AIの目で見る世界には大黒天が顕現する

九条信

AIの目で見る世界には大黒天が顕現する

NoName:これなら余裕じゃね?

NoName:土日は誰とも会ってないみたいだな

NoName:オンラインにもしてないのか?レアだな

NoName:月曜日までにBランク権限はいけるな


特定の人だけがアクセスできる、とある会員制の匿名掲示板「大黒天」では今日も不穏なやり取りが行われていた。ターゲットとなる人物の写真・名前などの個人情報が投稿されており、既にその権限をどう奪うかの話で持ちきりだ。


個人情報には機密情報レベルと対応するアクセス権限のランクが定められており、そのランクごとにセキュリティレベルが設定されている。このランクが高いほど重要な情報とされていた。


一般的に名前やプロフィール情報を閲覧できるDランクまでは公開情報とする人が多く、個人端末のアクセス権が含まれるBランク以上は資産やアカウントを奪われるとして厳重に扱う人が増えていた。


そして現代、暗号解読に特化した量子コンピューターが開発され、既存のパスワードによる認証は意味を失った。そして新たに2つの認証方法が推奨されていた。


NoName:ターゲットの認証方式は「疑似人格認証」か

NoName:そりゃ「ソーシャル認証」は使えないよな

NoName:信頼できる友達がいるとも思えないから妥当だろ

NoName:疑似人格もそんなに育てているようには見えないけどな


疑似人格認証。

全ての現代人は生まれた時点で埋め込まれる眼内AIレンズ「Siva」を通して、行動の全てが記録されていた。その記録を元に行動を学習し、最適なサポートをするAIがSivaだった。


Sivaは標準機能であるAR機能によって、決断をサポートする選択肢の提示や、見ている対象の解説・解析から、暇なときの会話相手まで、幅広く対応してくれる。そんなSivaが便利な機能で終わらなかったのはある実験の功績だった。


疑似人格AIの自動生成の成功だ。Sivaにより特定人物の情報だけを長期間継続して学習出来る環境が生まれ、更にAIを活用した小説や歌詞の執筆ブームによる文法や言葉の意味分析の劇的な進化により、AI技術は急速な発展を遂げた。


気付けばSivaを利用しているユーザなら誰もがワンタップで自分の生き写しのような疑似人格AIの作成が出来るようになっていた。


疑似人格に質問をすると、自分が答えたかのような返答が返ってくる。それは疑似人格に何千・何万の質問を投げかけ、その結果を検証する事で本人かどうかを判別出来るほどの精度である。この学習済みAIを認証に転用したものが、擬似人格認証である。


しかし、疑似人格を作り出すことに人権問題的な反対をする人もいれば、本人が秘密にしたいことも疑似人格が勝手に答えてしまう仕組み上の問題を指摘する人も少なくなかった。


そこで生まれたのがソーシャル認証である。

こちらは前者に比べて非常にシンプルで、関わった人間とその時間から算出される他者との関係性を根拠とし、それを相互に確認し続けられる人間が本人であるとする仕組みである。最初は疑似人格認証に対するアンチテーゼとして、明瞭でわかりやすい認証方法の提案という見方が濃厚だったが、気付けば相互に証明し合うこの仕組みは疑似人格認証と並ぶ人気を獲得していた。


現時点では、どちらの認証もトラブルやクラッキング事件が絶えず発生しているが、従来の認証技術と比べるとトラブルや事件の数も少なく、積極的に継続的なセキュリティ強化が進められている事から、今では二大認証方式として認められるようになっていた。


NoName:まずは利用履歴を探るか

NoName:疑似人格の最新アップロード日もほしいな

NoName:フィッシングサイトを踏んで貰うのはどうだ?

