第39話 七転び八起き

 でも、湊のおかげで僕の心はすっと軽くなっていた。


「湊、ありがとね」


僕はそうつぶやいた。


「え? なんだって? 聞こえない。もっと大きな声で」


「湊、ありがとう」


「えー? もうちょっと大きな声で言ってくれないとわからないなぁ」


こいつ、わざと言ってるだろ。


「だから、ありがとうって言ってるの!」


「わーい! 一郎に感謝されちゃった! じゃあ、今度ジュースおごってね」


「え?」


「当然でしょ? 感謝されるくらいのことを僕はしたんだから、そのくらいしてもらわないとね」


今回は「高級旅館」ほど高価なものではないらしい。まぁ、ジュース一缶くらいなら、なんとか、ね?


「・・・わかったよ。今度会ったらね」


「今度っていついつ?」


「今度は今度!」


「明日、明後日?」


「いや、学校あるからさ」


「じゃあ、いつだよー?僕、待ちくたびれ・・・」


と湊が話している途中に湊の話が遮られ、電話の向こうから言い合う声が聞こえて来た。


「なに人の携帯勝手に使ってるんだ!」


「あ、ひどい! 今、一郎くんの大切な相談に乗ってあげてたところなの。まだ話し終わってないんだから、携帯返してよ」


「だめだ。もう充電やばいだろ。早く寝ろ」


「えー? けち!」


あーあ、何やってんだよ、湊のやつ! すると、嶺くんが電話口に出て、


「あー、もしもし。一郎か? こんな夜遅くに湊がすまんな。迷惑かけた」


と言った。


「ううん。大丈夫。僕の方こそ、湊と電話できてよかった。それから、湊から聞いたよ。湊と付き合ってるんだって? おめでとう」


「お、おお。何か恥ずかしいな。でも、ありがとうな。また、今度翔と遊びに来いよ」


「うん! 行きたい行きたい!」


「とりあえず、一郎も早く寝ろよ。おやすみな」


「うん。おやすみなさい」


電話が切られると、僕はだいぶ軽くなった足取りで、自分の部屋に戻った。翔はぐっすり寝息を立てながら寝ている。僕は翔の隣に潜り込み、翔に抱き着いて眠った。弱い僕でも、翔の支えがあれば、弱くてもまた立ち直っていける。そうだよ。翔はいつだって僕にそうしてくれたじゃないか。

 

 母さんの死も、高校で僕がゲイであることがバレた時も、ゲイイベントに参加することを怖がっていた時も、僕が弱気になった時に、いつも翔がそばにいてくれた。翔が、僕が逆境を乗り越えるのを手を貸してくれた。僕は一人ではちっぽけで弱くて情けない人間だけど、翔との絆があるんだ。湊も嶺も僕の味方でいてくれる。


 廉也より、僕はずっと周囲の人には恵まれているはずだ。それだけは誇ってもいい。僕は弱いけど、強い廉也には負けない。負けてもくじけない。また、次を目指して前に一歩を踏み出さなくちゃ。




 翌朝、僕は翔に叩き起こされて目が覚めた。


「一郎、起きろ! 遅刻だ遅刻!」


僕がぼんやりと時計を見ると、時計の針が八時を指している。僕は跳び起きた。


「わわわわ! どうしようどうしよう。あ、そうだ。僕、まだ熱があるから今日休むってことで・・・」


「バカ! 何言ってんだ。もう行くぞ!」


翔は学ランを乱暴に羽織ると部屋を飛び出して行った。


「あ、待って!」


僕も慌てて着替えながら、部屋を飛び出した。


 しかし、僕らは家を飛び出したものの、雪が積もっていて、走ることもままならない。焦る気持ちとは裏腹に、時間だけが過ぎてゆく。


「昨日、翔、早く寝たでしょ? なんで早く起こしてくれなかったの?」


「人のせいにするなよ。お前こそ、昨日一日寝ていたんだからもっと早く起きられただろ!」


僕らは言い合いをしながらやっとのことで駅に着くが、電車が雪で運休だという。時計を見ると、もう一限目の始まる時間だ。


終わった!


僕らは駅のベンチにへたり込んだ。


「どうしよう」


僕は翔のそでをつんつん引っ張った。


「仕方ないな。学校に電話するよ」


翔が高校に電話を入れる。電話し終わると、翔は苦笑しながら、


「今日は学校休校だって」


と言った。僕は一気に身体の力が抜けてしまった。こういうことはもっと早く言ってよね! というか、恐らく朝早くに連絡網が回って来たんだろうが、父さんが仕事に出かけ、僕と翔はまだ夢の中、という最悪のタイミングだったのだろう。


