第17話 暗中模索

 夏休み明けの授業は憂鬱だ。九月になっても、まだ外は暑い。窓際の僕の席には夕方になると直射日光が当たり、カーテンを閉めてもじわじわ暑さが不快感を与える。それに、翔との関係がうまくいっていないことの憂鬱が重なり、この所毎日気分が晴れることがない。僕は大きなため息をついてぼうっと黒板上の時計が後何分で授業の終了時刻になるのかを追い続けていた。


「因幡、ちゃんと聞いてるか?」


僕はいきなり担任の教師に名指しされ、はっと我に返った。


「はい!」


僕は慌ててそう返事をした。


「じゃあ、今の先生の話をもう一回言ってみろ」


僕は冷や汗が額をつたうのを覚えた。


「・・・すみません。聞いていませんでした」


クラスの全員がそんな僕を見てクスクス笑い出す。


「ったく、しっかりしろよ。もう二年生も半分過ぎるんだぞ。そんなことじゃ、すぐに来年の大学受験になっちまうぞ」


担任の教師は僕の頭を軽く叩くと、


「えー、じゃあ、因幡のためにもう一度説明すると、今から配る進路調査票を記入して、明日までに提出すること。ちゃんと、自分の行きたい大学を考えて書いてくるんだぞ。その結果に基づいて、今度一人一人と面談をする。適当なこと書くんじゃないぞ。いいな?」


と言った。進路調査票か。僕は、将来のことなんか考えても来なかった。どの大学のどんな学部に入りたいかなんて、ちっともわからない。僕は配られた進路調査票をぼんやり眺めながらそんなことを考えた。


「一郎、進路調査票、どの大学書くか、決めたか?」


休み時間になると、信一が僕にそう尋ねた。


「ううん。全然わからない。今から進路決めろって言われても、何も決められないよ。信一はもう決めたの?」


「まぁな。俺は、無難に経済学部でも行って、普通の会社に就職できればいいや」


「普通の会社かぁ。そうだなぁ」


「一郎は勉強できるし、好きな大学だったらどこでも行けるだろ。俺なんかより全然選択肢広そうだけどな」


「よくわかんないや。大学はとりあえず、翔の行く大学か、近所の大学がいいな。でも、どの大学に行くのか教えてくれないんだよね、翔のやつ。どこに行ったらいいのか、僕、全然わからないや」


そんな僕に、信一は真面目な顔をしていった。


「そんなんで本当にいいのか? お前にとって赤阪先輩は恋人かもしれないけど、お前自身じゃないんだぞ。もっと、自分が将来どうなりたいのか、赤阪先輩とは切り離して考えるべきなんじゃないのか?」


「僕の将来か・・・」


僕にとっての将来ってなんなんだろう? 大学に行って何を勉強すればいいのだろう? そもそも、大学に行く意味ってなんなんだろう? 僕は今まで、今生きているこの瞬間にずっと必死だった。将来、どうなりたいか、なんてまともに考えたこともなかった。


 僕はその日、部活の間もずっと心ここにあらず、といった感じで物思いに耽っていた。そのまま家に帰って、進路調査票とにらめっこをしながら一時間以上過ごしたが、どうしてもいい答えが出て来ない。翔も去年の同じ時期、この進路調査票を提出したはずなのだ。いったい、翔はどういう将来を描いているのだろう?


 僕は、思い切って翔に電話をかけて聞いてみることにした。


「なに、一郎? 俺、今忙しいんだけど」


翔は今日もイライラしている様子だ。


「ごめん。ちょっと翔に聞きたいことがあって」


「早くしろよ。俺、今、電話してる時間そんなにないんだからな」


「翔って、進路調査票、去年なんて書いたの? 翔が今目指してる大学ってどこ?どの学部で何を勉強したいの?」


「はあ? なに、急に」


翔の声は一段と苛立った様子になった。


「教えてほしいんだ。前のデートの日の夜にも言ったじゃん。僕は、翔と同じ大学に行きたい。同じ大学じゃなくても、翔と一緒にいれる、近くの大学に行きたい」


「知らねぇよ、そんなこと! 俺だって、今、どの大学に行けるかわかんないのに、くだらない電話してきて俺の勉強の邪魔するんじゃねえよ!」


僕はその翔の「くだらない」という一言に少しイラっとした。


「くだらなくなんかないよ。僕、明日までに進路調査票出さないといけないんだ。だけど、何て書いていいかわからないんだ。僕は、翔のそばにいたい。だから、翔の行く大学を書いて提出しようと思ってるんだ」


すると、電話の向こうで舌打ちが聞こえた。


「お前さ、俺のそばがいいって、いい加減、俺にべったり甘えんのやめろよ。お前の人生だろ? お前が決めればいいことに、何で俺を絡めるんだ。正直、そんな相談は迷惑だ。俺、もう切るぞ」


そんな冷たく突き放した言い方をされたのは、僕は初めてだった。僕は思わず逆上した。


「僕の人生ってなに? お前の人生はお前が決めろってみんないうけど、それがわからないから聞いてるんだよ!」


「それがうざったいんだよ! そんなことまで、俺に聞くな。俺にこれ以上依存するんだったら、俺、もうお前とは付き合ってられない。もう、別れるから」


僕はその言葉に頭の中が真っ白になった。


「別れるって・・・」


「じゃあな」


電話は無情にもぷつっと切られた。


「あ、ちょっと待ってよ! 翔、別れるってどういうこと?」


僕の叫び声だけが部屋に虚しく響き渡った。電話からは、通信が切れた時のプープーという電子音が無機質に鳴っている。僕は思わず、持っていた携帯をベッドの上に思いっきり投げつけた。

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