レチアーナ王国の中心都市である王都リディル。

 多くの人が行き交うことから、様々な店が多く立ち並んでいる。

 整然とした街並みを通り抜けると、王族が住まう城が現れる。白塗りの城壁に青色の櫓は、まるで暑い季節の空を思わせた。


 アリスを乗せた馬車は、城門の前で止まった。どれだけ高貴な者でも、王城内に馬車を入れることは許されない。全ての者が等しく、歩いて行くのだ。

 馬車から降りて、自分の背丈の三倍はあろうかという城門を見上げる。


 青を基調とした、四つの大きな塔から成る王城は、レチアーナ王国を建国したとされる伝説の巨鳥・ルチア鳥をモチーフにしているとされている。


 左右の大きな翼をひと振りすると大地が造られ、長い尾がひと撫ですると大地は新緑に包まれた。最後に涙を二粒流すと、一粒は人のかたちに、もう一粒は剣のかたちに変化した。ルチア鳥にこの大地を任された人物、現在のレチアーナ王族の誕生である。――というのが、この国に伝わる伝説だった。


 その伝説が本当かどうかは定かではないが、アリスは鳥のような形をした王城が嫌いではなかった。翼を左右に大きく広げたような建物は、右を赤翼塔、左を白翼塔。長い尾のような建物は、黄尾塔。三つの建物に守られるような形で聳え立つのは、青冠塔といった。

 ちなみに赤翼塔は騎士団が、白翼塔は近衛騎士団が、黄尾塔は衛兵が主に活動する塔。そして青冠塔は、王族の居住と政治を主とした塔になっている。


 王城に来るのは初めてではない。何度か、父の仕事の関係やパーティーなどで足を踏み入れたことがある。

 中の勝手は、それなりに分かっているはず。そもそも近衛兵見習いなど一日中訓練に明け暮れ、訓練場と食堂以外はほとんど使用する機会もないだろう。


(……大丈夫。なんとかなる)


 意を決して、踏み出した。

 左右に立つ門番は、腕章とアリスの顔を見て、近衛騎士見習いと判断したのか声をかけることはなかった。門番すらも誤魔化せる変装力らしい。


 アリスは、怪しまれない程度に周囲を見渡した。出勤の時間より早いせいか、人はまばら。爽やかな朝の風が草木を揺らし、吹き抜ける。


(お兄様が、毎日通っている場所)


 そう考えると、気分が上がる。

 アーサーは毎朝この時間に、この場所を歩いて、訓練場へと向かっているのだ。


「アーサー?」


 不意に背後から、名前を呼ぶ声が聞こえる。周囲の空気を貫く、穏やかだけれども真っ直ぐとした心地よい声だった。

 アリスは立ち止まり、振り向く。そこに立っていた人物を目にした途端、アーサーの言葉が頭の中を駆け抜けた。


『茶髪で細身の男だよ。身長は僕より少し高いかな。すぐ分かると思う』


「ヘンリー……」


 アーサーの言う通りだった。アリスはすぐに、目の前の人物が誰であるか悟った。

 柔らかな薄茶色の髪。シルバーグレーの双眸は、朝の光を取り込んで、真夜中にしんしんと降る雪のように輝いている。アリスより頭半個分は大きい背丈。

 ヘンリーがアリスの目の前まで歩いて来ると、見上げる形になる。


「おはよう、アーサー。今日も早いな」

「へ、ヘンリーこそ、早いじゃないか」


 近衛騎士とは王家直属の騎士で、強さはもちろんだが見目も重要視される。アーサーだってイケメンなのだが、ヘンリーにはアーサーや他の人間とは違う、人の心を惹きつけるものがある。

 その美貌に負けてか、アリスは思わず後ずさる。

 ヘンリーはアリスの様子を不思議そうに見つめる。その瞳は全てを見透かしていそうで、慌てて口を開いた。


「く、訓練場に行くんだよね? 一緒に行こうよ」

「……そうだな。せっかくだし、久しぶりに朝練でもするか」


 朝練。

 いきなり剣を交えるということか。よく剣を交えているのならば、アーサーと大きく離れた剣さばきでは気づかれてしまうかもしれない。

 アーサーの剣はどうだっただろうかと、アリスは空を仰いだ。


 王城に勤める騎士が扱う、騎士剣術という決まった形はあるが、剣さばきは人それぞれ違う。

 風のように軽やかに剣先を遊ばせる者もあれば、氷の刃のように鋭い者、騎士剣術を忠実に守る者など様々だ。

 それらはすべて、剣を扱う人間が、剣に対してどういう気持ちで向き合っているかが見えてくる。


(お兄様は、剣が大好きな人だ。剣が大好きで、人一倍忠誠心が厚い人。だから)


