第38話 焦らない

 たっちゃんはこの一件以降、少しずつ自分らしさを部活の外でも取り戻していった。今では、りっちゃんをはじめ、女の子と友達付き合いをすることも許され、キッチンへ立ち入ることもできるようになった。僕らと練習したメニューを、たっちゃんが家族に作ってあげているそうだ。


 ただ、まだ家で女の子の服装をするところまでは漕ぎ着けていない。僕や翔のようなゲイと、たっちゃんのようなトランスジェンダーの区別も、両親ともにちゃんとついていない。言わずもがな、将来、たっちゃんが受けようと思っている性別適合手術の話など出せるわけもない。でも、大きく変わったことは、両親が「男らしく」振舞うことをたっちゃんに厳しく求めることがなくなったということだった。たっちゃんのことを理解しようとする努力もしてくれているらしい。ただ、


「達也を娘として見ることはできない」


とお父さんには再三言われているそうだ。僕は無理もないな、と思う。僕だって、初めて中学生でゲイを自覚した時、周囲からいじめられ、自分でも自分自身を嫌い、受け入れることすら逃げて来たのだ。翔と出会い、付き合うようになってもまだ、僕自身がゲイであることに抵抗感をもち、やっと完全に受け入れることができたのは、高一の冬なのだから。


 たっちゃん自身、女の子になりたいという自分の心を押し殺し、男の子をずっとこれまでの人生で演じて来たのだ。そんな僕ら自身にとっても自分の中で消化するのに時間がかかる問題を、あれだけ僕らのような人間に対して偏見をもっていたたっちゃんの両親がたった数週間程度で完全に受け入れることなど断然無理な話だ。僕の父さは、たっちゃんの両親ほどの偏見はなかった。それでも、カミングアウトからもう九か月が経とうとする今となっても、正直、完全に理解してくれているとは言い難い。


 だけど、僕らは諦めない。僕らが僕らであるために、そんな親や周囲の人と根気よく向き合って話していく。それ以外に道はないのだ。それでも、僕は幸せだ。翔も、湊や嶺くんも、料理部のみんなも、全部僕の居場所なのだ。


 僕は、まだ将来どんな大学に行きたいか、決められていない。でも、一つだけ決めたことがある。それは、こんな僕の居場所をずっと守って行きたい、ということだ。とりあえず、僕は東京の大学を目指すことにした。翔と一緒に、そして嶺くんと湊と一緒に住むことが、僕の今最大の夢だ。


 お前の将来のことは翔とは切り離して考えろ、と言われた。でも、東京には大学だってたくさんあるし、その中で行きたい学部を見つければいいだけだ。別に大学に行くことが人生の目的でもないし、行きたい大学があっても、合格するまで順調に成績を伸ばしていける保障もない。翔と一緒に暮らしていける大学に行くって理由だけでも、十分な理由じゃないか。僕はそう開き直ることにした。




 もう外はいつしか雪が積もる季節になっていた。今年のクリスマスは、料理部員全員でクリスマスパーティーを開催した。今年は、骨付き鶏をグリルしてみたり、ケーキ以外の料理も皆の力もあってたくさん作ることができた。年明けから大学入試が始まる翔や新藤前部長、水沢先輩も招いて、ある意味壮行会のようなパーティーになった。


「因幡くん、すっかり部長らしくなったね」


と、僕は新藤前部長に驚かれた。僕自身としては、ちっとも変ったつもりはないんだけどな。


「今の因幡くん、去年よりさらに生き生きしてる」


と水沢先輩。なんか、先輩たちにここまで褒められると照れちゃうな。


「一郎先輩、最初はちょっと頼りない感じだったけど、本当に優しいし、いい部長さんです」


とりっちゃんが言った。


「やった! じゃあ、僕、頼りがいのあるカッコイイ先輩になれたんだね!」


僕はうれしくなってそう言うと、晃司が笑いながら、


「いやいや、一郎は可愛い先輩だから。すぐ泣いちゃうしね! 僕、たまに一郎が年上だって忘れちゃうよ」


とそんな僕をからかった。


「晃司! 変なこと言うなって」


赤くなって否定する僕をみんなは笑った。


「なんか、因幡くん、すっかり後輩に慕われちゃって、先輩っていうより友達って感じだね」


そう言って水沢先輩が笑った。あーあ。やっぱり僕はカッコイイ先輩にはなりきれないのかなぁ。


「でも、決めるところはちゃんと決めるじゃん、意外に」


と栄斗が言うと、たっちゃんが頷いた。


「わたしにとっては頼れる先輩です。何度もわたし、先輩には助けていただきましたから」


うんうん。二人とも、そういうことを言ってほしかったんだよ。


「問題も結構起こすけどね。夏合宿の時はびっくりしたよ。変に張り切って頼れる先輩になるんだとか言い出してさ。そのくせ、熱出して寝込んじゃって」


栄斗が笑いながら付け足した。それをここで言わないでよ! 皆がどっと笑い出す。


「それに、翔くんと別れた、なんて言い出してさ」


栄斗、そろそろ黙ろうか。


「赤阪くんと別れたの?」


二人の先輩は驚いて大声を上げた。僕は恥ずかしくて俯いた。


「あ、いや。はい。そんなこともありました・・・」


僕にとってはこれらは完全に「黒歴史」だ。


「でも、結構翔くんの責任もあるよ。一郎だけのせいじゃないって。一郎と別れた理由、あれはないよ。ま、そのおかげで、僕は一郎が好きな気持ちを断ち切ることができた訳だから、感謝しないとね」


と晃司が翔に言った。


「わかってるって。俺だって、ちょっとは反省してるんだ」


翔は非常に気まずそうだ。


「でも、結局は二人で元鞘に収まるんだから、やっぱり二人はお似合いなんです。ちょっと抜けたところがあるのもそっくりですし。先輩だけど子どもっぽいところもよく似てます!」


りっちゃんは僕にも翔にも手厳しい。僕と翔は同じタイミングで顔が真っ赤になった。そんな僕らを見て、皆でまた大笑いするのだった。

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