第6話 星
午後、私が訪問すると、どの農家さんもほっとした顔で歓迎してくれた。
状況がわからない上に明確なガイドラインがなく、農家さんたちも心細さを抱えて牛の世話を続けていたんだと痛感する。
特に発電機がない牧場が困り果てており、私はできるだけ牛乳が作り出されないよう餌を変える、水を与えすぎないなど、可能な限りの最善策を説明した。
それしかできないことに、もどかしさを感じながら。
往診を終え、ヘロヘロで診療所に戻ってきたのは夜22時。
駐車場でエンジンを止めてしまえば無音の世界が訪れる。
さらにライトを消すと、広い敷地が途端に真っ暗になった。
「暗っ……お月様もうちょっと頑張って!」
思っていたより月の光は明るくない。
周囲が見えないせいで、やたら大きく聞こえる虫の声。
背中にゾクッと恐怖が忍び寄り、考えが悪い方に引っ張られる。
「怖っ!」
ゾンビ映画なら死亡フラグだよ……。
っちゅーか、こんな時にゾンビなんて思い出すな、私!
「スカーイフィッシュとチュッパ〜カブラ〜、僕は僕でいいんだよ〜♪」
想像の中のゾンビを追い払うよう、わざと明るく歌を歌って車を降りた。
一歩踏み出した途端、ガサッと音を立てる草むら。
驚いた私は「ヒィッ」と飛び上がる。
「だだだだ、誰だ! 名を名乗れ! ……キタキツネか? 驚かしおって。かかか、かわいいやつめ」
姿は見えなかったが、多分キタキツネだ。
キタキツネに決まっている。
そう信じた私は、携帯のライトであたりを警戒しながら早歩きで入り口を目指した。
「チューチュッチュッチュッチュパカブラ〜……いま戻りましたぁ!」
特に何にも襲われることなくたどり着いた診療所の中では、所長と今日の当直が懐中電灯の下で情報の整理をしていた。
私が声をかけると、二人が顔を上げてこちらを向く。
「その変わった歌は篠崎か。遅くまでご苦労さん」
「所長、まだいたんですね」
「ああ、一応な。何か変わりあったか?」
「ゾン……いえ、午前と大きくは」
危なっ。
間違って「ゾンビはいなかった」と言いそうになった。
だいぶ疲れてるな。思考回路カムバック。
私は足元に注意しながら、ゆっくり手探りで所長たちのいる机へ向かった。それに気づいた所長が、懐中電灯を私の足元に向けてくれる。
「他の人たちは、もう帰ったんですか?」
「帰ったのもいるが、まだ戻ってないのもいる」
本来なら、私も所長もとっくに帰っている時間だ。
宿直の職員がニヤッと笑って補足を加える。
「帰っていいって言ったのに、みんなが帰ってくるまで待ってるって聞かなくてさ」
「……所長ってそういうところありますよね」
「そうそう、ちょいちょいカッコいいんだよな。まさに理想の上司だよ」
親しみを込めてクスクス笑う私と職員に、所長が苦笑する。
「おいおい、あんまり年寄りをからかうなよ」
さっそく、私は今日見てきたこと、やってきたこと、感じたことを報告した。
すると、ちょっぴり気持ちが整理され、スッキリしていくのを感じはじめた。
……あぁ、だから所長は残ってくれてたのかな。
少しだけ談笑して心の落ち着きを取り戻した私は、所長にお礼を言って家路に着くことにした。
「国道453号線は、千歳市、
車内に流れる無機質な女の人の声を聞きながら、対向車のいない道を走る。
本当にここは別海町だろうか。
車のライトだけでは視界が狭く、まるで見知らぬ場所を走っているかのようだ。
「新しい情報はナシか……」
いつ停電が復旧するのか情報がないまま、マンションに到着してしまった。
ライトを消すと、先の見えない不安が暗闇をさらに暗く見せる。
それとは対照的に、まぶたに鮮明にうつる、農家さんたちの辛そうな顔や苦しそうな牛の姿。
……このまま電気が戻らなかったらどうしよう。
ハンドルにもたれて想いにふけっていると、涙が込み上げてきてしまった。
いけない。
まだ負けちゃダメだ。
私は涙がこぼれないように、無理やり顔を上げた。
「あ」
思わず声を漏らして車のドアをあけた。
「うわぁ……すごい星……」
頭上をうめつくす満天の星空。
あかりが全て消え失せた北海道の空に、見たこともない数の星が輝いていた。
地上の暗闇を少しでも照らそうと、星たちが頑張っているみたいだ。
車を降りた私は、ドアにもたれかかって空を仰ぐ。
「知らなかった。星って、こんなにたくさんあったんだ……」
宇宙からの思いがけない声援を受け、沈んでいた気持ちがわずかに上向いた。
「……農家さんも牛たちも頑張ってるんだ。私も、最後まで戦わなきゃ」
よし、と気合を入れ直した私は、カップラーメンの入った袋と診療所で汲んだペットボトルの水を肩に担ぎ、携帯のライトを灯してマンションの階段を登った。
家に着き、往生際悪く冷凍庫を開けてみる。
そして諦めていたハーゲンターツを手に取った。
「んあっ⁉︎ まだ食べれるじゃん! やったぁぁぁ!」
ドロドロのクリームの真ん中に、奇跡的に一口分だけ形を残している。
すぐにスプーンですくって、アイスの生き残りを食べた。
「うぅぅ……美味しいよぉ、美味しいよぉ……」
心と体に糖分が染み渡る。
一息着くと、ガスコンロでお湯を沸かした。
農家さんに感謝しながら、つたない明かりでカップラーメンを作る。
いつもより長く感じる3分間。
もう一度、カーテンのかかっていない窓から空を見上げ、プシュッとぬるくなったビールをあけた。
「明日は電気が戻ってるといいな……」
わずかな希望を胸に、赤く点灯する電池の残量を見てため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます