第19話 新たな「想い人」

 その日から、すっかり僕の世界は色褪せた。何を見ても無味乾燥で面白くない。ちょっと考え事をすると翔のことを考えて涙が溢れて来る。僕は、授業中もずっと空を眺めては一人でこっそりと泣いていた。


 部活でもすっかり抜け殻のようになった僕は、みんなに心配された。でも、何を聞かれても、僕は決してその理由を口にしなかった。口にした瞬間、僕は泣いてしまうであろうことが容易に想像できたからだ。


 そんな僕を心配した晃司が、部活終りに僕と一緒に家に帰ってくれた。しかし、ずっと黙ったまま歩き続ける僕に、晃司はしびれを切らせて尋ねた。


「いちくん、いい加減にしてよ。ずっとそんな感じでめそめそしてるから、みんなも心配してるんだよ。全然理由も言ってくれないし、どうしたの?」


「ううん。なんでもない。なんでもないから、気にしないで」


僕の返事は無機質そのものだった。


「なんでもないわけないでしょ。もしかして、翔くんとのこと?」


その名前を聞いた瞬間、僕の目から涙がぶわっと噴き出した。


「その名前を出さないで! その名前を出さないで・・・。頼むから、その名前をもう出さないでよ・・・」


僕はその場で子どものように泣き出してしまった。晃司はそんな僕の様子にすべてを察したようだった。


「あのさ、いちくん。今日、僕、いちくんの家に行ってもいい?」


晃司はいきなりそんなことを僕に言い出した。


「え?」


「僕、今日、いちくんの家に泊まるね。いいでしょ? いいよね? うん。じゃあ、行こう」


僕がいいとも悪いとも返事する前に、晃司は僕の手を引いて歩き出した。


 晃司は勝手に僕の家に上がり込むと、ぼうっと立ち尽くす僕を横目に、


「待ってて。僕、なんか作るから」


と言うなり、冷蔵庫の中をがさごそ弄り始めた。勝手に僕の家の冷蔵庫を漁る晃司を止める気力もなく、居間のソファに寝転がってテレビをつけるでもなく、僕はただ横になっていた。


「できたよ」


しばらくすると、晃司はそう言って、僕の手を引いて食卓に連れて行った。見ると、ご飯と味噌汁、そして野菜炒めが並んでいた。


「これ、全部晃司が?」


「うん。うまくできているか、自信はないけどね」


晃司はそう言って恥ずかしそうに笑った。


「いただきます」


僕らは一緒に食卓を囲った。僕は晃司が初めて自分一人で作ったという野菜炒めを口に含んだ。しょっぱい!


「晃司、これ、塩入れすぎ」


「あ、やっぱり? ちょっと塩加減間違ったかな、って思ったんだ」


僕らはそこで顔を見合わせて笑った。そこで僕は初めて自分が笑っていることに気が付いた。翔に別れを告げられて以来、何日ぶりに僕は笑ったのだろうか。それに、何日ぶりに、まともなご飯を食べたのだろう。僕はしょっぱい野菜炒めと、これまた味の薄い味噌汁、水を入れすぎて半分お粥になったご飯を一気に平らげていた。


「あ、いちくん、全部食べてくれたんだね!」


晃司がうれしそうに言った。


「あ、本当だ・・・」


「本当だって、食べてた意識ないの?」


晃司はクスクス笑った。僕も一緒になって少し笑ってから、


「ごちそうさま」


と晃司に言った。晃司はうれしそうに僕に抱き着いた。


「なんだよ、急に。晃司も早く食べちゃえよ。僕、お風呂入れて来るから」


「あ、お風呂、僕もいちくんと一緒に入る!」


「え、二人で入れるほどうちのお風呂大きくないよ。別々に入ろ?」


「だめ! 一緒に入るの!」


結局、僕は晃司に押し切られ、一緒に風呂に入った。窮屈な家の風呂で、晃司は何度も僕の身体に触れた。


「だめだって。僕、晃司とはそういうことしないからね。僕と晃司は友達だろ?」


僕は何度も晃司にそう言って止めようとしたが、晃司はちっとも僕の言うことを聞いてくれなかった。


 夜は夜で、僕のベッドの中に晃司が勝手に潜り込んできた。


「狭いって。布団、下に敷いてあるから、晃司はそっちで寝てよ」


そういう僕に、


「嫌だ。今日はいちくんと一緒に寝るの!」


と言って晃司は聞かない。


「もう、だめだってば。僕と晃司はともだ・・・」


「ち、じゃないよ? 僕は、もう、いちくんのただの友達じゃない。これからは、こうだから」


と言うなり、晃司は僕の唇を奪った。は? これは一体どういうことだ。僕はもがいて何とか晃司を引き剥がした。


「何するんだよ!」


「いちくん・・・ううん。一郎。僕、一郎のこと、好きだよ」


 晃司はぎゅっと僕を抱きしめた。え?  一郎? 今、確かに晃司は僕のことそうやって呼んだよね? しかも、「好き」って言わなかった? 僕は頭の中を整理するのにしばらく時間を要した。


「こ、晃司? ねぇ、冗談はほどほどにしようよ。僕、こんなドッキリ慣れてないからさ。本気にしちゃうじゃん」


そんな僕を晃司は真剣な表情で見つめた。


「僕、本気だよ。冗談なんかじゃないよ。もし、僕の気持ちが冗談だと思うんだったら、これ、見てよ」


 晃司は、僕に携帯の画像メモリを見せた。そこには「一郎」というフォルダがあった。晃司がそのフォルダを押すと、僕のいろんな写真が大量に出て来た。体育祭で応援合戦で踊っている所や合宿で海で遊んでいる姿。どれも、僕が裸になっている写真ばかりだ。中には、合宿で訪れたコテージで、僕が晃司や翔と一緒に風呂に入った時や、水着に着替える時に、僕が全裸になっている姿まで収めてあった。まるで、僕のヌード写真集ではないか。


「これ・・・」


僕は言葉を失った。


「これ見ても、僕が冗談言ってると思う?」


晃司はそう僕に聞いた。りっちゃんに続いて今度は晃司かよ。しかも、翔との関係が危機に瀕している時に限って・・・。


「わ、わかったよ。晃司が本気だってことはわかった。でも、僕は晃司と付き合うのは無理だよ」


「翔との関係はもう終わったのに?」


その言葉が僕の心をズキンと痛ませた。


「終わってなんかないよ・・・」


「じゃあ、なんでそんな顔して泣いてるの?」


「泣いてなんか、ないよ。泣いてなんか・・・」


すすり泣く僕の涙を晃司は優しく拭った。


「今日は一緒に寝てあげるからもう泣かないで。その代わり、僕との関係、一度ちゃんと考えてくれないかな?」


そう晃司は僕に囁いた。

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