第七章 生きたいように

第35話 寒空の下で

 雪が降り出した。季節は移ろい、十二月になった。僕は、マフラーを首に巻くと、学校へ向かって家を出た。厚着をしていても、やはり寒いものは寒い。僕がガタガタ震えながら歩いていると、そっと翔が僕を抱き寄せた。


「これならちょっとは温かいだろ?」


 僕はうれしくなって、翔に抱き着いてキスを交わした。もう人目など気にすることなく、僕らは二人で肩を寄せ合い、時にいちゃつきながら学校へ向かった。冬の寒さは嫌いだけど、こうやって翔と密着できるのは冬ならではの魅力だ。夏は暑くてどうしても密着するのがつらいからね。あ、でも夏は肌の露出が多くなるから、直接翔に触れられる部分が増えるのが魅力だよ。


 もう大学入試まで二か月になろうとする今、僕と翔とのデートはこの通学の時間のみなのだ。相変わらず、僕は翔の家に週に何回か泊まりに行く生活を送っているが、翔だけではなく、最近は僕の方でも「大学受験まで後一年」という教師たちに煽られ、にわかに勉強が忙しくなってきていた。だから、この何気ない登下校時は貴重な恋人同士の時間なのだ。


 部活が終わると、僕は決まって学校の自習室に翔を迎えに行く。そこで翔は、僕が部活をしている間、勉強しながら僕を待っていてくれるのだ。僕も、自習室の生徒が全員下校するまで自習室で宿題をやり、翔と二人きりになってから、誰もいなくなった校舎で抱き合い、キスをしてから帰った。こっそり学校の中で恋人っぽいことをする、というのもドキドキしていいものだ。


 そんな平和な日々が続いていったのだが、ある時、その事件は起こった。


 僕が翔と一緒にすっかり暗くなった通学路をいつものように肩を寄せ合いながら駅へ向かう途中、赤信号で止められている時間を利用して、抱き合ってキスを交わしていた。と、その時、


「赤阪くん? 因幡くん?」


という声に、僕らは驚いて互いに離れた。振り返ると、そこには、なんとあのたっちゃんのお父さんが立っているではないか。


「君たち、いったいこんなところで何してるんだ?」


お父さんの声が微妙に震えていた。これはまずいことになった。一番見られてはならない人に、見られてはならない場面を見られてしまったのだ。


「あ、いや、その・・・最近寒いじゃないですか。だから、その温まろうって・・・」


「そうそう。別に俺たち怪しいことしてるわけじゃないですよ」


僕と翔は苦し紛れに言い訳をしたが、たっちゃんのお父さんは僕らを冷たい目でギロリと睨み、


「そうだったのか。達也の男友達というのは、そういう友達だったんだな」


と言った。


「そういう友達って、僕たち、何もたっちゃんにしてないですよ」


「たっちゃん? なんだね、その甘えくさったような呼び方は! 高校生の男子生徒が友達を呼ぶときは、くん付けで呼ぶものだ。そんなふざけた呼び方、普段からしているのかね?」


僕は返事に窮した。すると、お父さんは僕らを交互に眺めながら、


「そうか。そうやって君たちが達也をたぶらかして、女みたいに振舞うようにそそのかしていたんだな? もしかして、達也にいかがわしいことを教えたりしているんじゃないだろうな!」


と責め立てた。ひどい偏見だ。僕はなにか反論しないと気が済まないと思った。だが、僕がなにか言うより先に、翔がお父さんの前に歩み出た。


「俺たちはなにも達也くんにしていません。確かに、俺と一郎は付き合ってます。お父さんがおっしゃっていた社会的におかしいホモってやつです。でも、だからといって、達也くんにはなんの関係もないことです。俺が好きなのは一郎だけですから。いかがわしいことってなんのことかわかりませんけど、達也くんと俺たちは大切な友達です。友情にホモも何も関係ありません。人と人との関係です」


だが、そう翔が反論すると、たっちゃんのお父さんは完全に逆上してしまった。


「なんだと、この頭のおかしいホモ男が! 誰に向かって口をきいているんだね? 私は、私は・・・」


翔につかみかかりそうだったたっちゃんのお父さんは、突然、胸を押さえて苦しみ始めた。


「あ、ああ! 痛い痛い!! ああ!!」


そう叫びながら、お父さんは倒れ込んでしまった。僕は一瞬、何が起こったのかわからず、ぼうっと立ち尽くしていた。すると、翔が僕に急いで


「一郎、近くの人に助けを求めろ。俺は救急車に電話する」


と指示した。僕は頷くと、近くの民家に助けを求めて回った。近所の看護師をしているというおばさんとともに、僕が現場に戻ると、たっちゃんのお父さんは、その場に倒れ込んでいた。翔は119番に電話をし終え、倒れ込むお父さんを支えていた。


「呼吸しているか確認して!」


おばさんがそう叫んだ。僕たちはその指示に従った。


「呼吸、してない・・・」


翔は震えながらそう言った。すると、おばさんは翔を押しのけ、人工呼吸を始めた。そして、


「あなた、AEDを持ってきて!」


と、僕に指示した。


「でも、でも、AEDなんて、僕、どこにあるかわかりません」


僕があたふたしていると、


「そこの向かいのコンビニにあるから。早く!」


と指示され、僕は一目散にコンビニに向かって駆けだした。コンビニの店員さんにしどろもどろになりながら状況を伝えると、店員さんが急いでAEDを持って僕とともに現場に駆け付けた。現場では、翔がおばさんの指示で心臓マッサージを施していた。


 AEDが到着すると、すぐに、僕と翔はおばさんの指示で装置を取り付けた。おばさんがスイッチを押す。電気が流れ、お父さんの身体がドクンと揺れた。僕はビクッとして思わず後ずさった。そんな僕をそっと翔が抱き止めてくれた。その後も何度か心臓マッサージやAEDを試したが、なかなかたっちゃんのお父さんは息を吹き返さなかった。


 ほどなくして救急車が到着した。僕と翔はお父さんに同乗して病院へ向かうことにした。病院に着くと、慌ただしく、たっちゃんのお父さんは処置室へ運び込まれていった。僕と翔は病院の待合室に座り、たっちゃんたちが到着するのを待った。


 しばらくして、たっちゃんとたっちゃんのお母さんが病院に駆けつけた。


「お父さん、お父さんは⁉」


たっちゃんは気が動転している様子で僕らに尋ねた。


「今、処置室で治療してもらってる」


と僕が答えていると、処置室の中から医者が出て来た。


「ご家族の方ですか?」


「はい。そうです」


「ちょっとこちらへ」


二人は医者に伴われて、慌ただしく中へ入って行った。

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