【ウィザードスタッフ】 来訪者

大黒天半太

来訪者


 アトラの一日は、いつものように暮れて行く山や森の風景を眺めて終わるはずだった。アトラに割り当てられた地域の結界『ウォール』を越えて進入した魔法使いの存在を感知するまでは。


 午後の早い時間に彼の領域に侵入した魔法使いは結界のある側の山裾から徒歩で登って来ているらしく、日暮れ前に峠を過ぎたものの山を下りきるまでには至らず、足元のおぼつかない山道を下るのを断念して野宿を決め込んだらしい。急ぎの村人が山越えに使う獣道に毛が生えたような山道では山小屋があるでもなく、途中の手ごろな岩に腰をおろした魔法使いは暖を取るために火を熾した。

 後ろから近づくのは礼儀に反するかなと思いながら、アトラは彼の『座』のある岩場からその魔法使いに近づいて行く。夜目の魔法を使って灯りを点けずに行く方法もあったが、相手は火をたいているのだし隠れて行くことはないと、彼の身の丈ほどもあるウィザードスタッフの先端に光球の魔法をかけ歩み寄って行った。

 アトラが近づく物音を感じたのか、焚き火に浮かぶ影が立ち上がった。その魔法使いはアトラより頭一つ分以上は背が高く、たくましかった。

「この地域の守護者の方ですか?」

 見かけはまだ十二歳のアトラは子供にしか見えないはずだが、その青年は丁寧な物腰で話し掛けて来た。正規の魔法使い同士なら、お互いの外見の年齢があてにならないことは当然知っている。青年の外見は二十歳を少し過ぎたほどだろうか。

「ええ、私はこの地域を預かるアトラと申します。あなたは?」

「私はハラックと申します。師の命で、臨時にある地域の守護を仰せつかっておりましたが、正式な守護者が任命されたので『学校』へ帰るところです。正確には『学校』に帰る前に修行を兼ねて旅をして来いと師に命じられまして、リンデンの『学校』とは方向の違うこちらに旅をしております」

 青年、ハラックは苦笑して頭をかいた。経験の浅い魔法使いが初めての守護者の任務で失敗することはよくあることだ。大抵はアトラのように最初の守護者として赴いた地域で一生を過ごすことが多いから、初めの内の失敗を長期的に取り戻すことは充分に可能だしそれ自体が重要な学習でもある。地域の『メンテナンス』への集中が途切れてしまったり、そのための『座』から離れすぎてしまったり、季節や気候の移り変わりによる自然の魔力の変化にグリーンハンドと呼ばれる魔法使いの杖を調整しておかなければ充分な魔力が補充できないこともある。経験を積めば、息をするように集中を続けるこきとができるし、自分の『座』はいつでも感知できてかなり遠くから魔力を投射することもできるようになる。

 杖などは、地域の地形も季節も覚えてしまい、自然の魔力を補充するのに最適な状態を勝手に保つようになるくらいだ。どこかの地域が崩壊したという話も聞かないから、ハラックの失敗も大きなミスではないにちがいない。

「私もリンデンの『学校』で師から伺ったことがあります。様々な守護者の地域を巡って国土『ファウンデーション』の外まで旅をする修行があると」

 アトラが聞いたのでさえ二百年は前の話だ。守護者たちの多くはメイジと呼ばれる天然自然の魔力を集めて行使する者で、アトラのように山と森とふもとの小さな村を預かる者と、海と島を預かる者、町や都市を預かる者ではその魔力の集め方・使い方に大きな差がある。その手法の長短を学び、守護者と守護主の保護の届かぬ国土の外がどうなっているかを直に肌で感じることを目的とした修行。将来、師として魔法使いたちを育てる立場になる者やメイジを上回る力を持つ者・ウィザードになれる資質があるかどうかを選抜するための旅だ。

「ここでは山の獣たちを無用に警戒させてしまいます。よろしければ、私の『座』の結界の中へどうぞ」


 アトラはハラックに奇妙な親近感を抱いていた。そう、遥か昔の『学校』時代に、同じ修行に出された友人がいた。二つ年上だったがほぼ同時期に入学して魔法使いとなり、『学校』での長い時を共にしたキラル。アトラがこの地に赴く時もまだ旅から戻っておらず、それ以来会ってはいないが、もう師として『学校』で弟子を育てているのだろうか。それともどこかの守護者になっているのか。もしかしたらウィザードになって守護主のもとで特別な任務についているのかも知れない。

