第41話 禍を転じて福となす

 翔は受けた大学のうち、第一志望にしていた国立大学以外の私立大学の二校への合格を勝ち取った。僕は、素直にうれしい気持ちと、これで翔が僕の元を離れて行ってしまうという淋しい気持ちが入り混じっていた。でも、とりあえず、三月まで翔はずっと時間があるので、料理部の活動にも顔を出してくれたり、今までのように毎日お互いの家を行き来する生活も再開した。


 だが、僕の方は相変わらず受験生に一足早くなったようなテスト三昧の日々に少々疲れがたまり始めていた。翔が受験から解放されるのとほぼ同時に、皮肉なことだ。正直、ここまでテストばかりだと、「テスト慣れ」してきてしまう。もう今では、どんなテストでもさして緊張もしないし、テストの直前に一夜漬けで勉強に必死になる、なんてこともない。


 この前の模試なんて、僕は試験中に居眠りを始めるという失態をしでかした。担任の教師に丸めた教科書で頭を叩かれて起こされたのだが、目を覚ますと、答案用紙によだれがべったりと垂れていた。僕は慌てて答案用紙を乾かすことに必死になった。ああいう場合、気付いて早く拭き取れば紙へのダメージもほとんどない。だが、こうやってすっかり居眠りしている間に、知らず知らず長時間よだれなどの水滴がついてしまった紙は、すっかり水分が浸透してしまって乾くまで時間がかかるのだ。


「受験生って大変だね。僕、もう嫌だ。」


僕はそう言って、翔の部屋のベッドに身を投げ出していた。


「翔はいいなぁ。もう、受験から解放されたんだもんね。僕はこれからだよ。あと一年間こんな生活が続くなんて、もう今から嫌だ」


愚痴ばかり垂れている僕に、翔が


「大丈夫だって。俺も一年間なんとかなったんだから」


と優しく励ましてくれた。


「そういえば、どこの大学受けるのか、もう決めたのか?」


「うーん、もう適当な大学書いてる。とりあえず、僕が興味ある学部なんて文学部くらいだし、東京周辺の大学で文学部のあるところをいろいろね。」


「随分、適当だなぁ。まあ、俺だって結局行きたかった大学落ちちゃったしな。ここ行きたいって強く思っていても、落ちたら意味ないし」


「でも、ちゃんと滑り止めの大学受かってるでしょ? それだけで十分だって。いいなぁ。四月から大学生活だもんね」


と僕が言うと、翔はしばらく黙り込んだ。そして、考えを巡らせている様子だったが、


「俺、たぶん、一年浪人するわ」


といきなりそんなことを言い出した。僕は驚きを隠せなかった。


「なんで? もう翔は大学受かったじゃん」


「第一志望には落ちたんだ。だから、俺、もう一度勉強し直して、来年こそはちゃんと合格したい。だって、俺は、ここでちゃんと社会学勉強するって決めたんだ。お前と結婚する未来を切り開きたい。だから、大学行くのが一年遅れても、俺全然大丈夫」


翔の決意は固かった。内心、僕はこの決断にうれしさを感じないわけにはいかなかった。


「てことは、翔は後一年、僕と一緒に受験生するんだね! わーい! 楽しみ」


灰色のつまらなくてキツイだけの受験生活が一気にカラフルに光り出したような感覚だ。


「バカ野郎! 受験生活がどれだけ大変か、お前わかってるのか?」


翔は、浮かれた僕の様子に呆れた表情をした。僕は相変わらずノー天気にはしゃいでいる。


「わかってるって。だって、翔と一緒にいられるんだもん。それだけで百人力だよ」


「あのなぁ、受験っていうのは遊びじゃないんだからな」


「遊びじゃなくても、翔と一緒にいられれば、たまに遊んだりできるでしょ? ずっと一年中勉強だけしてるわけじゃないし」


「いや、わりとそうだよ。そりゃ、一週間で一日くらいは休みたくなることもあるけど」


「でしょでしょ? その一週間に一日の休みを、翔と一緒に過ごすの!」


「ほとんど寝てばっかりだぞ。一週間勉強して疲れるから」


「いいよ。翔と一緒に寝るから」


「はぁ、本当にお前みたいな楽天的なやつっていいよな」


 翔はため息をついたが、案外まんざらでもなさそうな様子だった。実は、翔だって僕と離れて大学生活を送ることに淋しさを感じていたに違いない。これで僕と同時に来年の今頃合格通知を受け取れば、一緒に上京できるのだ。僕らにとって、これ以上のタイミングはない。


 大学に落ちた翔には申し訳ないけど、僕は翔が大学に合格したという知らせよりも、こっちの方がうれしかった。僕、翔と同じ大学受けようかな。そしたら、翔と同級生になるのだ。二人で一緒に大学に行き、一緒に授業を受けて、一緒に帰る。ずっと一緒にいられる毎日を想像しただけで、僕はうれしくなって笑いが止まらない。


「よーし! 僕も勉強頑張るぞ!」


 僕は俄然受験にやる気になり、一気呵成に勉強に取り組み始めた。人間、何かをやる時に、そのやった先に得るものが大きければ大きいほど頑張るものだ。楽しい未来が待っているのであれば、その未来を目指して頑張る気力がいくらでも湧いて来る。今の僕は「無敵」だ。

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