第4話 予兆

 往診1軒目。


 この牧場は発電機を持っていた。

 広い牧場に、いつもと違う重低音が鳴り響いている。


 電力は弱いが、搾乳機や水のポンプなど飼育に必要な機械を交互に動かして対応できたらしい。

 それでも、300頭もいるから一苦労だったようだが。


「冷蔵庫のものもなんも全部ダメになるから、今日は庭でジンギスカンだ。篠崎先生も食べてくか?」


 診察を終えた私は、農家さんが指をさした方に顔を向けた。

 牛舎の向こう側にある自宅の前で、お母さんとお孫さんが七輪の炭をおこしている。


「ありがとうございます。でも、まだ回るところがあるので、お気持ちだけいただきます」

「んだよなぁ。こんな時だもんなぁ。だけど、ほとんど店もあいてないし、かろうじて開店してる店は長蛇の列みたいだぞ?」

「うわ、そうなんですか⁉︎」

「んだ。食べ物も飲み物も売り切れ始めてるってよ。あと、懐中電灯、電池、ろうそくも。さっき様子見から帰ってきた孫が言ってたんだ。たんまり残ってたのは酒だけだと」


 核家族が多い都会と違って、農家は拡大家族が多い。

 この家も三世代で農場を経営しており、同居してるお孫さんが車で町の様子を見て来たらしい。


「んげっ! それはやばいですね……。ど、どうしよう。ビールはうちに沢山あるんですけど……」


 どこかに小さい懐中電灯があった気がするが、食べ物は……卵があったかな。あと、パックのご飯。食べ物はそのくらいしかない気がする。


 一人暮らしの私は毎日料理をする習慣がないので、食材を買い置きしても料理しきれずダメにすることが多い。なので、その日に使うものだけを買うようにしているのだが、それがあだになってしまった。


 最悪、輪ゴムを醤油につけて飢えをしのぐしかないか……。


 食べ物がないことに加え、みんなが買い出しに走っているという話がさらに不安を掻き立てる。

 深刻な顔で考えていると、それを見ていた農家さんが笑い出した。


「はっはっはっは! んだら、うちのカップラーメンでも持ってけ。かあちゃーん、カップラーメンあったよな? 全部持ってきて篠崎先生に渡してやれや」

「あ……ありがとうございます! 本当に助かります!」

「なんもだ。先生も気いつけてな」


 麦わら帽子の下で、日に焼けた農家さんの顔に白い歯がのぞいた。


 心配していた牛たちに大きな問題はなかったが、それよりも人間の生活の方が大変そうだ。

 私は袋に詰められたカップラーメンを受け取り、何度も頭を下げて一軒目の農場を後にした。




 2軒目。


 この農場は、知り合いから発電機を借りて朝の作業を終わらせたらしい。

 作業は遅れたようだが、牛たちに特に問題はないようだ。

 一通り様子を見て往診を終わらせる。


 思ったより大丈夫かもしれない。

 そう感じつつ、次の農場を目指して社用車のハンドルを握った。

 移動中、雑音が混じるFMラジオの女性の声に耳を傾ける。


「通行止めになっ……いるところを中心にお伝えします。日高道は通行止めです。上下線、苫東とまとう中央インターと日高厚賀ひだかあつがインター……通行止めになっています。そのほか、地震の影響で通行止めになっているのは……」


 びっしり生えたデントコーンの畑と、牧草地に点々と転がる牧草ロール。いつもと変わらないのどかな風景が続く。

 こうして見ると、震度7の地震が起きたとは思えない。


 そのまま車を走らせて交差点に差し掛かった時、点灯していない信号機が目に入った。

 対向車線に、私と同じ方向へ曲がろうとしている車がいる。

 私の車に気がついた対向車が、万が一の衝突を警戒して徐行を始めた。


 右折のウィンカーをあげて一旦停止した私は、手を動かし「先にどうぞ」とジェスチャーをした。

 それを見た運転手さんが、頭をぺこりと下げてゆっくりと前進する。


「本当に大災害になってるんだ……」


 私は助手席のカップラーメンにちらりを目をやり、グッとハンドルを握り直した。






 そして訪れた3軒目。


 牛舎で作業している農家さんの姿を見つける。


「佐藤さん、こんにちはー!」

「あ、篠崎先生、来てくれたんかぁ! いやぁ、停電でしっちゃかめっちゃかだぁ」


 私の顔を見るなり、困り顔で大きなため息をつく佐藤さん。

 首にかけた手拭いで額の汗を拭う。


「本当、大変ですよね。佐藤さんも自家発電を?」

「いんや。うちは発電機がなくて搾乳もなんもできないから、しょうがなくくだ入れたべさぁ」

「管? 導入管どうにゅうかんですか?」


 牛の乳首は乳頭口にゅうとうこうという大きな穴があいていて、一本の太い道が奥まで通っている。

 その乳頭口に管を挿せば、乳を絞らなくても牛乳が管を通って外に排出される仕組みなのだが……。


「んだ。朝から乳はって痛い痛いって鳴くもんだから、かわいそうで。100頭もいるから一頭ずつ絞るわけにもいかないべ? 他に思いつかなくて、もったいないけど垂れ流してるわ」


 日にやけた佐藤さんが苦笑する。


「ちょっと待ってください、あの座ってる牛、もしかしてあの子も?」

「ん? ああ。乳が楽になって落ち着いたみたいだ。そろそろ抜いていいか?」


 佐藤さんは足元で追いかけっこをする子猫の兄弟をまたぎ、牛のところまで行くと「よいしょ」と言って導入管を引き抜いた。

 そして、いつもの搾乳後と同じように牛の乳首を消毒する。


 まずい。

 私は頭から一気に血の気が引くのを感じた。


「すいません! 他にも管を入れている牛がいたら、今すぐ全頭抜いてください!」


 焦る私の声に、驚いた顔の佐藤さんが振り向いた。

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