 アトラの『座』は山の中腹から突き出た巨石の上だった。自然のひび割れに見える魔法文字が『座』を一般人と獣から遠ざける結界を作り出している。

「何もないのですよ、私はありのままのこの山が好きなもので」

 結界の中は暖かく、夕暮れとともに急に下がる山の温度とは切り離されていた。もちろん、どのような猛暑や寒風の中でも魔法使いの集中が途切れることはないが、快適であればそれに越したことはない。『タイムレスリング』の魔法に守られた魔法使いの肉体は、老いることも傷つくこともなければ食べることも眠ることも必要ではないが、人としての習慣や癖がその魔法使いの生活のあり方に影響を残すのだ。寒さに耐えられないわけではないのに火で暖を取り、この山の熊や狼が襲って来たところで魔法一つで追い払えるのに火をたいて獣を避ける。ハラックが魔法使いになる前に学んだことは、その行動に現れる。アトラが知的な欲求に比べて物質的な欲求の希薄な子供だったから、この山の守護者となってからも結界で充分に雨風をしのげるからと家を建てるでもなく、季節の山の恵みを味わうことはあっても満腹するまで食べることもない。普段は星明かり以外に必要もないがハラックが自分より長い時間を一般人として過ごしていること、魔法使いとしてはまだ経験が浅いことを考え、光球の魔法はそのままにして自分のスタッフを『座』の結界の中に立てておいた。

「今の『学校』の話を聞かせて聞かせていただいてもよいでしょうか。ここは魔法使いが訪れることの少ない土地、しかもリンデンの『学校』の方が来られるのもめったにないことですから」

 実際の年齢がいくつ離れているのかわからないが、将来有望な弟弟子ということになるのだろう。思い出を語りあえば、リンデンの『学校』の情景がくっきりと脳裏に浮かぶ。生徒達は変われど、師の多くはそのままのようだ。

「残念ですが、キラル殿という名の師には心当たりがありません。もちろん、ウィザードになられているのなら、私はその消息を知ることもできませんが」

「気にしないでください、もしやご存知ではと思っただけですから。それよりハラック殿は旅を終えられたら、どうされるおつもりですか」

「師のように『学校』で後進の育成の職に就ければと思っています。その傍ら『学校』で研究したい事柄は山ほどありますから」

 照れながらハラックは夢を語り、それをアトラは頼もしく思った。友の消息こそ聞けなかったが、久しぶりに知的な会話を夜の更けるのも忘れて楽しむことができた。

 夜が白々と明け始める頃、アトラは再び『ウォール』を越えて進入する魔力を感知した。新たな三人の魔法使いの訪れを。


 三人の魔法使いは飛翔の魔法を使ってまっすぐにアトラの『座』へと向かって飛んで来る。このような行動をするのは『学校』の使者以外ではありえない。

 アトラは使者を迎えるために、光球の魔法を空中に残し、ウィザードスタッフを細く短く変えると懐に収めた。身に着けていれば手に持っているのと変わらないが、使者を迎えるのに魔法を放つ時のように手にはしないのが礼儀だ。

「遠来のご使者を謹んで」

「久しいな、アトラ。だが、積もる話は後だ。まずはその男を捕縛せねばならぬ」

 アトラの口上は使者の声に中断された。その声に顔をあげれば、宙空に浮く三人の魔法使いの一人はアトラの師ムートだった。

「初手が遅れましたな、ムート師」

 ハラックは余裕すら感じさせる口調で、ムートに応じる。

「アトラの結界の中に隠れていたとは狡賢い奴。だが、その悪行もそれまでだ」

 三人が地上に降りると同時に、ハラックは自分のスタッフを懐から取り出し、剣ほどの長さにして構える。アトラの座の結界に遮られていたため、ムートらはハラックに気づくのが遅れ、対する準備ができていなかったようだ。しかし、ハラックは不意打ちを仕掛けるでもなく、ムートら三人の出方を待ち構えている。

 まず、ムートが青い光の矢を放つ。ハラックは左手で空中に文様を描いて『盾』とするとその矢を弾く。冷気が座の周囲にほとばしる。

「さすがはムート師の『真氷弾』、防いでも手がしびれる程ですね」

 ムートの後ろに控える二人の魔法使いがウィザードスタッフを伸ばし、精神集中に入っている。大掛かりな魔法を準備しているのだ。アトラには師自らが囮となっていると言うことがわかる。実際の話、アトラにはこの戦いに介入できる力量も無ければ、座から離れることもできず、見ているほかはない。

 瞬間、三人の魔法使いは息を合わせて懐より何かを投げた。棒切れのように見えたそれは空中で伸びてウィザードスタッフになり、ハラックを取り囲む三角柱の三辺を構成する。複数のスタッフを用いる魔法使いを見ることすらアトラには初めてのことだ。

 途端にアトラは凄まじい脱力感に襲われた。アトラから、アトラのスタッフから、アトラの『座』から魔力が漏出して行く。この百年以上途切れたことの無い『メンテナンス』が維持できなくなる。

「ムート師、これはいったい」

「彼奴を捕らえるため、やむを得ぬ仕儀である。許せ、アトラ」

「見たか、アトラ。これが『学校』の真意だ。国土を、人々を守るために何より優先すると自ら教えて来た『メンテナンス』の魔法すら、一人の反逆者の口を封じるためだけに犠牲にしようとする。私の魔法を封じるためだけのために、な」

 冷笑すら浮かべ、ハラックはアトラに語りかける。三角柱の外側ですらこうなら、内側はさらに強力な魔力の消失が起こっているだろうにハラックは平然としていた。三本のウィザードスタッフの間を難なくすり抜けると、愕然とする三人の魔法使いにまるでさっきの三人がしたように棒状のものを投げる。

