ラ・ニーニャ・ブランカ

 消防署の二階にある事務室に、ブラインド越しの窓から、スモッグで日明が射し込んだ。


 摂氏十二℃、空間線量率0.32マイクロシーベルト。汚染スモッグがやや濃く見えるのは、恐らく黄砂と混じっているからであろう。


 少しボヤけた視界でブラインドを覗くアズマは、歯ブラシを咥えつつ、無人の町並みを眺め続ける。


 灰色に染まった廃墟群。道路にはビルから崩れ落ちた瓦礫が無数に散らばり、鬱蒼とした大通りは人の気配も感じない。


 終末に相応しい退廃的な街並みは見る者に退屈を齎したが、一方で事務室には目新しい存在が違和感として蠢いていた。


 視界の端に映った、ソファーに横たわる白髪の少女―――ナギサが呼吸によって寝袋を上下させ、少し頬のコケた青白い顔を覗かせている。


 ここまでの長旅で疲労が溜まっているのか、泥のように眠っていた。もしかしたら昼まで起きないかも知れない。


 アズマは朝支度を済ませながら、その小さな同居人の処遇について潜考する。


 今日でなくとも構わないが、何れはコミュニティに連れて行かねばならないのは確実。麦芽汁の仕上がりを考慮すればあまり悠長にしている時間はない。

 

 だがそれ以前に―――


(コミュニティに行きたがるか、どうか……)


 そんな不安を抱えながら朝のルーティンを終わらせようとした矢先、寝袋が突然ムクリと動き出した。


 眠たそうに辺りを見渡す少女が、驚いた表情のアズマを見付け「えっと、あの」と呟いた。


「私、起きるの遅かったですか?」

  

「いや、十分早いよ」


 薄明かるい窓の外を顎でしゃくったアズマは、伏し目がちに目を擦るナギサに訊いた。


「昨日はよく眠れたか?」


「よく、分からないです……」


「おいおい、寝つきが悪かったのか?」


「ごめんなさい。夢を見てたみたいで、寝ているのか起きているのか、自分でも分かりませんでした」


 そう表情を曇らせた少女に、アズマは気まずく頷いて見せる。

 

 心的外傷後ストレス障害―――俗にPTSDと呼ばれる病気のことは良く耳にすることがあった。

 強烈なトラウマ体験による精神的疾患。先の大戦でも大勢がこの症状に苦しんだと聞く。


 ナギサに該当するかは一先ず、アズマは落ち着いた素振りで柱にもたれ掛かり、腕を組んでみた。


「怖い夢、だったのか?」


「いえ、怖くはないんです……けど」


 寝袋に脚を入れたまま膝を抱えてうずくまったナギサは、長い髪の隙間からか細く震える声を漏らした。


「嫌な……気持ちになります」


 言葉には心の奥底から絞り出したようなニュアンスと、微かな呼吸の乱れがあった。


「そっか、大変だな」


 カウンセラーの真似事は無理だと悟ったアズマは、バツの悪い顔つきで頬を掻く。

 

「気分が沈む日ってのもあるよな。俺もたまにシンドくなるよ」


「お兄さんもですか」


「こんなご時世だからな、外連味効かせてダマシダマシさ。ところで、腹は減ってないか? 美味いものでも食ったら元気出るぜ」


 考える時間を与えない様に、アズマは言葉を畳み掛けながら部屋の入口へと歩いた。


「折角だし、肉でも食いたいよな? ちょっと待っててくれ」

 

 不思議そうに視線で追ってくるナギサを尻目に、アズマは事務室から廊下の奥に向かう。


 突き当りに置いてあったのは、レトロ感溢れる古びた冷蔵庫―――トレーや網棚が外され、燻製機として改造された装置―――には弱火で燻製された鹿肉が残っていた。


 以前仕込んだまま、忘れかけていた保存食。


 自然鎮火したチップは既に炭化していたが、肝心の肉は弱火で燻され、焦げずに黒光りしている。

 放置したことで少なからず水分が抜けたお陰か、腐敗している気配もない。


 ―――悪くない塩梅だ。


 吊るした肉を持ち帰り、各種食材と共に作業台に並べれば、料理としての原型が浮かんでくる。


「わっ! すごい、お肉がたくさん……」  


 アズマは先程とは打って変わり、驚きと好奇心の表情に変わった少女に向かって、水場を指差した。


「パッと朝ごはん作るから、顔でも洗ってきな」


 大振りにコクコクと頷くナギサの期待に応えて、手早くジッポを点火。

 新聞紙を種火にし、加工したドラム缶に薪木を放り込んで、調理用の網をセットすれば即席焼台コンロの出来上がり。


 燃え盛る薪を背にしながら芋の皮剥きをするアズマは、育ち盛りの子供が満足できるメニューを考案する。

 

