第19話 やっぱりアメ車は最高!

 立派な庭に色々な犬種の犬が放し飼いにされている。全部ゾンビだが。


 ゾンビになってもあの五月蠅い鳴き声は健在らしく、かなりの音量で周囲に響き渡っている。


 正直な話をしよう。俺は犬という生物が物凄く苦手だ。

 あれは幼い頃、確か小学校に入学する前だったか。その頃には俺は能力のせいで両親に半ば捨てられたような形でK町の端の方にある所謂田舎のお爺ちゃんの家に預けられていた。


 これは後で知ったことだが、隠し通していたつもりで両親や周りの大人は俺の能力に気付いていたらしい。まあ、子供なのでそう言う能力があればつい使ってしまいたくなるものだろう? 自分の部屋や庭先、幼稚園の自由時間なんかでちょっとお試しをしていたのを見られたんだろうな。


 そんな俺の事を両親から聞いていたであろう祖父と祖母は嫌な顔をせずに俺を迎え入れてくれた。だが、両親にも周りの大人にも拒絶されて挙句両親に半ば捨てられるような形で祖父母の家に預けられた俺は、その頃にはもう大人というのを全く信用しておらず、心を開くことは無かった。しかし、5歳の子供が一人孤独に耐えるなんて出来るはずがない。だから近所に居た動物ばかり相手にするようになって行った。


 そこに居たのだ。犬が。


 黒白の雑種犬で、確か名前はコロだったか。奴は近所に住んでいたトメさんの飼い犬で、よくお土産と共に家にやって来ていた。最初は良かったのだ、奴もただ無邪気にじゃれてくるだけで、常に傍には祖父か祖母かトメさんが近くに居るので無茶なことはしてこなかった。だが、一度監視の目が無くなると奴はその本性をむき出しにした。


 キラキラと輝く瞳、垂れ下がる舌、荒い呼吸に俊敏なステップ。


 俺は奴に股間を甘噛みされた。


 そう、奴は最初っから俺の玉金を狙っていたのだ! 事後数年経ってからあの時の嚙みつきが甘噛みだったと気付いたが、当時は本当に怖かった。まさに玉金を食うためにやって来た悪魔の犬、ヘルハウンド。その黒い体が余計に地獄の猟犬を思わせる。田舎でやることも全くない中、ませた五歳児の俺は読書ばかりしていた。そのせいでそんな恐ろしい犬の事を知っていたのは不幸としか言いようがない。


 それから俺はしばらく引きこもることになる。布団の中でぶるぶる震えながら股間を抑える様はさぞ無様だったことだろう。


 とにかくそんな事があってから、俺の中で恐怖生物堂々の第一位は犬になってしまっている。いくら能力があっても、玉金を隠さずにはいられない。


「と言う訳で、俺は犬が苦手だ。だから犬はお前たちに任せる」

「どう言う訳よ? まだ何も聞いてないじゃない!」

「それは言えん! 俺にも羞恥心というものはあるんだ! とにかく俺は犬が怖いんだ! だから俺がキッチンで食料を漁っている間あの地獄の猟犬どもを引き付けておいてくれ!」


 そう言い残すと、俺は後ろでごちゃごちゃとまだ何か言っている赤坂と雨鳴を置いて塀伝いに家屋の方に移動を開始した。遠目で見た感じだが、一階の池の前の窓ガラスが開いているようだ。まあ、何かを引きずったような血の跡が廊下の奥からずっと続いているのは少々気になるが、背に腹は代えられない。時間も無いしな。


 地上に降りるのは正直怖い。あの薄暗い廊下のの先から奴らが現れたら、俺にはもう股間を抑える以外に為す術は無いのだ。だが、ここで躊躇していても何も好転しないし、それどころか益々ピンチに追いやられていく。ここは覚悟を決めるところだ!


「うっ」


 しかしそんな風に思っていても、トラウマというのは俺の足をまるで根を張ったかのように塀の上に固定してしまう。何と情けない事か! このっ! このっ! 動け俺の足ィ!!


