第一章 オアシス

第1話 「先輩」

 四月に入り、僕は晴れて高校二年生に進級した。同様に高校三年生に進級した料理部の二人の先輩も、大学受験を控えてそろそろ引退の時期が迫っている。僕は新藤部長から部長の座を引き継いだ。他に二年生がいないので必然的に僕が部長になるだけの話ではあるが。


「ほーんと、三年生になってからテストテスト。やになっちゃう。まだ始まって一か月だよ。春休み終わってすぐに実力テストでしょ、模試でしょ。もう二回もテストあったの。やってらんない」


「ほーんと。それでも成績がよきゃいいよ。わたしなんて、志望校E判定だから。やる気なくなるよね」


料理部の部室でだべりながら新藤前部長と水沢先輩の愚痴が止まらない。


「大変ですね」


僕はひたすら苦笑して聞くしかない。そんなに大変なら、今しゃべってないで勉強すればいいのに、と僕は内心思うのだが、そんなこと、口が裂けても言えない。


「強く生きろよ、少年。来年、まじで地獄だから」


と言って、新藤前部長が僕の肩に腕を回した。あー、これ、ウザがらみが始まる感じかな。そろそろ帰ろう。僕が先輩たちを置いて先に部室を出ようとすると、二人の先輩が僕を引き止めた。


「ちょっとちょっと、部長、何してんの?あなたがこの料理部の唯一の二年生にして、新部長なんだから、部室には最後まで責任もっていてもらわなくちゃ」


飽くまでもこのまま愚痴の聞き役として付き合ってほしいらしい。


「はぁ・・・」


僕は嫌とも言えず、この場に残らざるをえなかった。あぁ、もう早く帰りたい。


 新入部員を獲得するために、僕を支えてくれるという名目で、料理部からの引退を新入部員が入ってからにするという先輩二人だが、いまだに新入部員はゼロだ。先輩たちのしていることといったら、こうやって部室に集まっては日ごろの愚痴を言い合うストレス解消の会と化している今日この頃の料理部だ。


 このまま誰も来ないと、この料理部も廃部かぁ。僕は、正直、もうこの部活は消える運命にあるものだとすっかり信じている。だが、かといって「部長」である僕自身が新入部員の勧誘にチラシを配るなどの努力は何一つしていない。結局、僕も先輩たちも似た者同士。怠け者ってことだ。




 と、その時、部室のドアをノックする音がする。


「どうぞー! 鍵、開いてますよ」


僕がそうドアの方に叫ぶと、恐る恐るといった調子でドアが開いた。見れば、あの信一の弟、晃司くんではないか。相変わらず自信なさそうに、おどおどした様子だ。会うのは、晃司くんの話を僕、翔、湊、嶺くんの四人で聞いたあの日以来だろうか。


「あ、晃司くん久しぶり。元気だった?」


僕が手を振ると、晃司くんも恥ずかしそうに小さく手を挙げた。そんな僕らを見て、


「あれ? 知り合い?」


と、新藤先輩が尋ねた。


「はい。信一の弟くんです」


「ああ、あのとき話してた子ね」


と、水沢先輩。晃司くんは「?」という顔で突っ立っている。


「あ、ごめんごめん。信一から晃司くんのこといろいろ相談受けたときに、部活の先輩に話聞いてもらっていたんだ。この人が、新藤南美前部長、で、この人が水沢咲来先輩」


「あ、どうも」


「よろしくね」


二人がニコっと晃司くんに笑いかけた。


「荒川晃司です」


晃司くんの声は相変わらずか細い。


「なーんか、最初の頃の因幡くんとそっくりだね」


なんて水沢先輩が言う。確かに、一年前はこんな感じで僕もおどおどしていたっけ。


「あなたは新部長なんだから、しっかりしなさいよ」


新藤前部長に激を飛ばされる。


「はい、頑張ります」


僕は照れ笑いをしながら頭をかいた。


「あの、因幡先輩に、これ」


と、晃司くんが差し出したもの。それは、料理部への入部届だった。


 僕と先輩二人は顔を見合わせ、そして歓声を上げてハイタッチを交わした。


「やったー!!」


とうとう念願の新入部員の登場だ。喜ぶ僕たちに、晃司くんはどう反応していいのかわからないといった様子で立ち尽くしている。


「晃司くん、そんなとこ立ってないで、こっちに座って」


僕が空いている椅子を差し出す。


「ありがとうございます。」


晃司くんは恥ずかしそうに小さく会釈し、椅子にちょこんと腰かけた。


「あ、あの、因幡先輩、ちょっとお話が・・・。」


晃司くんはちらちら横目で二人の先輩を見ながら言った。どうやら、僕と二人で話がしたいらしい。


「あ、もしかして、わたしたちお邪魔だった?」


「ごめんね。じゃあ、わたしたちはここで帰るね」


と、先輩たちはそそくさ帰って行った。




「どうしたの? そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」


「あの、この前はありがとうございました」


晃司くんは、深々と頭を下げた。


「いやいや、大したことしてないって。お礼言うなら湊に言っときな」


「はい。でも、因幡先輩にも、僕、お礼ちゃんと言おうと思って。僕、因幡先輩なら、家のこととか、誰にも相談できない話もできると思って」


「うん。何でも聞くよ。遠慮しなくていいからね」


僕は、初めて誰かに「因幡先輩」なんて言われて、有頂天になりそうだった。「先輩」。いい響きだ。なんだか偉くなった気分になってくる。そうだ。これから、僕は下級生ではなくなるんだ。もう、一番年下の子どもじゃない。頼れる先輩にならなくちゃ!


 こうなると、俄然やる気が出て来る。これで、料理部は二人になった。

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