第二章 春の嵐
第5話 踊る、踊る
僕らの高校では、六月に体育祭が開かれる。運動音痴の僕にとっては、憂鬱なイベントだ。せっかく新たに始動した料理部も、体育祭の練習の期間は活動休止になってしまった。体育祭の準備期間は、クラスも学年もバラバラになり、四つの団に全校生徒が分かれることになっていた。僕と翔は別々の団に所属しているのこともあって、体育祭の練習に今一気が向かない。
昨年は、何が何だかわからないうちに体育祭は過ぎて行った。運動音痴な僕は、その運動神経の悪さから、ほとんどの競技に出場することはないのが救いだ。僕は昨年、全校生徒参加の徒競走と、綱引きという二つの競技にしか選出されなかった。今年も同じく、この二つの競技だけの出場で済みそうだ。
体育祭の中で一番厄介なのが、所属する団による応援合戦だ。僕は何が何だかわからないまま、昨年は上半身裸で慣れないダンスを踊らされたのだ。「因幡は一人だけ踊りが下手だ」と団長に目をつけられ、皆の前で特訓させられた。あんな恥ずかしい思いをもう二度としたくなかった僕は、裏方の仕事に立候補した。裏方で大道具を作る係になれば、本番は大道具類の出し入れをするだけで済む。上半身裸になって恥ずかしいダンスを毎日のようにしごかれる必要もないのだ。
果たして、僕の目論見は大成功だった。裏方の仕事の平和なことといったらなかった。他の裏方の生徒たちと雑談をしながら、のんびりとのこぎりで木材を切ったり、釘を打ち付けたりすればいいだけなのだ。今年は思いっきり体育祭をサボるぞ、と意気込んでいたところ、別の団の晃司から携帯に画像がたくさん送られてきた。見ると、応援合戦の練習をする男子生徒たちがの写真だった。「イケメンの裸見放題で目の保養です!」などとメッセージも入っている。おいおい、本当に晃司ったらお盛んだよな。楽しそうで何よりだ。僕はクスッと笑って、「盗撮なんかしてないで練習に集中しとけ」と返信した。
とその時、料理部で唯一僕と同じ団に所属するたっちゃんが切羽詰まった様子で裏方の現場に飛び込んできた。
「一郎先輩、助けてください!」
そうたっちゃんが僕に泣きついて来た。
「落ち着いて。いったい何があったの?」
僕はたっちゃんを落ち着かせながら尋ねると、たっちゃんは泣きながら、
「わたし、応援合戦なんか出たくありません!」
と言った。そうか。たっちゃんはどんなに自分を女の子だと自認していても、学校に登録されている性別は男だ。男子生徒で応援合戦に出演する生徒はすべからく上半身裸になることを強要されるのだ。たっちゃんにとっては拷問のような仕打ちだろう。
「そうか。そうだよね。だったら、団長さんに言って、裏方に回してもらえばいいんじゃないかな?」
そう僕は提案したが、たっちゃんは首を横に振った。
「もう、団長さんに応援合戦に出なくてもいい係にしてほしいって頼みました。でも、もう決まったことだからだめだって言われたんです」
そういえば、僕は去年の応援合戦の時、裏方に回る選択権は与えられていなかったことを思い出した。一年生は、全員、誰がどんな役割を担うのか、先輩がすべて決めてしまうのだ。だから、たっちゃんが応援合戦の出演者に選ばれたら、必然的に踊るしかないのだ。
でも、このままたっちゃんを裸で躍らせるわけにもいかない。僕は、団長に相談してみることにした。しかし、団長は僕の相談にまともに取り合ってはくれなかった。
「ダメだダメだ。もう、全員の踊るポジションまで決まってるんだ。もし、大神が抜けたら、その分、ダンスに穴ができるだろ?」
だが、ここでおいそれと引き下がるわけにはいかない。
「お願いします。裏方の仕事に回させてあげてほしいんです」
ただならぬ僕らの様子に周囲の生徒たちが野次馬に集まって来た。
「いや、だから無理だって。大体、大神は何で応援合戦したくないわけ?」
団長が訝しげにたっちゃんに聞いた。
「上半身裸になるのだけは絶対に嫌なんです!」
たっちゃんはそう叫んだ。周囲の皆がざわついた。
「はあ? なんだ、その理由? そんなワガママが通るわけないだろう!上半身脱ぐくらい、文句言わないでやれよ! お前、男だろ?」
団長は明らかに不機嫌そうに怒鳴った。たっちゃんはもう涙目になっていた。このままじゃいけない。何とかしなくちゃ。
「だったら、僕がたっちゃんの代わりに出ます!」
僕は咄嗟にそんなことが口をついて出ていた。
「は? お前が?」
「はい。僕が応援合戦に出るんで、大神くんは裏方に回してあげてください。お願いします」
僕はそう言って大きく頭を下げた。団長は大きなため息をついた。
「そんなに言うんだったら、因幡が代わりに出ろ。その代わり、大神は裏方の仕事、これ以上迷惑かけずにちゃんとやれよ」
あーあ。せっかくゲットしたはずの安寧の地を、結局手放すことになるとは。トホホ・・・。でも、出ると決めたからには、もう嫌だ、などと言っていられない。僕が下手なダンスで衆目の中で恥をかくことなど、たっちゃんが上半身裸を強要されることと比べたら安いものだ。
「一郎先輩、本当にいいんですか?」
たっちゃんが僕に恐る恐る尋ねた。
「うん。いいんだよ。こっちは僕に任せて、裏方行って来な」
僕はそう優しくたっちゃんの背中を押した。
「ありがとうございます!」
たっちゃんは今にも泣きそうな顔で何度も僕に礼を述べた。
だが、これからが地獄の始まりだった。去年と同様、どんくさい僕のダンス能力がいきなり上がるわけもなく、団長に呼び出されては、何度も何度もダンスの特訓が行なわれた。僕は、汗だくになりながら、みんなの前で下手なダンスを踊り続けるハメになった。しかし、継続は力なりとはよくいったものだ。毎日特訓を積んだせいか、少しずつ僕の踊りも様になって来たようだった。
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