第十章 明日天気になぁれ!

第44話 身近な場所に

 僕が高校に入学して、もう一年が経とうとしている。思えば、この一年間は僕の人生が一番大きく変化した一年間だった。あんなに自己否定を重ねていた一年前から一転、僕は学校で居場所を見つけ、仲間にも巡りあった。僕の心にははじめて平安が訪れていた。


 僕の運命を変えたもの。それは、ずばり翔に他ならない。学校では孤立無援。母さんも亡くし、絶望に駆られていた僕を助けてくれた翔。翔のおかげで、いろんな出会いも経て、僕の今がある。「人」との出会いって、人生における一大イベントだ。たった一人の人が、その人の人生を大きく軌道修正するきっかけを与えるのだ。僕は翔をきっかけに何人も、そんな人に出会うことができた。


 今、教室で話し込んでいる僕のクラスメートで一番の親友、信一も、実は僕の人生を大きく好転させた一人だ。学校生活で初めてできた友達。そして、僕がゲイだと知っても、変わらない関係を続けてくれている、そんな大切な存在だ。


 信一とはいつもは他愛ない話ばかりをしている。今度一緒にゲームしよう、とか、テレビの話とか、信一がハマってる少年漫画の話とか。相変わらず、好いた惚れたといった話題には全く興味のないやつだ。そんな信一がこんなことを僕に聞いて来た。

 

「そういえば、一郎はその後赤阪先輩とは、その、順調なわけ?」


信一が僕に翔との恋バナを聞いて来るなんて、珍しいこともあるものだ。


「うん。まぁ、順調といえば順調かな。喧嘩はするけどね」


「へぇ・・・。付き合うって楽しい?」


「そりゃ、楽しいよ。翔のいない日常とか、僕は考えられないなぁ」


「はは、こんなところで惚気るな」


「ごめん」


僕らは笑い合った。


 だけど、信一のやつ、どういう心境の変化だろう? ただ単に僕と翔の関係に興味があるってことなのかな。でも、なぜ急に? すると、信一がおもむろに切り出した。


「一郎にこんなこと頼むの、申し訳ないんだけど、ちょっと相談に乗ってほしいんだ」


「なに? なんでも乗るよ」


「あの・・・さ。俺の弟なんだけど・・・」


「信一って弟いたんだ」


「あ、うん。いるよ。一人ね。四月から俺らの高校に入学する予定」


「え、そうなの? おめでとう」


「ああ、ありがとう。で、その弟なんだけど、最近、なんていうの?男と男のエロ本っていうか、そういう本を隠していたのが親にバレて、今ちょっと大変なんだ」


僕はびっくりした。こんな身近なところに、僕と同じようなゲイの少年がいるとは思ってもみなかった。


「親、そういうの耐性ないから、今家の中大荒れで、親父は弟のこと認めねぇって弟のこと殴るし、お袋はわたしの育て方が悪かったんだって大泣きするし、弟はあれから部屋にこもって出て来ないし。お前のところはどうなの?」


 信一の弟さんのこの状況、ちょっとまずいんじゃないか?僕でもまだ父さんには言えていないのに、心の準備もなく、いきなりゲイだと家族にバレてしまうのは。そのことを家族が受け入れてくれていないというのは。


「僕?父さんは翔のこと、僕の友達だと思ってるよ。翔の家族もそう」


「お前らいつもお互いの家泊りに行ってるのに? 怪しまれない?」


「どうなんだろ。少なくとも、僕の父さんは大丈夫かな」


「そうか。親にバレた経験はないんだね?」


という信一の質問に僕は頷いた。


「じゃあ、どうしたらいいのかわからんよね。俺も、わからんわ」


信一はため息をつくと、深刻そうに黙り込んでしまった。信一の弟をこのまま放っておくわけにはいかない。何とか力になる方法はないものか。いや、力になってあげることはできなくても、少なくとも話を聞いてあげることくらいはできる。相談する相手もおらず、ずっと自室に引きこもった中学校時代に一人でも僕を理解してくれる人が近くにいれば、少しは違った中学校生活になっていたかもしれない。一人で抱え込むのはあまりにもつらい問題だ。


「わかった。じゃあ、今度、連れておいでよ。話だけでも聞くからさ」


僕がそう言うと、信一の顔が少しだけ明るくなった。


「いいのか?」


「いいよ。どこまで支えて力になってあげられるかわからないけど。相談相手くらいにはなれると思う」


「ありがとう。恩に着るよ」


信一は何度も僕に礼を述べた。




 急にこんな重大な任務を引き受けることになってしまった僕は、信一の弟の相談に乗ると言ったものの、僕一人の力では、信一の家の問題にどこまで力になれるのか自信がなかった。とりあえず、僕は翔に相談してみた。


「へえ。そんなことがあったんだ。俺でよければ、俺も力になるよ」


翔はそう即答してくれた。


「いいの? じゃあ、お願いしよ。僕だけじゃちょっと不安で」


「うん。全然大丈夫。」


よかった。翔はこういう時、いつも頼りになる。ほっとするのと同時に、僕の方こそ翔との関係が親にバレたことはないのか、と信一に聞かれた質問を思い出した。確かによく考えてみれば、僕らも一歩間違えば信一の弟と同じ様な状況に追い込まれる可能性も捨てきれない。


「僕たちの方も大丈夫なのかな?」


「どういうこと?」


「だって、僕たちこんなにほとんど毎日お互いの家に泊まったりしてるわけじゃん? 翔んちは大丈夫? バレてない?」


「いや、バレたらまず一郎に相談するから。親、何も言ってこないし、気付いてないと思う。姉ちゃんは一人暮らししてるから、お前のことそんな知らないし」


そういえば、翔にはお姉さんがいたんだった。僕も一度会ったことがあるくらいで、あまり面識はない。今、東京の会社で働いているらしいし、結婚もしているそうなので、ほとんど翔の実家に帰って来ることがない。


「お前の方はどうなんだ?」


「僕? 僕の父さん、めっちゃいい加減だから、なにも考えてないと思う」


「あはは。それは言い過ぎだ」


翔はそう言って笑った。僕も一緒に笑った。二人でしばらく笑っていたが、翔はいきなり真剣な表情に戻って考え込んだ。


「翔? どうかした?」


「あ、いや。俺たち、このままでいいのかなって思ってな」


「どういうこと?」


「ずっと俺たちの関係、親に隠したままでいいのかわからなくてさ。いずれ、ちゃんと話した方がいい気がするんだ」


そんな翔に、僕の心は複雑だった。学校でカミングアウトをしてしまった僕と翔にとって、僕らの関係を知らない身近な人は家族だけだ。もし、その家族にカミングアウトした結果うまくいけばもう隠し事を誰にもしなくてもよくなる。だが、家族にカミングアウトして受け入れられなければどうなるのだろう。家族に拒絶されたら。そう考えるとどうしても家族の前で僕らの関係をカミングアウトすることには二の足を踏んでしまうのだった。

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