第42話 卒業式

 三学期の終わり、とうとう翔は卒業式を迎えた。翔は卒業生代表として、答辞を任されることになっていた。僕は、何度も翔のあいさつの練習に付き合おうとしたのだが、翔は絶対に秘密だと言い張り、当日まで原稿すら見せてくれなかった。


 卒業式の朝、翔は今日で最後となる制服にそでを通した。その姿を見ただけで、僕は涙がこぼれそうになった。卒業する本人よりも、僕の方がうるうるしているので、翔はそんな僕を笑った。


「お前はまだ一年、高校生活残っているのに、ここで泣いていてどうするんだ」


「だって、だって、翔は今日高校生活最後でしょ? 淋しいよ」


そんな僕を翔はそっと抱き寄せた。


「俺は一郎のそばからいなくなるわけじゃないんだ。だから、安心しろ。俺が高校生じゃなくなっても、お前の彼氏で居続けるんだから」


翔の言葉に、僕はとろけてしまいそうな気分になっていた。


「うん。僕、翔のこと好き。翔は?」


「俺も一郎のこと好きだよ」


僕らはそのまま、ずっとキスをしたまま抱き合っていた。




 卒業生と在校生は今日に限っては別時間での登校になっていた。僕は一足先に学校へ行った。翔と一緒に歩いた通学路、こっそり手を繋いで乗った電車からの車窓、いつの日か翔に別れを切り出され人知れず泣いた並木道。それぞれの景色にいちいち僕の心はセンチメンタルになる。自分が卒業するわけでもない卒業式にこんなに感傷に浸っている在校生は、全校生徒の中で僕たった一人だろう。


 僕は教室に着いても、ひたすらため息ばかりついていた。


「お前、さっきからはぁはぁうるさい」


前の席の信一がいかにも迷惑そうに僕の方を振り返って怒った。


「ごめん。でも、今日、卒業式だから」


「はあ? 俺らが卒業するわけじゃないだろ? 俺は嫌だね、卒業式なんか。校長やらPTAやら来賓やら長い話を延々と聞かされて、俺らなんて主役でもないからただ座ってるだけ。あんなの苦痛でしかないだろ」


僕はそんな信一の一言にさっきまでの感傷的な気分がすべて打ち壊されてしまった。


「そっか。来賓のあいさつか・・・。あー、確かに苦痛かも。僕らの出番なんて、国歌斉唱と校歌歌うくらいだよね」


「そうだよ。校長とPTAと来賓のあいさつ合わせたら、一時間はあるんだぜ。あんな長ったらしい話が卒業式の半分以上の時間を占めてるんだ。あんなの、無駄な時間でしかないと思うな。俺、とりあえず卒業式の間寝てるわ。一時間くらいの昼寝はできるかな。日頃寝不足だし、そういう意味ではありがたいイベントだよな」


昼寝の時間か。そうだな。僕も寝ていて翔の答辞を聞きのがすことだけは避けないと。


 僕は信一のおかげですっかり冷静さを取り戻し、体育館へ向かった。見ると、保護者席に翔の両親の姿もある。僕はこっそりと二人に手を振った。体育館の周囲をぐるっと、紅白幕が貼られ、ステージの上には学校旗と大量の花が飾られた巨大な花瓶が飾られている。上方には、今年の年号とともに「卒業証書授与式」とでかでか掲げられている。なんだかその光景を見ると、心なしかワクワクした気分になって来た。


 だが、卒業式は一向に始まらない。在校生全員が揃うまで、僕らは延々と座って待たされるのだ。在校生が揃っても、まだ卒業生が舞台裏に揃うまで待たなくてはならない。体育館には大きなオレンジ色に光る電気ヒーターから暖かい空気が送られて来る。僕は普段の勉強の疲れからか、いつしかうとうとし始めていた。


「ただいまより卒業式を挙行いたします」


という司会の教師の一言で僕ははっと目を覚ました。教頭が厳かな足取りでステージへ何度も礼をしながら上がり、開式を宣言する。僕はいよいよだぞ、と緊張してきた。


「卒業生入場」


その司会の教頭の言葉とともに、バッハのG線上のアリアが流れ、体育館の後ろの扉から、卒業生がクラス担任に従えられ、そろりそろりと入場して来た。女性教師は袴まで履いてフル装備だ。その姿が仰々しくて、僕は思わず吹き出しそうになった。しかし、新藤前料理部部長や水沢先輩の姿を認めるたび、今度はセンチメンタルな感情が湧き上がり、僕は何度も泣きそうになった。感情の変化が忙しい。とうとう翔の番になった時、僕の涙腺は崩壊した。


「翔・・・。」


 僕の翔が、僕の大切な翔がこんな晴れ舞台に臨んでいる。翔と過ごしたこの高校での日々が胸の中を去来する。翔とはどんな時も一緒だった。一緒にいっぱい笑って、いっぱい泣いて、そんな一つ一つの想い出が僕の頭の中を駆け巡り、涙がどっと溢れ出した。すっかり感傷に浸ってすすり泣く僕の頭を信一が軽くはたいた。


「いった! 信一、何するんだよ」


「一郎の泣き声がうるさい」


「ちょ、そんな声上げて泣いてなんかいないから」


「ぐすんぐすんうるさいってこと!」


「・・・ごめん」


 信一のおかげでまたもや僕の涙はすっかり引っ込んでしまった。だが、感動もそこまでだった。卒業生はまだまだ続く。拍手をする手がだんだん疲れて来る。最後の卒業生が入場し、所定の位置に着くころには、すっかり手も疲れてしびれて来た。信一など、まるで面倒くさそうに通り一辺といった様子で手をまばらに叩いているだけだ。それに続く国歌斉唱と校歌斉唱までで僕らの役割はおしまいだ。


「卒業証書授与」


司会の教頭の声が響く。これこそが卒業式のメインイベントな訳だが、これも、卒業生全員に卒業証書を渡すのではない。卒業生は名前だけが呼ばれ、証書を受け取るのは代表一人だけだ。翔は代表でもなんでもないから、僕はただぼうっとその様子を眺めていた。続いて来賓の挨拶が始まる。何が言いたいのかさっぱりわからない、自己満足の自分語りが延々と続いて行く。これがいい子守唄になるのだ。信一はすっかり口を開けて寝ている。電気ヒーターからは相変わらず心地よく暖かい空気が運ばれて来る。僕もうつらうつらし始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る