3
言葉が出なかった。これが刃を潰していない本物の剣で、相手にその気があれば、アリスは死んでいただろう。
お互いに、沈黙を保つ。ただ、見つめ合うだけ。凪いだ湖のような、静かな目だった。
息の詰まるような空気を壊したのは、第三者。
「いやー、さすが近衛騎士見習いエースの二人! 見応えのある打ち合いだったな!」
張り詰めた糸をぱんと切るような、豪快な拍手が耳に響く。はっと目だけで振り返れば、がっしりした体型の四十くらいの男性が、大口を開けながら手を叩いていた。
その男だけではない。白い制服に腕章をつけた、近衛騎士見習いが集まっている。
しまった。アリスは心の中で舌打ちをする。
こんなあっさりとやられたところを、アーサーの姿で、見られてしまった。奥歯を噛み締めて、地面に落ちた剣を拾う。
「おはようございます、バレル様。見られていたとはお恥ずかしい。声をかけてくださればよかったのに」
胡散臭い笑顔で、剣を胸元に持ってきたヘンリーが言う。
「あの雰囲気で声をかけられる奴はいなかろうよ」
バレルと呼ばれた男が、楽しそうに返す。
銀糸の入った白い制服に、腕章はつけておらず、胸元にいくつか勲章が付いていた。見習いではなく、近衛騎士団から来た指導員のような立ち位置なのだろう。
バレルから視線を流して周囲を見る。周りにいるのは二十名ほどだろうか。バレル以外は腕章を付けているので、アーサーと同じ見習いだ。恐らくこの中に、アーサーを恨み羨み、傷つけた人間がいる。
(――待てよ。お兄様を傷つけたヤツは、お兄様が剣を振るえなくすることが目的だったはずよね?)
そう考えると、この状況はある意味いいのかもしれない。昨日のことで怪我をしてハンデはあるが、剣を振るえない状態ではないことを印象付られる。もしかしたら、再度何か仕掛けてくるかもしれない。
望むところだ。
アリスは斜め下に顔を背け、腕を気にした風の仕草をしてみる。簡単に釣れるかどうかは分からないが、単純な人間ならばもう一押しだと思うはず。
ちらと、集まっている見習いに目を向けてみるが、これといって反応している者は見受けられなかった。それどころか――。
(ヘンリー)
物凄く視線を感じる。眼光が鋭い。
アリスはブルリと身を震わせた。
(お兄様は信頼が置けると言っているが、私からしたらコイツが一番信頼が置けない気がするが!? お兄様と常に一緒にいてかつ、お兄様を出し抜けて傷つけられるということを考えると、ヘンリーがどう考えても怪しくないか!?)
仲間だと思ってた人間が裏切るなんて、よくある話じゃないか。
「さ、そろそろ訓練始めるか。全員、剣を持て!」
バレルの号令に、見習いたちは各々の剣を抜き出す。アリスも、手に持っていた剣を握り直した。
アリスは、アーサーとここの近衛騎士見習いとの関係を全く知らない。つまり、全く新しい視点で見極めることができる。
決して、逃がしはしない。
近衛騎士は王に忠誠を捧げる騎士だ。訓練場に向かい合っている城、二階のバルコニーを見上げ、胸の前に剣を立てるところから始まる。王族がそこにいようといまいと、近衛騎士見習いにとって王族に最も近いのは、そのバルコニーだから。
忠誠の儀を捧げ終わったら、通常の訓練に入る。走り込みだったり、トレーニングだったりと体を慣らした後に、入隊したばかりの者は型を覚えることから始まり、それ以外の者は実践ありきだと、ペアで組んで手合わせをする。
「ア、アーサーと組むの、久しぶりだね。嬉しいな」
今回ペアになったのは、くりくり頭の小柄な男の子だった。実年齢より若くみられそうな、可愛らしい顔立ちをしている。
嬉しい、という言葉に嘘はないのか、頬を赤らめてもじもじと体を揺らしている。
彼の名を、ローマン・ザリルと言った。
アーサーからは聞かない名だったが、ローマンの様子を見るに、かなりアーサーに懐いているような気がする。
兄を慕う者には、好感が持てる。アリスは目を細めて微笑んだ。
「僕もだよ、ローマン。さぁ、かかっておいで」