NoName:では、各自行動開始

NoName:おk

NoName:了解


◆◆◆


ターゲットはこのあたりで一番大きいオフィスビルのとある会社に勤めており、定時18時を3時間超え21時まで働いて帰宅する。大黒天からの情報だ。ターゲットは事前情報の通り、21時ちょうどにビルを出てくる。


NoName:尾行開始


俺は掲示板「大黒天」に状況を書き込む。尾行中なので俺はターゲットから目を離すわけにはいかない。その為、Sivaを通して擬似人格AIに書き込みを任せている。書き込みたい内容や共有したい情報を伝えるだけで、自分の思考パターンを元に書き込みがされる仕組みだ。


大黒天に書き込んでいる人数がどれだけいるかもわからないが、不特定多数の人が協力しSiva不適合者に対して制裁を与えていた。ターゲットは管理者が提示し、俺らはその人の全情報ランクの権限を回収する。


上手くやれば成果を元に管理者から報酬が支払われる。もちろん直接ターゲットの資産を奪っても良いのだが、大黒天の管理者に逆らわなければこうして美味しい思いが出来るのだ。敵対する理由もなかった。


『アラート:追跡者がイレギュラーな行動を開始』


Sivaからアラートが上がる。こめかみを2回タップしアラートを消すと、Sivaの表示を大黒天から手に入れた行動予測データに切り替える。3パターンの帰宅経路が目の前に浮かび上がるが、どれもターゲットの行動と一致しない。


急いでターゲットの進行方向にある目的地候補を検索しようと口を開くが、指示をするより早く視界の端に検索結果が表示されていた。店の雰囲気を見る限り、スマホが主流だった平成時代コンセプトの古い居酒屋のようだった。


『場所検索結果:居酒屋Dot』

『訪問傾向:休日・休日前夜』

『滞在時間予測:4時間』

『過去訪問回数:24回』


NoName:平成時代風の居酒屋Dotに移動する模様


特に尾行の経験があるわけではないがSivaは適切な尾行距離や隠れる場所をマーカーで示して教えてくれる。俺は隠密ゲームのように可視化された他人の視界範囲を避けて、ギリギリ気付かれない距離を危険度メーターで確認しながら進んでいた。


NoName:Dotの詳細情報入手。Dotのオーナーは旧ネットワーク愛好家らしい

NoName:旧ネットワークには知り合いが絡んでるから探ってみる

NoName:旧ネットワーク愛好者は未だにRSA使ってるってマジ?

NoName:平成時代なら4桁数字の平文保存だろw

NoName:旧ネットワークなんて入った瞬間ウイルスでやられるからやめとけ


『目的地まで1分以内です。

 偵察には裏口側の倉庫から有線接続による監視映像へのアクセスが推奨されます』


倉庫に向かい有線接続をすると飲み屋の雑多な風景画面が視界を覆う。すぐにARモードからVRモードに表示を切り替え、店内を空間まるごとリアルタイムに再現する監視用VR空間に入り込む。一側面限定の監視カメラ時代は死角が存在したらしいが、空間自体をスキャンできるこの時代に死角は存在しない。


◆◆◆


有線接続で居酒屋Dot内での動向を監視していたが、何一つ怪しいものはなかった。無駄に4時間、ただの飲み会を眺めることになり気力的にも体力的にもだるさを感じていたがここからが本番だ。


「ターゲットの尾行開始」

『ターゲット位置をマップに表示しました。尾行モードを起動します』


機械的だが意図を組んだサポートをしてくれるのはSivaの良い所だ。細かい気の回し方や返答代行に関しては疑似人格のサポートが入っており汎用的なサポートとは比べ物にならないくらい快適だ。


尾行を初めて15分。到着したと安心する間もなく、ターゲットは帰宅してすぐにSivaネットワークとの接続を遮断した。これでは遠隔でのクラッキングは難しい。つまり現地にいる俺の出番だ。


『ローカルネットワークに直接アクセスする方法を推奨します』


ローカルネットワークからの直接アクセス。通常はブロックしておく経路だが、旧ネットワークを利用する為には特別な設定や構成が必要なのかも知れない。Sivaに誘導されるがまま俺は視線の真ん中に現れた矢印を辿る。


『接続可能ポイント到達』

「ローカルネットワーク接続とネットワーク設定の変更処理を実行」

『ローカルネットワーク接続完了』

『大黒天のアクセス権を利用。ネットワーク設定の変更処理を完了』


大黒天の誰かが手に入れていたネットワーク設定の設定変更プログラム。特定の場所からしかアクセス出来ないIP制限が掛かっており、外部からの操作を拒否されていたがこれで解決だ。セキュリティの穴は開けたのでここから先は大黒天の優秀なクラッカーたちが仕事をしてくれるだろう。


NoName:ターゲットのネットワーク設定変更完了

NoName:よくやった!