 しばらくそうしていたが、中から犬が出てくることは無かった。これは全部赤坂たちの方に行ったのでは? 


 少し安心感が芽生えたところで一気に飛び降りる。腐った犬の鼻が生前と同じだけの性能を発揮していたら気づかれるかもしれない。俺は一気に駆け出すと、家の中に飛び込んで開けっ放しになっていたガラス窓をしっかり締めて鍵を掛けた。


「ふぅ、これで一安心だ。さて、キッチンは何処かな」


 この家、良い場所に建っている割にはかなり広い。部屋がいくつもあって、廊下も入り組んでいる。キッチンと言えばダイニングの近くにあるものだと思うのだが、日本家屋の場合リビングとかダイニングってどんな感じなんだ? 全く分からん。


 色々と迷っているうちに車庫に通じるドアを見つけた。車庫内にはかなり大きな車が二台並んで停まっている。この家の主人はどうも車好きのようだ。中々日本では目にしないような大きさの車なので、少しだけ時間を忘れてまじまじと見てしまった。


「しかし、これは使えるな」


 偶然にも脱出に使えそうな車を発見したは良いが、俺の目的はあくまでキッチンだ。車庫へと続く扉があるという事は、おそらくこの近くにダイニングやらリビングやらがあるはず。わざわざ別口から一人一人外に出て乗り込むより、この車庫への扉から全員出て乗り込んだ方が効率的だし、普通そう言う風に作るだろう。


 探索の途中、ぐちゃぐちゃになった真っ赤な物体を発見した。所々から骨が飛び出しているのが分かる。おそらくこの家の住人だろう。ゾンビに襲われたにしてはその様はあまりにもグロテスクで、見ていて吐き気がするほどだ。これだけ肉を削がれていたらもうゾンビになることも無いだろう。


 死体の倒れていた場所から数メートル離れた所にある引き戸が開いている。この人はそこから廊下に出て襲われたのだろう。服はビリビリに破れているが、近くに落ちているバッグから女性だと分かる。逃げ出そうとしたのかもしれない。


 バッグを拾い上げて見てみると、中には化粧ポーチやらなにやら女性の必需品の他に財布とキーケースを見つけた。キーケースには色々な鍵と共に車の鍵も入っている。普通車のカギをキーケースに着けたりするものかという疑問も湧くが、この人が単に几帳面だっただけかもしれない。


 キーケースだけ頂いて部屋の中に入る。中には他に数人の凄惨な死体が転がっていた。子供が居ないであろう事だけが救いだ。


 ダイニングには足の短いテーブルがあり、そこには恐らく食事中だったであろうものがいくつも置かれていた。流石に一週間以上経っているので、鼻が曲がりそうなほどの臭いを発している。死体もあるので、余計にだ。


 ダイニングから一部屋挟んでキッチンを発見した。俺が氷で覆ったK町の発電所から電気が来ているので、今だ冷蔵庫は稼働中らしい。その前に何かそのままで食べられる物は無いかと探した所、少量のお菓子を見つけた。これは取り敢えず食べておいてエネルギーを確保する。


「んまい」


 まさか料理する時間は無いので、冷凍庫を漁っていると冷凍パスタを見つけた。これならレンジで簡単に調理出来るし早いし美味い。早速耐熱プレートに乗せて袋の案内に書いてある分数でセットする。おっと、その前にダイニングとキッチンの扉をしっかり締めておかなければ。腐った臭いの中で食事なんて出来ないからな。


 レンジが発するブーンという音を聞きながらひたすら待つ。いかに音に敏感なゾンビと言えど、この程度の音なら問題ないだろう。


 そう思った時期が俺にもありました。


 隣のダイニングと繋がっている扉は引き戸なのだが、そこからガリガリという音と、獣の唸り声のようなものが聞こえてくる。


「まさか……」


 次の瞬間、引き戸がぶち破られた。そこから出て来たのはそう、犬である。

 何と恐ろしい見た目だろうか。目玉が片方飛び出しているし、口元の肉が無いせいで鋭い牙がむき出しになっている。今まで生きのいい肉を食い散らかしてきたからか、その顔は赤黒い血で染まって血走った右目の濁った白がひときわ目立つ。


