第29話 悍ましきモノ

 お姉ちゃんが帰って来たと無邪気に笑う少年。だがその両手には臓物を持ち、口元は今まで生肉をむさぼっていたかのように真っ赤に染まっている。


 思えば最初に漁港で会った時から違和感はあった。

 細身で身軽な女性とは言えあの状況で一人で一週間以上も生き残っていた事も、ドラッグストアで死体の山を見た後でわざわざ女子トイレを使った事もそうだ。


 漁港の倉庫内にあったお菓子やパンの袋の数から考えると、もっと飢えていてもおかしくない筈だし、トイレを済ませて出て来た時に壁の血はにもかかわらず、シャツに赤い真新しい血が付着していた。


 もっと何か別の物を食べていたのだろうと思っていたが、本当にそうだったとはな。例えば目の前にいる少年の様に人間の臓物なんかを食べていたとしたら、倉庫で飢えていないのも、道中の道が綺麗だったのも、ドラッグストアのトイレで何をしてたのかも全て繋がって来る。


 この瞬間、俺は背中に仕込んでいたタネを使い、背中全体を鋭い氷の針で覆った。


「ああああッッ!!!」

「お姉ちゃん!」


 やはり飛び掛かろうとしていたか。

 視線を少し後ろに向けると、何百本の針に串刺しにされた緑川の姿が見える。その目は先ほどまでと違って真っ赤に染まっており、口からは鋭い牙が見えている。


「な、なんで」

「確信はなかった。ただお前の行動や言動が時々怪しかったんで、何かあった時のために全身に色々と仕込んでおいたのさ。残念だったな」


 後ろを見ながら話していると、前から睨みつけるような視線と殺意が飛んでくる。

 持っていた臓物をベッドの上に捨てて牙をむき出しにしたその様は、まるで小さな鬼。人間の臓物を食い漁るところからグールとでもしようか。とにかくそいつは姿勢を低くして、こちらに飛び掛かかろうとしている。


「おっと動くなよクソガキ。お前の姉ちゃんが一瞬でバラバラになってもいいのか?」

「ッ! や、やめろ! 姉ちゃんを放せ!」

「それはこれから聞く質問の答え次第だ」

「質問?」

「ああ、だが聞くのはお前にじゃない。後ろにいるお前の姉ちゃんにだ。だからお前は大人しくそこでじっとしていろ」


 今から俺が緑川に質問しようとしている事、その内容はぶっちゃけもう決まり切って分かっているので、どの道コイツ等を始末するのは変わらない。だが、今は背中の刺に緑川が刺さっているせいで動きが取れないので、時間稼ぎのために質問を仕掛けた。


「それじゃあ第一の質問だ。お前たちは人間を食って生きているのか?」

「……」

「答えたくなければ答えなくてもいいが、その場合はお前の弟も無事では済まないぞ」

「わ、分かりました! 答えますから、弟にだけは何もしないでください!」

「よし、じゃあ答えろ。お前たちは人間を食う。間違いないな?」

「はい。私たちは人間を食べて生きています」


 これは見たまんま。ただの確認だ。この間に両腕に力を貯める。


「次だ。お前たちは死体ではなく、まだ生きている人間を殺して食っているのか?」

「はい。私が人間を見つけて弟が居るこの病室まで連れて来て、殺して食べてます」

「なるほど、それじゃあ俺もその標的の一人と言うわけか。それにしてもお前は俺の能力を知っているはずなのに、よくここまで連れてくる気になったな。反撃されるとは思わなかったのか?」

「警戒はしていました。でもここ最近生き残っている人間たちに私のことが知られてしまって、何も知らない人間を探す必要があったので、お人好しそうな貴方であれば二人掛かりなら殺せると思って連れてきました。弟を飢えさせる訳にはいかないので」


 おおむね予想通り。ただ、散らばっていた臓物の数や病院内の異様な様子からして食べる量は相当のものであることは間違いないだろう。


 いや、待てよ……。


「この病院の連中も全員殺して食ったのか?」

「……はい」


 嘘だな。そう思った瞬間、病室の外から異様な数の気配を感じた。退路を塞がれたか。


「まさかこの状況で嘘をつくとはな。ドアの外にお前の仲間が何人もいるのに気づかないと思ったのか?」

「ふふふ、気づいたところでもう遅いですよ。この病院は私たちの住処すみか。貴方はここに踏み入れた瞬間からもう脱出することは不可能なんですから。大人しく私たちの食料になって下さい」

「ふ、どうやらそのようだな。では最後にもう一つだけ質問させてくれ。最近ここに警察官と消防官を連れて来たことはあるか?」

「警察と消防? ああ、そう言えば3人ほどここに連れて来て食べましたね。もしかしてお仲間だったんですか? ふふふ、でも安心してください。すぐに貴方も彼らの所に送ってあげますから!」


 退路を塞いだことで俺が諦めたと思って油断したのかは知らないが、強気な態度で笑いながらそう言ってくる緑川。後ろの緑川の顔を見てみれば、そこには最初に会った時とはまるで別人の化け物のような笑顔を浮かべた鬼の姿があった。