「この業はすでにアコモス師が見せてくださいましたよ。二度は通用しません」

 ハラックはムート達を無視して三角柱を作る三本のウィザードスタッフを無造作に掴むと術を消し、スタッフ自体を小さくして懐にしまう。魔力の漏出感は弱くなったが止まらない。三人の魔法使いの周りをハラックが投げた棒状のものが高速で旋回し、三人とそのウィザードスタッフから魔力を吸収しているらしい。魔力が涸渇したこの状態で、ムートらが三人掛かりでかけた魔法と同様の術を同時に三人にかけたハラックの実力にアトラは慄然とした。  

 二人の魔法使いは気を失って倒れ、ムートも膝をつく。周囲の自然からの魔力を強制的に集め、あまつさえウィザードスタッフに蓄えられた魔力まで吸い上げる名も知らぬ魔法。周囲から集めた魔力しか使えないメイジには致命的な効果を発揮することは明らかだ。戒律を犯した魔法使いに差し向けられる『学校』の処罰者のためだけの魔法か。それすら歯牙にもかけぬハラックとは。

「グリーンハンド、青二才と呼び習わされるウィザードスタッフに敗れたお気持ちはいかがですか」

「この中で魔法が使えるとは、まさかウィザード」

「同じことをアコモス師の前でもやってご覧にいれたが、お聞きになってはいなかったか。私をウィザードとお呼びになるのは熟慮された方がよろしいですよ、ムート師。守護主をはじめとするウィザードの皆様が気を悪くされるでしょうし、私も彼らとは一緒にされたくはありません。メイジでもウィザードでもない者、ウォーロックとでもお呼びください」

 ハラックは三人の追っ手からウィザードスタッフを取り上げると同様に小さくしてブーツの中にしまい込み、三人の周囲を舞う短いスタッフを手の中に戻らせると袖口に放り込んだ。そして思い出したようにアトラの方へ近づき、抱え起こした。

「気力を振り絞れ、アトラ。地域が崩壊するぞ」

 ハラックはなぜかアトラを励ます言葉をかけた。気力で立ち上がることはできても、魔力のかけらも出すことはできそうもない。ハラックは懐から先ほどの術に使われたスタッフを一本出すと、アトラの懐中のスタッフへ押し当てる。流れ込む魔力に堪えきれないようにアトラのスタッフは懐中から飛び出すとアトラの身の丈ほどの大きさに戻って、アトラの手の中へおさまった。いつもの数十倍の魔力が詰まっているのがわかる。アトラは『メンテナンス』の魔法をかけ直した。『座』は乾いたスポンジのようにアトラの魔力を吸い込み始める。

「まず十日は周囲の自然からから魔力を補充することはできん。できれば、今杖にある魔力だけで半月は持ちこたえろ。また、強制的に魔力を吸い上げられたせいでこの山と森の動植物は変調をきたす物が出る可能性がある。今まで以上に気を配れよ」

「ムート師は」

「三人とも死にはしない。二、三日すれば人並みに身体は動けるようになる。ウィザードスタッフがないから大きな魔法は使えないがね」

「どうして、なぜ」

「もっと話す時間があるとよかったよ。ただ、戒律を破って追われているというのは、私に言わせれば逆だ。守護主と守護者が国土を維持している今の体制そのものが『魔法使いは戦争に関与してはならない』という魔法使いの戒律に反していることを訴えただけだ。なぁ、アトラ、この世に魔法使いは今の半分も必要でないとしたら我々はどうすべきだと思う」

 アトラの思考は駆け巡っていた。ハラックの問いかけが、突拍子もないその言葉が何を意味するのか。

「ムート師、あなたはまだ私を追うことができます。アトラのこのウィザードスタッフを奪い、この地域の崩壊と引き換えにすれば、直接攻撃の魔法を一晩中投げ合うくらいの魔力はゆうに詰まっていますよ。もし、それをおやりになるなら、もはや貴方はかつて私の敬愛したムート師ではない。私も本気でお相手いたしましょう」

 まだ立ち上がることもできないムートに言葉を投げて、ハラックは立ち上がり歩み去ろうとした。

「今夜は本当に楽しかったよ、昔に戻ったかのようだった。リンデンの『学校』で師となり、魔法の研究と弟子の育成に励む日々。それこそが嘘偽りのない私の本当の夢だったよ、アトラ。それは信じてくれるかい」

 ウィザード級の魔法使いには、メイジには思いもつかない魔法や秘密が多くある。それを目の当たりにしてアトラはひとつのことに思い当たった。

『タイムレスリング』の魔法をかけられた魔法使いは永遠に歳をとらない。だが、その効果をコントロールすることは全くできないのか。

「キラル、キラルなのか」

 振り向かぬまま、ハラックは手を振って山道のある方へと去って行った。彼がアトラの受け持つ地域を歩みさったのはその日の午後だった。


 アトラの一日が、また暮れようとしている。その目に映る風景は昨日までの風景と変わらないが、アトラはもう昨日までのアトラではいられなかった。

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