第12話 無理などしていないのに

 電車に揺られながら、翔が僕の肩に頭を預けて居眠りをしている。相当普段の受験勉強の疲れが溜まっているのだろう。料理部員たちは、一緒にトランプをして遊んでいる。部員たちの笑い声が時たま聞こえて来る。彼らの楽しそうな声を子守唄に、僕は今にもまぶたが閉じてしまいそうになるのを必死で堪えていた。もし、このまま寝てしまったら、部長として示しがつかない。何としても居眠りしている姿だけは見せないようにしよう。


 僕は車窓を眺めながら必死で眠気に耐えていた。快適な車内。翔の気持ちよさそうな寝息。部員たちの笑い声。気持ちいいな。でも寝ないぞ。絶対に寝ない・・・。


__________


「一郎、こっちに来いよ」


と翔の甘い囁きが聞こえて来る。見ると、翔が僕の前に立ち、笑顔で両手を広げて僕を迎え入れようとしている。


「翔!」


「ごめんな。一郎、一人でずっと料理部引っ張ろうと頑張って来たんだよな。俺がそばで支えていられなくてごめん。淋しい思いをさせたな」


翔が優しく語り掛けて来る。僕は思わず翔の胸の中に飛び込んだ。


「やっぱり、僕は翔のそばにいたい。勉強ばかりしている翔は嫌だ。これからはもっと僕のこと構ってよ。淋しいのは嫌だよ」


「もう、一郎は甘えん坊だな。ほら、こっち向けよ」


翔が僕の唇にそっとキスをした。


__________


「一郎先輩! 翔先輩! もうすぐ着きますよ!」


誰かの僕らを呼ぶ声がする。誰だよ。僕と翔を邪魔するやつは。


「もう、うるさいなぁ。今、僕は大好きな翔とキスしてるの。用があるなら後にしてよ」


「何言ってるんですか。乗り過ごしちゃいますよ! 一郎先輩!」


あれ? えっと、僕は一体・・・。その時、僕はパッと目を開けた。僕は翔の膝の上でよだれをたらしながら大口を開けて寝ていた。僕は慌てて起き上がると、口元を拭いた。見上げると、呆れた表情のりっちゃんと、心配そうな表情のたっちゃん、そして顔を見合わせて笑っている晃司と栄斗がいた。


「あ、えっと、僕・・・」


「もう、着きますよ。起きてくださいね」


しまった。僕は慌てて立ち上がった。すると、勢い余って、頭上の荷物棚に思いっきり頭をぶつけた。「ゴンッ!」という音が車内に響き渡る。周囲の乗客が一斉に僕を見た。僕は真っ赤になった。そんな僕の様子を、あの遥さんがさもおかしそうに見ていたが、


「さあ、皆、降りるよ」


と言って、全員を率いて電車を降りていった。僕は慌てて、まだ寝息を立てている翔を叩き起こし、皆の後を追った。


 僕としたことが・・・。この合宿で新しい部長としての僕を見せつけるはずが・・・。僕は自分の頭を何度も叩いた。バカバカ! 僕のバカ!


 遥さんが皆を先導している。このままじゃ、この部活を率いるはずの僕の役目を全て遥さんに奪われてしまう。僕は慌てて前に走り出た。


「さっきは居眠りしてごめんなさい! これからは、僕がしっかりして皆を率いるから。安心してついて来て」


僕はそう言って皆に頭を下げた。


「一郎先輩、何か朝からずっと無理してませんか?」


りっちゃんが心配そうに僕を見て言った。


「大丈夫だよ、りっちゃん。もう、僕は今までの僕じゃないから。もう、りっちゃんの手を借りなくても、僕が部活を引っ張って行くから大丈夫。僕に安心してついて来て」


僕はりっちゃんにそう笑いかけると、


「行くよ!」


と、皆の先頭に立って歩き始めた。


「一郎、大丈夫? なんか、あんたちょっと無理してない?」


と遥さんが僕に尋ねた。遥さんなんかに、僕は絶対に負けない。そのように一方的に対抗意識を募らせていた僕は、


「無理なんかしてません」


とつっけんどんに答えると、どんどん先を歩いて行った。




 駅前では、湊と嶺くんが僕らの到着を待っていた。


「一郎! 翔くん!」


湊が僕らに駆け寄って来た。


「久しぶりだな」


嶺くんが僕に優しく笑いかけた。


「うん、二人ともひさしぶ・・・」


いけない。いつもの僕が出そうになってしまった。


「お待たせしました。僕が責任を持ってコテージまで案内するので、ついて来てください」


そう言って、僕は周到に用意して来た地図を広げた。


「あれ? なんか今日の一郎、悪い物でも食べた?」


湊が僕の顔を覗き込んだ。


「そんなことないです。今日から、僕は変わったんで」


僕は地図を確認しながら答えた。湊はポカンとした表情で僕の顔を見ていた。しかし、それを意に介することなく、


「じゃあ、出発しましょう。ええと、まず駅前の信号を渡って左です」


と僕は皆に呼びかけると、どんどん先へ歩き出した。すると、


「ちょっと、一郎先輩! 鍵を取りに行かないと、いきなりコテージ行っても中入れないですよ」


と、りっちゃんに呼び止められた。


「ああ、そうか。忘れてた・・・」


一同がどっと笑い出した。


「あたし、前にもこのコテージに理沙と来たことあるから、鍵の受付場所知ってるんだ」


と、遥さんが言った。


「やっぱり遥さんは頼りになるね」


「よかった。遥さんがいてくれて」


「りっちゃん、ありがとな、遥さんを呼んでくれて」


皆が口々にそう喜ぶ姿を見て、僕は唇を強く噛んだ。


「なーんだ。いつもの一郎じゃん。安心した」


湊がそんなことを言って僕の周りをぴょんぴょん飛び跳ねている。僕は俯いたまま、遥さんについて反対方向へ歩き出した皆の後を追った。


「一郎、大丈夫か?」


と心配そうに嶺くんが僕に聞いた。


「皆、大丈夫か大丈夫かって僕に聞くけど、大丈夫に決まってるじゃん」


僕は苛立ってそれだけ答えた。


 夏の強い陽射しが容赦なく僕に降り注ぐ。ただでさえ体調の優れない中、無理して出て来た僕の身体は、少しずつこの暑さの中で疲弊していった。それでも、ここで部員に迷惑をかけることなどできない。僕は必死に前を向いた。

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