 二人の足は、迷うことなく訓練場へとたどり着いた。

 砂の地面を囲うように、低木が植えられている。今はその低木の季節なのか、白い花が咲き乱れていた。

 この低木は、騎士団によって異なるという。近衛騎士団は白がイメージカラーなので、花も白なのだ。


 アリスは顔を上げた。近衛騎士見習いの訓練場に面した青冠塔の二階部分が、突き出ている。白い柵で囲われているバルコニーだ。そこは王族が利用する、ティースペースのような場所になっている。

 休憩がてら近衛騎士見習いの訓練を見て、次回は誰を近衛騎士へ昇格させるか目星を付けておくらしい。

 アーサーは既に目をつけられているだろう。ここで失態を犯すわけにはいかないなと、アリスは心の中で誓った。


「アーサー」


 名前を呼ばれて、顔を戻した。

 ヘンリーが剣を二本、携えている。一本はヘンリーが、もう一本はアリスに。


「これは刃を潰してある。当てても実際には切れないから安心するといい」

「うん」


 アリスはヘンリーから受け取って、その剣を眺めた。

 刃の部分には何度も打たれたような半月の跡があって、太陽の光を浴びて鈍く光っている。一度、ひゅんと空を切ってみる。

 アーサーの剣さばきを、そっくりそのまま真似できるとは思わない。でも、大きく外すこともないだろう。なぜなら、アリスはアーサーの双子の妹。何度もその剣は見ているし、実際に手合わせだってする。


 すっと、手元の剣から正面に立つ男に視線を移す。

 アーサーに、できるだけそばにいるようにと言われた人物。それほどに、ヘンリーという男に信頼を置いているということなのだろう。

 アリスは顔を引きしめて、剣を構えた。アーサーはこの男のどこに、信頼が置けると判断したのか。その者が操る剣には、興味があった。


「やる気満々って感じだな。いいだろう、かかってこい」


 ヘンリーも剣を前に構えて、楽しそうににやりと唇の端を持ち上げた。


 ――たぶん、ヘンリーは強い。

 細身で優男のように見せかけている割に、体感はしっかりしている。それに、アーサーを相手にしてもこの余裕。ちょっと腹が立つ。

 アリスも負けじと笑った。


「そう。じゃあ遠慮なく!」


 大きく踏み込んで距離を詰め、剣を横に振り払う。が、難なくそれは受け止められてしまう。

 アーサーが得意としていた動きだったが、アリスが慣れていなかったのか、ヘンリーが慣れていたのか。まるでその動きなど読んでいたというように、いとも簡単に。


 刃のぶつかった反動を利用して、アリスは後ろに飛んで下がる。靴が地面に擦れて、ざりりと音を立てながら砂を巻き上げた。


(いくら刃を潰してあるとはいえ、コイツの剣をまともに食らったら絶対痛い……!)


 痛いのはごめんである。

 アリスであれば、ここでをしていただろうが、今はアーサーなので堪えた。きっとアーサーなら、ここでもう一度立ち向かう。

 ……そもそも、あの時点で後ろに下がることもしていなかったかもしれない。


 アリスは再度、地面を蹴った。下から上へ、空気を切り上げるように剣を振るう。アリスの繰り出す攻撃は、全て受け止められ、いなされる。ヘンリーがアリスへ攻撃することはなく、全て受け身だ。


(バカにされているの? それとも、ただ機会を窺っているだけ?)


 真意が全く分からない。

 眉根を寄せて、大きく振り下ろした剣が受け止められた時――


「――……ふぅん」


 感情の読めない、吐き捨てるような声にアリスは顔を上げて、両眼を見開いた。失望したような、心底残念そうな目がそこにはあった。

 何か、間違えたのだろうか。


「そう……君の剣は、いつもそうだったな」


 静かな声だった。その言葉が耳に入った時には、アリスの剣は弾かれ、傍らに落ちる。

 あ、と思った時には、喉元に剣先が突きつけられていた。

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