしは、小さな手紙を書いて高田くんの机に忍ばせる。

 そして、彼を昼休みの屋上へと呼び出した。






 屋上に現れた高田くん、わたしに気付いた後も用心深く辺りを見渡している。

 そんなに知られると困るの? と一瞬の疑問がわたしの胸を突く。

 わたしは罪悪感を覚え始めて早々と要件を切り出した。


「高田くん、キミが探しているのは、これかなぁ?」

「ああっ……… 」


 ノートの端を右手で摘んで、わたしの顔の近くでぶらぶらと揺らして見せた。

 こっそり栞とわたしを描いていたことを暗に示しているのだ。

 高田くんはそれまで土気色だった顔色が一瞬にして青褪めた。


「あの……… ノートの中、み、見た?」

「持ち主を探すためだからね。す・ま・な・い」


 わたしはニィと口角を吊り上げてノートを差し出す。

 恐る恐る手を伸ばす高田くん、今度は耳たぶまで顔を真っ赤に染め上げた。


「その……… えっと、ありがとう」

「ぬふふ、どういたしまして」


 彼は伏せ目がちでわたしと中々目を合わすことができない。

 ぬぬ、こいつ意外と可愛い?


「ふうん。でもすっごく上手いよね、高田くんがこんなに描ける人だなんて知らなかった。やっぱり目指してるの? 漫画家とかイラストレーターとか」


 わたしが聞きたいのは、やはりあの絵のことだ。


「あ、うん……… 昔からの夢で、漫画家。おかしい?」


 大の男がもじもじしながら答える姿がなんとも可笑しい。


「ううん、ちっとも。わたしも描いてたから羨ましいよ、その画力」


 画力という言葉は絵を描く人しか使わない。

 わたしが感じている共感を彼に知って欲しいがために出た言葉である。


「いやあの、毎日、練習がてら、と言うかその……… ごめん」


 照れ臭そうに言う高田くんはまだ視線を宙に泳がせている。

 誇張して描いたわたしに今さら負い目に感じ始めているのだろうか。


「あはは、実際よく描けてる。すぐ分かったもの」


 とは言え、このまま水に流すのは癪である。

 もう少しだけ意地悪をしよう。

 ノートの報酬にゴシップでも頂こうか。


「ねえ、ところでさ、もしかして好きなの? 栞のこと」


 えっ、という意外そうな顔をする彼。


「……… なんで、そう思う?」

「だぁって、栞が一番可愛く描いてあるもの、ズルいくらい」


 高田くんの表情が一瞬、ふわっと安堵をしたかのように見えた。


「ははぁ、まさか」

「えっ、違うの?」


 続く言葉は屋上の柵に取り付けられたスピーカーにかき消された。


「小野さんが、——— て良かった」

「は? なに、高田くん。今なんて?」


 確か今、にー、にぶ、鈍い、鈍くて?


 このわたしが……… 鈍い?







 あ。




 え?




◆◇◆




 その後に彼は三度目の挑戦で新人賞受賞を果たし、念願のプロの道へ。

 現在のわたしはとある出版社で高田くん作が載るコミック誌の広報を担当している。


 十年前のあの日、全てが始まった日。

 遠いようで遠くない、あの日の思い出。


 そして今日、わたしの姓は「高田」に変わった。





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エキセントリックな彼女と花火と夜のプール/短編連作 永久凍土 @aqtd882225

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