第36話 誤算

 城の下の階が崩れる音を聞きながら、早朝の朝日に目を細める。

 当然のことながら昨夜は全員一睡もできなかった。休むことは休んでいたが、目を瞑っているだけで大人も子供もいつ城が崩れるとも分からない恐怖に怯えていたのだ。


 壁が壊される音が響いてくる窓から下を覗いてみると、おぞましい表情をした巨人ゾンビの顔がハッキリと見えた。昨日は薄暗くてよく見えなかったが、明るくなってみると、まるで人間の顔のようでそうでない奇妙さがある。なんというか、顔のそれぞれのパーツがいびつな上にバラバラに配置されていて、3体とも左右のズレが激しい。鼻は無いし、耳も見当たらない。そのくせ口はデカい。


 デカい口から血やら涎やらよく分からないものを垂れ流しながら、上に居る俺に向かって手を伸ばしている。死んだ魚のようなその目が一切瞬きもせずにこちらを見ているのは、何とも言えない気持ち悪さを感じる。


「哀れだな」


 男も女もなく、ただただ腐った肉片の寄せ集めで構成された肉体。その体からは絶えず悪臭が立ち込め、城を叩く度にボロボロと肉が剥がれ落ちている。


「さて、こいつらともすぐにお別れだ。準備しないと」



 すっかり日も上りきった。これで視界も良好、後は計画を実行するだけだ。


 肝心の計画内容だが、以下のようになっている。

 1,まず住人たちを下に降ろすために武井さんと元リーダーの取り巻きの男三人の計4人でロープを使って下に降りて避難袋を下で支える準備をする。

 2.住人たちを降ろしていく。その間、俺は上に残って巨人ゾンビたちの前に姿を見せておくことで巨人ゾンビの注意を引き付ける。

 3.全員が降り終わったところで素早く俺も下に降りて、城の裏から向かって右側に回り込むように俺が走り、巨人ゾンビの前に出ることで注意を引く。

 4.同時に住人達は左側から回り込んで門に向かい、そのまま坂を下ってK城の敷地内から脱出する。

 5.隙をついて俺も城の敷地から脱出し、商店街で合流。


 実際には5番は失敗したことにして俺は単身壁に向かう予定なので、もし10分待っても来なければそれ以上は待たずに先に行ってもらうように言ってある。武井さんだけは少し難色を示していたが、他のメンバーが賛成して説得したため最終的には了承して貰えた。取り巻き連中に嫌われててよかったと思った瞬間である。


「武井さん。準備は出来ましたか?」

「はい。何時でも開始できます。でもいいんですか? 一人だけで囮になるなんて。やっぱり私も一緒に」

「いや、それは駄目ですよ。リーダーさんが居ない今、このメンバーで指揮を執れるのは武井さんだけなんです。武井さんが居なければ、脱出に成功してもその後ばらばらになってしまいますよ」

「山田さん達では駄目でしょうか?」

「駄目でしょう。あの人たちじゃ」


 取り巻きさん達はお年を召してはいるが、90人を纏めるには少々力不足。その点、武井さんは消防隊員で元々この街に来る前はリーダー的な立場だったらしいので集団を纏めるのに慣れている。大人しか居ないならともかく子供達も居るのだから、中途半端な人間に指揮を執らせるわけにはいかない。


「準備が出来たならもう始めてしまいましょう。時間が経つほど城が崩れる可能性が高くなりますから」

「……分かりました。では皆さんが降りてしまうまで、上で巨人ゾンビの引き付けをお願いします」

「了解です」


 武井さんを筆頭に4人がロープで下に降りた後、住人たちが子供から順番に避難袋の中を滑り降りていく。その間俺は朝食として持参していたカロリーバーをかじりながら下の化け物の様子を窺っていた。

 見たところ住人たちが下に降りて行っているのには気づかず、ずっと俺の方に手を伸ばしている。やはり人間の居る方向は分かっても正確な場所は分からないらしい。


 90人も居れば降りてしまうまでにそれなりの時間が掛かる。避難訓練の時ほどとは言わないまでも、安全性をある程度考慮して降りるようにしなければ怪我人を出しかねないからだ。

 このあたり、やはり武井さんが指示を出してくれて助かったと思う。こういう訓練の際には大体消防から人員が来て訓練をするものだから、武井さんが消防の人という事もあって住人たちは慌てず騒がずに下に降りることが出来ていた。


