第37話 命の恩人
たっちゃんのお父さんは幸い大きな後遺症も残ることなく、リハビリを経て退院に漕ぎ着けた。退院してから数日後、僕はたっちゃんに翔と二人でもう一度家に来て欲しい、と頼まれた。僕らがたっちゃんの家を訪れると、この前とは打って変わって、穏やかな表情のお父さんがいた。
「君たちが私の命を救ってくれたんだってな。本当にありがとう」
お父さんは僕らに見たこともないほど丁重に頭を下げた。
「いえ、俺たちなんてほとんど何もしてません。近所に住む看護師さんの指示に従っただけです」
と翔が言った。
「それに、僕たちじゃなくてお医者さんが治療してくれたんだもんね?」
僕はそう言って翔を見た。翔はそんな僕に頷いた。
「いやいや。君たちがすぐに助けを呼びに行って、救命措置を施してくれなかったら、わたしの命は危なかったと医者が言っていたよ。本当に感謝している」
そういうと、お父さんは少し気まずそうに、
「それから、あの日、君たちのような人たちのことを頭のおかしい人間だと、とても失礼なことを言ってすまなかった。私は、君たちのことをよく知ろうともせず、手前勝手な先入観で誤解していたようだ」
と言って僕らに謝った。僕らがお父さんのあまりの変化に驚いてポカンとしていると、たっちゃんが部屋に入って来た。
「そうだよ、お父さん。一郎先輩も翔先輩もおかしな人なんかじゃないんだよ。同性愛者でも両性愛者でも、わたしたちと同じ普通の人間なんだよ。だから、社会をおかしくする人たちだ、なんて絶対嘘だからね。それからね、わたし、実は性同一性障害なの。男の子に生まれて来たけど、心は女の子なの。」
たっちゃんはそのまま、僕らの前でいきなりカミングアウトを始めた。僕らもお父さんも驚いて一瞬言葉を失った。
「達也、いったい何を?」
「びっくりさせてごめんね。」
たっちゃんは、そう言って、お父さんのそばに座った。
「わたし、ずっと自分が女の子だと思って生きて来たの。でも、中学生になって、身体がどんどん男の子になっていくのがずっと嫌だった。お父さんにもずっと男らしくなれって言われて来たでしょ? わたし、自分がおかしいんだと思って、ずっと我慢して男らしく振舞おうと頑張ってた。でも、やっぱり自分は誤魔化して生きていけない。だから、お父さんにも正直に言うね」
「達也・・・。お前は私の息子のはずだ。娘のはずが・・・」
「うん。そうだよ。わたしはお父さんの息子。だけど、娘でもあるの。ごめんね。病み上がりのお父さんに急にこんなこと話して。でも、わたしは、お父さんの子どもに生まれて幸せだよ」
そう言って、たっちゃんはそっとお父さんを後ろからハグした。お父さんはなんともいえない表情をしていたが、
「お父さんには、そんな話は理解できない」
と言ったっきり、黙ってしまった。たっちゃんは少し悲しそうな顔をした。すると、そこにお母さんも入って来た。
「無理もないわ。わたしもびっくりしたもの。お母さんだってまだ、その性同一性障害ってもの、よくわかってないわ。でも、あなたのこと、もっと理解するように勉強してみる」
そうお母さんが静かにたっちゃんに告げた。そして、お母さんは僕らの方に向き直った。
「ごめんなさい。わたしは、よくあなたたちのこと、理解できていないのよ。あなたたちも達也と同じ性同一性障害なんでしょ? 大変ね。でも、頑張って生きていくのよ」
僕らは、どう答えていいのか困ってしまった。
「お母さん、違うの。一郎先輩と翔先輩はゲイなの。ゲイの人は心も身体も男の子なんだよ」
たっちゃんがそんなお母さんに説明した。すると、お母さんはさらに困惑した表情になった。
「え、どういうこと? だって、この赤阪さんと因幡さんは男の人が好きなんでしょ? だから、心の中は女の人ってことになるんじゃないの?」
「それが違うの。ゲイの人っていうのはね、男の子の心で男の子が好きな人たちのことなの」
「えっと・・・つまり、どういうことかしら?」
「つまり、男の子で男の子が好きな人ってこと!」
「じゃあ、あなたもゲイってことになるのね」
「だから、違うんだってば! わたしは性同一性障害なの。性同一性障害っていうのはね・・・」
なんだか、話が堂々巡りになってきた。僕らはそろそろお暇することにした。
「たっちゃん、急にそんなこと言われてもきっとすぐには理解してもらえないよ。もうちょっと時間かけて、少しずつ話していこう」
僕はたっちゃんにそう説得した。たっちゃんは少々不満そうにしていたが、渋々頷いた。
「じゃあ、俺たち、そろそろ失礼します」
翔がそう言って立ち上がると、
「あら、もうお帰りになるのね。ちょっと待って」
と、お母さんは奥へ引っ込むと、菓子折りを二つ僕らに手渡した。
「粗末なものですけど、主人の命を助けていただいたお礼です」
僕らはその菓子折りを喜んで受け取ると帰途に就いた。僕は帰り道、たまらずに菓子折りを開封してみた。
「見て見て! 栗羊羹だって。めっちゃおいしそう!」
「コラ、一郎! 道の真ん中ではしたないぞ」
そう僕を諫める翔も栗羊羹にくぎ付けだ。
「一つ食べちゃおっと」
僕は中から一つ羊羹を取り出すと口放り込んだ。口いっぱいに羊羹の甘さと栗の風味が広がった。これ、絶対に老舗のいい店で買った高いやつだ。
「めっちゃ甘い! はぁ、最初はたっちゃんのお父さん、感じ悪いなぁって思ってたけど、こういうものもらえるんだったらいくらでも助けちゃうよね」
「お前、現金だぞ」
そう言いながら、翔は僕の開けた包みから勝手に羊羹をもう一個取り出して、僕が止める暇もなくさっと口へ放り込んだ。
「あ、ずるーい! それ、僕がもらったやつなんだけど。翔は自分の分があるでしょ?」
文句を言う僕に、翔は口いっぱいに羊羹を頬張り、うまく口がきけない。
「ひどいよ、翔。僕にはしたないとか現金とか言っておきながらさ。お返しに、翔のもらったやつ、後で一個ちょうだいね」
僕がぶつくさ文句を言っていると、
「お返し」
と、翔がそっと僕の唇にキスをした。僕の顔が真っ赤に染まる。
「もう、翔のバカ! そんなもので誤魔化されないからね!」
翔はペロっと舌を出すと走り出した。
「あ、待て!」
僕も翔を追って全速力で走り出した。翔、食べ物の恨みは怖いんだからね! 後で覚えてろよ!
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