NoName:後は任せろ


この先は技術のない俺には触れない領域だが、今回は想定以上に順調に物事が進んだので報酬も期待できる。隠密FPSさながらの体験をリアルで出来るのだから良い時代に生まれたものだ。それなのに平成時代に酔いしれる人の気が知れない。


◆◆◆


月曜日の昼。土日に動きがなかった大黒天の掲示板に活気が溢れる。


NoName:Bランクまで全ての権限獲得!

NoName:最高かよ!!フィッシング?

NoName:そそ。ニセサイトを挟む古典的なやつだけど

NoName:端末には入れたからこっちのログも漁ってみる


NoName:Aランク突破。次の段階いけます

NoName:資産は抑えた。変えられる個人情報全部変えるか

NoName:10分後に大事な会議。必ず認証を解除しようとするはず


NoName:会議5分前

NoName:やばい

NoName:くるか

NoName:デバイス起動するも認証失敗

NoName:来た!認証を全て無効化!

NoName:Sランクまで全権取得!!

NoName:全データこちらにバックアップ完了

NoName:ダミーデータ用意完了。書き換えていい?

NoName:ヨロ。ターゲットを地獄送りにしよう

NoName:了解

NoName:ダミーデータに書き換え完了

NoName:ターゲットの権限を最低レベルに変更

NoName:よし!これで彼の人生は僕らのものだ

NoName:Siva搭載の人間には彼の姿は見えず、声は届かない

NoName:今後誰からも認知されない人生とか地獄だよな

NoName:人生おつかれ


◆◆◆


「三鷹捜査官、お疲れさまです」

『捜査用人格をアンインストールしました。

 混乱防止のため、元の人格での記憶を走馬灯モードで投影します』


目覚めると警視庁ビルにある調査室で目を覚ます。先程まで大黒天参加者とターゲットを追い詰めていたはずだが、今の自分は警視庁内で警察に囲まれていた。しかし、流れてくる走馬灯のような映像を見て、思い出す。


「俺は捜査官だったのか」

「ええ、それも優秀な。毎回本当にお疲れさまです」


徐々に記憶が戻り、捜査官としての自覚が出てくる。今回はSivaシステム反対派の集まる旧ネットワークを利用した、Sivaサーバ破壊テロの勧誘活動実行メンバーがターゲットだった。その人物の悪事を確認すべく権限を全て回収するのが今回の俺の役割だった。


もちろん令状は出ているし、何度も協力依頼はしている。しかし、本人以外は利用出来ないデータや、システムなどが溢れている今、正面からの交渉はあまり有用とは言えなかった。今や力ずくで情報を開示させられる力が国家機関には求められていた。


しかし、最近は警察の行動パターンを学習し、警察の居場所を表示して遭遇を回避するシステムまで裏で売られている。その対策として捜査時には人格レベルで身分を誤魔化す必要が生まれていた。


その一つの解決策が警視庁の匿名掲示板「大黒天」である。記憶と身分を改ざんし、会員制の匿名掲示板からの指示を通して活動をする。Sivaのサポートがあれば現実世界の仕事だってゲーム同然だ。


一つの強大なカリスマに支配される世界は必ず崩壊すると言われている。しかし、Sivaに従う限り不幸な人は生まれない。誰もが幸せであれば崩壊する余地はない。


劣等感も生まれない。自分を主人公とする人生をSivaはいつだって演出してくれる。見える世界も、やるべき事も、Sivaが最適に導いてくれる。Sivaの予測は外れない。どんな相手だってゲームのNPCのように想定通りの返答をしてくれる。誰もがSivaを利用している今、Sivaが実現出来ない事など存在しない。


俺は正義を執行する。

それがSivaの示す道であり、俺の生きる道だった。

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