「ひ、ひあぁぁぁぁっ!!!!」


 悪魔だ、悪魔が居る。地獄の猟犬! ヘルハウンド! コロの再来! 元の色は知らないが、血が固まって赤黒く変色しているのとこの部屋が薄暗いのが合わさって、過去のトラウマである悪魔の犬のコロに見えてしまう。情けない声を上げてしまっても仕方がないよな。


 お菓子で回復したエネルギーを使って氷柱を撃つ! 撃つ! 撃つ! そしたらコロが避ける! 避ける! 避ける! ええい! 奴の機動力は化け物か!


 一体赤坂と雨鳴は何をやっているんだ!? こんなの一番引き付けておかなければならない奴だろうが!


 あれ? コロが二重に見えるぞ。犬のくせに満面の笑みで笑っている。牙が怖い。一進一退の攻防どころか幻覚まで見えて来た。もうこの部屋ごと氷漬けにしてしまおうか。そう思った時だった。コロが何かに足を引っかけて体勢を崩して転んだのだ。


「しめた! そこっ!」


 ここぞとばかりに俺はコロに向かって氷柱を五つ連続で放つ。するとコロは避けきれずにすべての氷柱を受け、それによって床に縫い付けられてしまった。


「ふう、じゃあなコロ。今度は天使のような犬に生まれ変わってくれ」


 未だに動いているコロの頭に氷柱で風穴を開ける。はー、怖かった。


「それにしてもアイツ、何に足を取られたんだ?」


 さっきコロが足を取られた場所を見てみると、そこには人間の半分白骨化したような腕が転がっていた。恐らくこの部屋に来る前にコロが引きずって来たものだろう。自分で食い殺した主人の腕に足をすくわれる。因果応報、世の中よく出来ているものだ。そこでレンジのチーンという音が鳴り響いた。何とも締まらない終わり方だな。


 美味そうなパスタが出来上がった。しかし、こんな犬の死体の転がったような場所で食べられるはずがない。俺は皿とフォークを持ってそのまま車庫へと向かった。


「車の中で食べれば問題ないな、うん。それにしてもデカい車だなぁ」


 どう見ても日本車ではない。日本の道路では道幅いっぱいギリギリになるであろうその大きさは、まさに超大国アメリカを象徴しているかのようだ。中に入ると、シフトレバーの横にトランスファーレバーが付いており、この車が力強い走りをする四輪駆動で走行出来ることが良くわかる。


 荒れた山道も難なく走行できるこの車なら、このゾンビで溢れた世界でも頼もしく活躍してくれることは間違いないだろう。


 俺は素早くパスタを食べ終わると、車のエンジンを掛けてキーケースと一緒に付いていたシャッターの開閉装置のボタンを押した。


「食事は済んだ。もうこんな所に用は無い。おさらばの時間だ」


 ギアをDドライブに入れてアクセルを踏むと、車が動き出す。外の道路に面した鉄の門が内側へと開き、行ってらっしゃいと送り出してくれた。


 そのまま左へと曲がり、赤坂達が居るであろう塀の元まで向かう。予想通りまだそこで犬を引き付けていてくれたらしい。五月蠅い犬の鳴き声で集まって来たゾンビを跳ね飛ばし、俺は助手席側のパワーウィンドウを開いてこう言った。


「よお、お二人さん。乗ってくかい?」

「遅いわよ!」

「全くだ!」

「まあまあ、そう言うなって。ここからは快適なドライブを約束するからさ」


 不満を言いつつも安堵の表情を浮かべる二人を後ろに乗せ、車を発進させる。

 そうだ、もうコイツはいらないな。


 運転席の窓を開け、耐熱プレートを投げ捨てた。パリンという音が聞こえなかったから、その辺のゾンビにでも当たったか?


 まあ、そんなことはどうでもいいとして、やっぱり。


「アメ車は最高だぜ!」

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