 そうこうしている内に住人が降りだしてから30分が経ち、今最後の住民が避難袋で降りていった。後は俺が降りて巨人ゾンビを引き付け、その間に皆が避難するだけだ。


「もう誰も残っていないか!」


 念のために辺りを見渡したながら声掛けをする。なにも返事は帰ってこないので、ちゃんと全員下に降りたようだ。 


「武井さん。住人の皆さんは全員降りましたので、自分も降ります」

『了解です』


 トランシーバーをバッグに戻し、そのまま避難袋に入る。すると体は重力によって加速し、30メートル以上ある避難袋の中をあっという間に滑り降りていった。


「ふう、到着っと。これ結構怖いですね」

「はは、みたいですね。子供達は逆に楽しそうにしてましたけど」

「凄いなことも達は。それじゃあ俺が巨人ゾンビどもを引き付けますから、武井さんは皆さんと非難お願いしますね」

「分かりました、お気をつけて。必ず後から合流してくださいね」

「ええ、出来るだけ頑張ってみますよ」


 俺が走り出したのを合図に武井さんが住人たちを誘導し始める。俺が降りるまでにちゃんと移動しやすいように住民たちを並べていたようで、動き出しがスムーズだ。


「後はどれだけ時間を稼げるかだな。皆に見えないところなら多少は能力も使えるし、足元に氷を張って転ばせるか」


城の陰に入って皆が見えなくなると、すぐ前方に巨大な腕の一部が見えた。もしかして俺が来たのに気づいたのか? さっきまでと居る位置が随分変わっている。


 気付いたのかどうか分からないまま巨人ゾンビ達が居る方向に走って行くと、目の前に巨人ゾンビの一体が現れた。やはりこちらの気配に気づいて移動して来たらしい。

 下から見ると上から見ていた時よりとんでもなく大きく感じる。だがコイツは一番デカい奴ではなく2体居た少し小さい方のようだ。


「他の奴らはこっちに来てないのか?」


 だとしたら非常にマズい。全ての巨人ゾンビをこちらに誘導出来なければ、住人たちの踊り食いが始まってしまう。


「仕方がない。コイツだけ倒すか」


 大股で近づいて来る巨人ゾンビの動きは遅い。だが、この一本道ではすり抜けることは難しそうだ。ならば倒す他ない。


 俺は走りながら巨人ゾンビの足元に手を向けて狙いを定める。


「足元にご注意ください」


 その声を合図に巨人ゾンビの足元付近の石垣から真横に伸びるように氷柱を生成された。生成スピードはそこまで速くはないが、あいつは俺を食う事ばかりで足元なんて気にもしないので問題ないだろう。


 数秒後、巨人ゾンビは見事氷柱に足を引っかけて前のめりに倒れた。


 ドガーン! という爆弾でも爆発したのかと思うぐらいの大きな音が響き渡り、その後、顔面から地面に突っ込んだ巨人ゾンビは手足をバタつかせて暴れている。

 足が氷柱に引っかかって立ち上がることは出来ないようだが、これだけ暴れられたら横を通れない。なので今度は一番命中しやすい胴の部分に上空から氷柱を落として串刺しにする。


「アアアアアアアアァァァァァァ!!!」

「五月蠅いっての! 今、楽にしてやる」


 体を固定された巨人ゾンビは頭を動かすことが出来ない。そこに俺がもう一つ上空から氷柱を落として頭にぶっ刺した。


 だが……。


「アアアァァァァ!!」

「頭を貫いたのに死なないのかコイツ!?」

 

 巨人ゾンビは頭を貫いても死ぬことは無かった。考えてみればこいつはゾンビの集合体であって、そのままのゾンビが巨大化したわけではない。故にゾンビの弱点だった頭部の破壊がコイツには効かないのも納得だ。


「でも動きは多少鈍ったか。これ以上は時間を掛けられん、急いで他の巨人ゾンビを誘導しないと!」


 さっきよりも遅くなった中型巨人ゾンビの手を掻い潜り、城前広場の方に走る。もう脱出を始めているかもしれない。だとしたら……。


 広場に着くと、中型巨人ゾンビはまだ城を叩き続けていたが、案の定一番デカい巨人ゾンビがこちら側とは反対方向に向かおうとしていた。さっき倒した中型巨人ゾンビと同じように避難を開始しようとした武井さん達の気配に反応したのかもしれない。

 

「クソッ!」


 俺は咄嗟に足元の地面を凍らせスケートリンクのようにし、靴にスケート靴のブレードのような形状の氷を生成すると、滑りながら地面の氷を拡張していく。

 スケートはあまり得意ではないのだが、そうも言っていられる状況じゃない。とにかく真っ直ぐ滑って大型巨人ゾンビまで到達できさえすればいい。


 広場でさっきよりも攻撃が回避しやすかったのもあって、すぐに大型巨人ゾンビの元まで到達することが出来た。しかし、近くまで来たにもかかわらず大型巨人ゾンビはこちらを見ようとしない。ふと、大型巨人ゾンビが向かっている方向を見れば、城の石垣の陰に逃げていく武井さん達の姿があった。


 エサが多い方に狙いを定めてやがるんだ。


「おいコラーッ! こっちだのろま野郎! こっちにエサがあるぞーっ!!」


 大声を出して狙いをこちらに変えようとするも、大型巨人ゾンビは気にせず武井さん達の方に向かおうとする。そしてその代わりに中型巨人ゾンビが俺の方に向かって来ていた。


 

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