 そして、その言葉が合図になったのかドアの外の気配が近づいてきているのが分かる。


「だが、俺はここでは死なない」

「は? 何を言っているんです? 貴方はとっくに終わりですよ」

「そうかな? まあ、まずは手始めに。大人しくしていろと言ったのに近づくからこうなる。人のいう事は素直に聞いとけよクソガキ」


 俺は素早く右腕を斜め上に向けて振り上げた。その腕には鋭くとがった氷の刃が生成され、飛び込んで来た者を串刺しにする。


「アガッッ!!?」

康太こうたっ!」


 緑川の叫ぶ声を無視し、康太と呼ばれた化け物を刺している右腕をそのまま横に振るう。すると、深々と喉に刺さっていた氷の刃が抜けるとともに遠心力でその小さな体が投げ捨てられ、壁に打ち付けられてそのまま動かなくなった。


「まだ子供だったのに、よくも康太をッ!!」

「子供だろうが何だろうが化け物は化け物だ。安心しろ。お前もすぐに康太の所に送ってやるよ」

「康太がやられた! 康太がやられたッ!!!」

「ちっ、仲間を呼びやがったか。面倒くさい事を!」


 緑川を串刺しにしている背中の刺を分離し、離れたところに右腕を振るう。とっさの事で判断が遅れた緑川は、少し体を斜めにすることは出来たが右腕と頭の右側を切り落とされた。


「康太、康太ぁ」

「まだ死なないのか!? 頭が半分無いんだぞ!?」


 どんな生命力をしてやがるんだこの化け物は!?


 ドアが開いて中に化け物がなだれ込んで来る。コイツ等何匹いるんだ!? まさかこの病院の全員がこの化け物になっているのか!?


 流石に100匹も居そうな化け物をここで相手にするのは無理だ。

 俺は呻くうめく緑川をその場に置いて窓まで走り、窓ガラスを右手の刃でぶち割って淵に足を掛ける。


 窓の外には眺めのいい景色が広がっている。それもその筈、ここは8階だ。

 30メートル近い高さがあるこの場所からは、来るときに見た城の姿がはっきりと見えていた。


 ここから飛び降りれば如何に能力があろうとも死ぬのは確実。だが、後ろには既に俺を掴もうとしている化け物の手が迫っている。


 俺は迷わず窓から外に飛び出し、一階下の場所まで落ちたところで壁に氷を張りくっ付いた。


「ふう、賭けだったが何とか脱出は成功したか。後はこのまま……何ッ!?」


 落ちる落ちる、次々落ちる。さっきまで居た部屋の窓から途切れることなく化け物が落ちて来る。化け物が自殺? 腹が減り過ぎてまともな判断が出来なかったとかか?


 そう思って下を見ると。何と落ちた化け物はダメージを受けつつも動いていた。つまり30メートルもあるあの場所から落ちて死ななかったのだ。


「上にも下にも中にも化け物。なるほど、逃げ場を塞いできたわけだ」


 下から見上げてニヤニヤしている化け物ども。どいつもこいつも服が血まみれで汚らしい。早く落ちて来て食わせろってか? 残念ながらそうはいかない。


 俺は上、奴らは下、しかも奴らは俺が落ちてくるのを今か今かと待っていて動かない。何と都合のいい事か。

 真下に居るという事は、落とせば当たるという事。いつも能力を使う時は動きの制御をしているところを、作成する部分にだけ力を入れられるという事だ。


「さあ皆さんご注目。これが世にも珍しい特大のひょうで作られた滝です! ひとつ残らずその体に刻んでください! ってね」


 その大きさはなんと直径10cm。これは雹と言ってもいいのか甚だ疑問だが、この大きさの雹が数えきれないほど次々と生成され、下に居る化け物共に滝のように降り注ぐ様は絶景だ。


 聞こえてくる阿鼻叫喚。地面に当たって砕ける氷が霧を発生させている為よくは見えないが、下はまさに地獄絵図だろう。


「これで生きていたら拍手もんだな」


 今ので下はある程度片付いただろう。後は中だが、そこまでやるのは時間が掛かるし面倒だ。下の化け物を見た感じ、獲物をおびき寄せることが出来るような頭を持っているようには見えなかった。緑川姉弟が特別だったのか、そもそも種類が違うのか、それは今となっては分からないが、コイツ等はそのうち食うものが無くなって自滅していくだろう。


「さて、さっきの話で調査隊か捜索隊の内3人は死んだのが分かった。後は4人だが、何処に居るやら。一度篠田さん達と合流したほうがいいか」


 雹の滝が収まった後、俺は壁に一本の氷のポールを作り、慎重に下まで降りて行った。本当は滑り台を作りたかったのだが、高さがあり過ぎて作れなかったので仕方なくポールを使ったのだ。おかげで降りるのが大変だった。


 下に着くと、そこには原型をほとんど留めていない死体と一面の氷のかけらで覆われていた。自分がやったこととは言えこれは酷い。

 

「さて、まずは商店街で見たあいつらを探すか」


 俺は足早に病院の敷地から出ると、ハーレーのエンジンを掛けてその場から去った。その時、西病棟で何が起こっているのかを知らないまま……。






ぐちゃ、ぐちゃ


「おねえちゃん、美味しいよ」


ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ


「皆も全部食べてあげるからね」


ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ……


「うぐッ!? ぐあああああアアオオオオオオォォォォォォォォォォ!!!!!!」

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