 一人なら質素でも構わない。なんなら朝ご飯は抜くことさえある。


 血糖値の低い、ぼんやりとした思考回路にストックされたコーン製チャパティが過るには時間が掛かった。

 しかしポテトや燻製肉を挟めば、簡単かつ栄養価の高い食事が出来るに違いない。


 その確信を持ちながら、鍋で沸かす熱湯にジャガイモのぶつ切りとみじん切りを入れて火を通す。


 鍋の中にはコンソメと塩、それから鯖の水煮缶を丸ごと浸す。いつもの定番、鯖スープである。


 チャパティも直火でさっと火を通してやり、その中に茹でたジャガイモと燻製した鹿肉をたっぷり挟み、味付けに塩と胡椒を振り掛ける。


 これで鯖スープとケバブ風サンドウィッチの完成だ。初めて作ったメニューだったが、見た目も匂いも食欲をそそるような出来栄えだった。


「お、美味しそうですね……これ!」


 静かに興奮するナギサを傍目に、サンドウィッチをキッチンペーパーで食べやすく包装する。

   

「確かに美味そうだ。ほら、こっちのでっかい方食いな」


「えっ? い、頂きます!」


 勢いよく食べ始めたナギサが、咀嚼しながら目を輝かせた。それから水を流し込み、またサンドウィッチに齧り付いた。久々に食べる料理がよほど旨いのだろう。

 

 密造酒業者ムーンシャイナーにとっても久しぶりの肉だった。最近は酒造りと瓦礫山の発掘に掛かり切りで、狩りには時間を割いていない。

 棚ぼた的に鹿肉にあり付き、サンドウィッチを頬張る。


 燻製の香ばしい匂いとホクホクのポテト。鹿肉はやや筋張った食感があるものの、その味は無類である。

 まるで戦前のレストランで出されるファストフードを彷彿とさせる完成度だ。


 鯖スープも安定の味わいで、体の芯から温められる満足感がある。

 火傷に気を付けながら素朴な味を楽しんだ二人は、あっという間に朝食を平らげた。


「ご馳走さまでした! こんなに美味しい食べ物は久しぶりに食べました。凄く美味しかったです!」


「おー、元気も出たみたいだな」


 言いながらゴミやカップを片付け始めたアズマに、落ち着かない様子のナギサがしどろもどろに訊いた。


「……あの、お兄さん。今更なんですけどその……名前は、何ていうんですか?」


「名前? 俺の?」


 何度も頷く少女の意図を測りかねた密造酒業者ムーンシャイナーは、プラゴミをPP袋に詰める手を止めた。


「アズマ。そう呼ばれてるよ」


 彼には名付け親はいたが、本当の両親からは名前をもらっていなかった。

 その事実がふと頭をよぎり、アズマは冷静に過去を受け止めながら、少女の言葉を待った。


「アズマ、アズマさん……。ですね、文字はどう書くんですか? あの漢字みたいな……」


 食い気味の質問に驚きながらもアズマは事務机に向かい、ペンとメモ帳でカタカナの名前を書いた。その後に漢字で東と書いた。

 それを見たナギサは、メモ帳の文字を指でなぞった。


「ありがとうございます、これで覚えましたよ。もう忘れないです」


 誇らしさを含んだ少女の微笑みに釣られて、アズマも笑い混じりの声を漏らす。


「これから勉強もしていかなきゃな。立派な大人になって―――」


「アズマさん」

 

 言葉を遮るように呼ばれ、すぐに目線を合わせたアズマは、神妙な顔つきをしたナギサから予想外の話を切り出される。  


「私、コミュニティに行きたいです。これ以上アズマさんの所にいたら迷惑になります」


「……別に迷惑って訳じゃないけどな。そう思ってたら最初から追い出すさ」


 アズマは言葉通り、子供相手に迷惑とは思わなかったが、安全を保証する義務は感じていた。ナギサはそれを敏感に察したのだろう。


 一回りも年の離れた少女に気を遣わせてしまったことに、若干の恥ずかしさを覚えたが、同時に彼女の覚悟が本物だと思えた。


 ナギサは、おそらく先の事まで考えた上で発言しているのだろう。


「私、誰かの役に立ちたいんです。このままじゃ、何も出来ないので……」


 俯きかけたナギサを制し、アズマはそっと彼女の肩に手を置いた。


「分かったよ。少し長い旅になるが、コミュニティに連れて行く。だけどこれだけは忘れるな、生きてるだけで誰かはお前に感謝してるんだよ」


 



今の俺は無法者だ。

政府の金を盗んでるのさ。

密造酒造りで、な。


『とある密造酒業者』より

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終末世界のムーンシャイナー 論田リスト @laundeliszt7830

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