 僕らは再び来た道を引き返した。


「そういえば、一郎、昨日随分遅くまで起きていたみたいだな。何してたんだ?」


なんだ、翔、僕が起きてたの知ってたんだ。


「湊から電話が来てずっと話してたの」


僕の答えに、翔は怒りだす。


「はぁ? なんであいつの電話なんか出るんだよ。またろくな話してないんだろ?」


翔は湊をいつも必要以上にライバル視している。湊が僕にベタベタするのが気に食わないらしい。湊の方は翔のことを特別に何とも思ってなさそうだけど。まぁ、いじりがいがある、とは思ってるかもね。翔の気に障ることをわざとやって楽しんでいるようだ。


「仕方ないじゃん。嶺くんの携帯からかけてきたんだから」


「何で嶺の?」


「湊、嶺くんと付き合うことにしたんだって。昨日はお泊り。それなのに、先に嶺くんが寝ちゃって、湊、つまんないから僕と話したいって。湊、今携帯持ってないから嶺くんの携帯使ってさ」


「そうか。それはよかったな」


翔も心なしかうれしそうだった。しかし、次の瞬間、またプリプリ怒り出す。


「つーか、なんだよ、あいつ。だったら、さっさと寝とけよって話だよな」


「でもね、僕、湊のおかげで翔の本当の大切さを知ったんだ」


翔は怪訝な顔をした。


「それ、どういうこと?」


「僕がもし弱気になった時は、翔がいてくれるから、大丈夫だって。もし、僕が泣いちゃうことがあっても、翔がいてくれるから、次の日には笑っていられるってね」


「湊がお前にそんなことを?」


翔は今一信じられないといった表情だったが、


「ま、もちろん、お前が泣きたい時にそばにいてやれるのは俺だけだけどね」


と、まんざらでもなさそうだ。


「翔、調子に乗りすぎ」


僕がそう言って笑うと、翔は僕の耳をつまみ上げた。


「それはそうと、人生相談を俺の前に湊にするっていうのはどういうことだ? 本当はお前ら怪しい関係なんじゃねーのか?」


「痛い痛い!」


僕は翔の手を振りほどき、いたずらっぽく舌を出した。


「秘密!」


僕はそう言って、雪の中を走った。


「あ、待て! この野郎!」


と、翔が雪玉を投げてくる。雪玉は僕の背中に命中した。


「翔、やったな?」


僕も雪玉を翔に投げる。でも、僕の雪玉は翔に届かずに翔の前に落下したしまった。


「やーい、下手っぴ!」


翔がそんな雪合戦の下手な僕をからかう。


「翔の意地悪!」


僕はたくさん雪玉を作って翔に投げまくった。翔も僕に雪玉を投げ返す。昨夜、湊に僕は雪合戦なんて子どものやることだ、なんて言ったくせに、その翌日に雪合戦をする僕と翔だった。やっぱりまだ二十歳に満たない僕らは子どもなのかな?


 僕らは後日、雪がだいぶ溶けたタイミングを見計らって、花屋で百合の花を買い、僕の母の墓に再び訪れた。僕らは二人で手を合わせた。


母さん、僕のせいで、ごめんね。

だけど、母さんだって僕を置いて、こんな早く死んじゃうなんてひどいよ。

母さんのバーカ!


これで、おあいこだね。驚いた?


えへへ、冗談冗談!


でもね、母さん。僕、もう強くなろうと無理するのはやめるよ。強くなかったから母さんが死んでしまったんだと自分を責めることももうやめる。僕は弱い人間だけど、もし、泣いちゃう時があったとしても、必ずそばで支えてくれる人がいるから安心して。その人を今日は連れて来たんだ。


僕の隣にいるでしょ? 赤阪翔くんっていうんだ。僕にとって今、一番大切な人。母さんも、僕らの関係認めてくれるよね? 母さんは僕のお嫁さんを将来見てみたいって言っていたけど、お婿さんでもいいかな? また、会いに来るね。またね。バイバイ。


僕が顔を上げると、翔が


「一郎、随分長いな。何お願いしてたんだ?」


と尋ねた。


「何もお願いしてないよ。ただ、翔のこと紹介していたんだ」


と僕は答えた。


「へえ。ちゃんと、いい彼氏ですって紹介してくれたか? 優しくてかっこよくて勉強もスポーツもできる完璧な彼氏ですって」


「あのねぇ。それは翔、自分を買い被りすぎだよ」


「なんだとぉ?」


僕らは追いかけっこをしながら走り出す。ところが、僕は雪道で足を滑らせてもんどり打って転んでしまった。


「おいおい、大丈夫か?」


翔が僕のところに駆けつけ、助け起こしてくれる。


「うん。こんな風にね、僕が弱くて倒れちゃったときも、助け起こしてくれるような彼氏ですって言っておいた」


僕がそう翔に言うと、翔は頬をぽっと赤くした。


「あったりまえだろ? 俺は一郎の彼氏だからな」


僕らはそのまま抱き合ってキスを交わした。昨日までの雪雲が嘘のように晴れ渡り、暖かい日差しが僕らに差していた。

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