ローマンがどれほどの実力者か分からないが、負ける気はしなかった。
剣を構えれば、ローマンは嬉しそうに笑って、同じく剣を構えた。そして、声を上げながら剣を振りかぶって走ってくる。
その素早さに驚きながらも、振り下ろされた剣を受け止める。力はあまりないようだ。
剣がぶつかった瞬間、不思議な香りが鼻を掠めた。鼻の奥にツンとくるような、あまりいい香りとは言えないもの。何かの香水だろうか。
アリスは眉を寄せ、受け止めた剣を押し返した。
「あっ!」
ローマンはそのまま倒れ、尻もちをつく。
クスクスと笑う声が、耳に入ってきた。
「見ろよ、ローマンのやつ。アーサー相手とはいえ、瞬殺すぎだな」
「尻もちなんかついちゃって。父親が騎士伯らしいが、やはり一代で終わるだろうな」
「あれでアーサーの金魚のフンしてるんだ。アーサーも可哀想に」
ローマンは顔を真っ赤にして震えている。
なんとなく、アリスは近衛騎士見習いの関係性を理解した。ローマンは近衛騎士見習いではあるが、その中では底辺なのだ。そしてアーサーは上位。
彼らの話を聞くに、アーサーに対しては悪い印象を持っているわけでもなさそうだ。どちらかと言えば、好感すら持たれていそう。
ますます、ヘンリーが怪しくなるのだが。
「ご、ごめんね、アーサー。やっぱり僕じゃ、全然相手にならないよね」
立ち上がりもせず、情けない顔で謝るローマンに、アリスは鼻で息を吐いた。
「別に僕は気にしない。強い相手と戦うだけが、身になるわけでもないよ」
「え?」
「とりあえず、まずは立ったらどう?」
アリスは知っている。努力して強くなろうとするその気持ちが、どれだけ尊いものか。
きっとローマンは、こうやって笑われながらも一生懸命に剣を振るってきたのだろう。それをどうして、笑うことができようか。
アリスを見上げてぱちくりと瞬く瞳を、じっと見つめ返す。
「言いたい人には言わせておけばいいよ。そうやって座っていては、何も始まらない。それこそ笑いものになるしかないから。どんなに転んだって、最後に立っていた者が勝ちだよ」
「アーサー……」
ローマンは立ち上がっていた。彼を笑っていた人も、口を噤んで各自の訓練に戻っている。
「君は、おに……僕の剣を意識しすぎだと思う。体格から違うんだ、君のその小柄で素早い動きを活かした方がいい」
「う、でも、僕、アーサーの力強い剣に憧れてて……」
「気持ちはわからなくもないけど、自分に合う剣で戦うことと、理想の剣を取り入れることはまた別物だよ。まずは自分に合った剣を見つけてから、好きな剣の形を取り入れていく方がいい」
「自分の、剣の形……」
ローマンは俯き、手に持った剣をじっと見つめる。
「そう。僕は、ローマンのその素早い動きに驚かされたよ」
「ほ、ほんとに?」
「ほんとだよ。君だって、自分の剣を見つければきっと強くなれる」
強さというのは人それぞれだ。いくら力だけが強くたって、いくら体が大きくたって、それが一番だとは限らない。経験値、タイミング、直感、色んなものをトータルして、高い者が強い。
アリスの中での強さとは、そういうものだった。
「まずは剣の使い方からかな。重心が散漫してしまってるから、意識をして。どの場面でどこに力を入れるかは、重要だよ」
「わ、分かった。じゃあ、さっきはどこに重心を持ってくるべきだったんだろう?」
ローマンは、もう俯いていなかった。力のこもった瞳で、アリスに対峙している。アリスもローマンの意志に応えるように、的確に指示を出す。
一生懸命に教えるアリスと、相手の顔を真っ直ぐ見つめて頷くローマン。
そんな二人の様子を眺めて、くすりと笑う影があった。
「ああ、それでこそ彼女だ。また会えるのを楽しみにしていたよ――アリス」
ふいに強い風が吹き、白い花びらが雪のように巻き上がった。
私、お兄様一筋なので! 霧谷凜 @kiririnn-syosetu
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