第18話 月夜の涙

 僕はその日、何もする気が起きず、食事作りもせずにベッドの中で不貞寝していた。僕はずっと翔にも信一にも言われた言葉を反芻していた。「お前の人生はお前のもの」。確かにそうだ。でも、だからといって、どうやってその僕の人生を決めたらいいのか、いくら考えても答えは出なかった。


 それから、もし、本当に自分のやりたいことが見つかったときのことを考えた。そのために、翔の通う大学とまったく違う、場所も遠く離れたところに行くことになったとしたら。さらに、将来就く仕事場も、翔から離れた場所になったら。僕と翔の関係はどうなるのだろう? そもそも、今、この瞬間、僕と翔の関係は最大の危機を迎えているのだ。翔にあんなに冷たくあしらわれたことなど、付き合い始めて一度もなかった。しかも、別れるだなんて、到底受け入れることができる話ではなかった。


 結局、僕は進路調査票に何も書くことができず、白紙のまま提出した。そのせいで、その日の放課後、僕は担任の教師に呼び出しを食らった。


「お前、これはどういうことだ?」


担任の教師は僕に、白紙の進路調査票を見せながら怒った。


「すみません」


僕はただ謝ることしかできなかった。


「いや、だから、すみませんじゃなくて、お前、将来のこと考えたことないのか?」


「・・・わかりません・・・」


「わからないって、自分のことだろう」


「・・・はい。ごめんなさい・・・」


担任の教師は大きなため息をついた。


「あのなぁ、お前は成績もいいし、このまま頑張っていけば、いい大学に入れるはずなんだ。もっと、どの大学に行けばいいのか、よく考えろ。高三になるのはあっという間だぞ。それまでにしっかり自分の進路を決めて、受験勉強に集中しなかったら、お前、大学受験に失敗するぞ。いいのか、それで」


「じゃあ、先生は、僕がなんで大学に行かないといけないって思うんですか?」


「はあ? お前、何言ってるんだ?」


「僕が大学に行く意味ってなんなんですか?」


「そんなもの、自分で考えろ」


「それがわからないから聞いているんじゃないですか!」


僕の大声に、職員室中の教師たちの視線が僕に集まった。


「大学受験に失敗したら、どうなるっていうんですか? お前の将来のことはお前が決めろってみんなに言われます。でも、そんなこと今まで考えたこともなかったのに、急に言われてもわかりません。僕の将来っていったいなんなんですか・・・?」


僕はここ数週間ため続けた複雑な感情が爆発し、担任に向かってまくし立てた。と、その時、鼻の奥がツーンとする感覚を覚えた。僕はまずいと思ったが、次の瞬間、涙がとめどなくこぼれ落ちていた。そうなると、もう涙の止め様がない。おまけに嗚咽まで漏れて来る。僕は職員室の真ん中で泣くという失態を演じた。


「あのなぁ、泣くなよ。男だろ? もっとしっかりしろよ。因幡は、勉強もずっと頑張ってきたんだから、行きたい大学が決まったら必ず行ける。だから、もう一度、よく考えてみろ。な?」


慰めにもなっていないような慰めだ。担任の教師は結局、僕の質問には何一つ答えてはくれなかった。


 僕は職員室を出ると、重苦しい気分のまま、大抵の生徒が帰ってしまった後の人気のない暗い廊下を歩いて行った。気付くと、僕は三年生の教室の前を歩いていた。いけない。帰り道はこっちじゃないや。僕が慌てて引き返そうとすると、一つの教室の明かりがまだついていることに気が付いた。それは、翔の教室だった。


 僕は、翔の教室を覗いてみた。すると、そこに翔が一人、物思いに耽った様子で窓の外を眺めて座っていた。


「翔!」


僕は思わず駆け寄った。


「一郎・・・」


翔は僕に気付くと、気まずそうな顔をし、通学カバンをつかみ取ると逃げるように教室を後にしようとした。僕はそんな翔を引き止めた。


「待ってよ、翔。昨日、翔のこと、怒らせたの悪かったよ。僕、翔と別れるなんて絶対に嫌だ。翔が別れるって言っても、僕、絶対に別れたりしないよ。だから、もう別れる、なんて言わないで。お願い!」


しかし、翔は僕の方を振り返らずに、


「ごめん。俺、今日も帰って勉強しないといけないから」


と、僕の制止を振り切り、教室を飛び出して行った。


「翔!」


僕も翔を追いかけた。翔が早足で歩くのに合わせて僕も早足になりながら翔に訴え続けた。


「ねえ、昨日、別れようなんて言ったの、嘘だよね? 僕が翔に甘えすぎていたのなら、もうしないよ。僕、ずっと翔のそばにいたいって考えてた。でも、翔がそんな僕が嫌なら、僕、やめるから。だから、僕の彼氏のままでいてよ。ね?」


すると、翔はいきなり立ち止まった。


「いや、もう、俺がお前と一緒にいたくないんだ。だから、ごめん。もう、俺たちの関係は終わりにしよう。悪いけど、これからは、俺の家にも俺の教室にも来ないでくれ。今、この瞬間から、俺たちはもう他人だ。じゃあな」


僕は目の前が真っ暗になった。翔はそのまま、暗がりの中を歩いて行ってしまった。その後ろ姿が涙で霞んだ。


「なんで? なんでだよ・・・。なんでだよ!」


僕はそばにあった並木を拳で何度も叩きながら泣き崩れた。


 もう、僕の将来なんてくそくらえだ。どうにでもなればいい。僕は自暴自棄になり、その日は夜遅くまでゲームセンターで一人、遊び続けた。でも、なにをしてもつまらなかった。こういう時に限って、ユーフォ―キャッチャーがたくさん当たる。欲しくもないぬいぐるみを何個も手に入れ、僕はそのぬいぐるみたちを両手にいっぱい抱えて帰宅した。


「一郎! お前、今何時だと思ってるんだ! こんな時間までどこで何してたんだ!」


父さんがカンカンになって怒っていたが、そんな父さんを無視し、僕は部屋に閉じこもった。そして、ぬいぐるみを部屋の壁に思いっきり投げつけた。そのうちの一つのぬいぐるみが、僕が机の上に置いていた翔と二人で撮った写真立てに当たった。その写真立てが机の上でパタンと音を立てて倒れる。僕はその写真立てを手に取った。月明りに照らされて、僕と翔の幸せそうな笑顔がそこ浮かび上がった。僕の涙がぽたぽたと写真の上にしたたり落ちた。僕はその写真を抱きしめ、その場に座り込んで大声で泣いた。涙も泣き声も止まることなく、ずっとずっと出続けた。

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