第35話 悪夢の再来
放課後、僕は花屋に寄り、母さんが好きだった百合の花を買うと、僕は母さんの眠る墓地に立ち寄った。墓に積もった雪を払いのけ、百合の花を生ける。そして、手を合わせると、「また会いにくるね」と、話しかけ、墓地を後にした。今日はずっと感傷的な気分だ。
一人でとぼとぼ雪道を歩いていると、前から高校生の集団がワイワイ歩いて来る。僕はそっと脇へよけて彼らとすれ違おうとした。その瞬間、その中の一人が僕の目に留まった。
それは廉也だった。
廉也を見た途端、僕の心臓は締め付けられるような痛みが襲い、呼吸が荒くなった。僕はがたがた震え出した。中学校の頃にいじめられたあの恐怖が一気に甦って来た。
僕は伏し目がちに、廉也に僕だと気づかれないよう、その場を後にしようとした。しかし、まさにすれ違おうとした瞬間、
「あれ? お前、因幡?」
と、声をかけられた。僕の恐怖は最高潮に達した。僕はただ彼を無視して立ち去ろうとしたが、僕は腕をつかまれて止められた。
「あ、やっぱり因幡だ」
と廉也が叫ぶ。僕は、廉也の一派に囲まれてしまった。彼らをよく見ると、僕を中学時代にいじめる中心にいた、あの廉也の仲間たちだった。
「あ、本当だ。因幡じゃん」
「なんで、お前、こんなところにいるの?」
「高校、この辺にあるの?」
僕を囲んでワイワイ盛り上がる。もう、僕をいじめていたことなど、忘れてしまったかのような振る舞いだ。でも、僕にはあの恐怖が昨日のことのようにフラッシュバックする。そんな僕の様子を見て、
「あれ、なんか震えてんじゃん」
「え、なに、俺たちのこと怖いの?」
と、廉也たちは笑い出した。僕は、黙ったままその集団をかき分け、先を急ごうとした。
「え? なに、あいつ?」
「感じわりぃ」
「もしかして、俺らにいじめられてたことまだ気にしてるとか?」
「まじで? 超ウケる」
そんな笑い声が僕の背中から聞こえてくる。僕はたまらず駆けだした。でも、道路は雪道。僕は滑って転倒した。その姿を見てまた後ろから笑い声が上がる。
「まじで逃げてやんの」
「しかもこけてるし」
「かっこわりぃ」
「めっちゃ間抜けだよな。写真でも撮っとくか」
僕は耳を塞ぎたくなりながら、再び立ち上がると近くの脇道へ逃げ込んだ。
僕は脇道を回り込んですぐあった公園のブランコに力なく座り込んだ。何も激しい運動をしていないのに、息が激しく上がっていた。心臓が速く波打つ。僕の上に雪が降り積もっていく。ひたすらただ、寒さからなのか恐怖からなのかガタガタ震えていた。
惨めなあの頃の自分に急に引き戻されたかのような感覚が僕を貫く。
結局、僕は、何も克服できていないのだ。あの時の惨めな自分を何も。いじめられ、暴力を振るわれながら愛想笑いをし、引きこもったあの弱い自分を。母さんを殺したこの弱い僕自身を。
今でも、あのように囲まれても、何も言えず、ただ震えるだけだった僕。僕は、僕は・・・。
どれだけの時間が経っただろうか?僕は不意に寒気を感じた。寒い・・・。僕はすっかり雪まみれになり、手はかじかみ、真っ赤になっていた。身体の芯まで冷え切っていた。僕はよろよろ立ち上がり、歩き始めた。雪はまた一段と勢いを増している。日の落ちるのが早い冬。もう辺りは真っ暗になっている。
雪の日は、周囲の音がパタリと聞こえなくなる。無音の世界。僕の心の中も無になっていた。ただ、何も聞こえない世界の中で僕の雪を踏みしめる足音だけが聞こえてきた。
どれだけ歩いただろうか、僕は、自分の足音以外の何かを初めて聞いた。
「おーい!」
誰かの声だ。誰かが誰かを呼んでいる。その声は僕の方にどんどん近づいてきているようだった。
「一郎!」
その声がはっきりと僕を呼んでいる。僕ははっとして顔を上げた。街灯の光に、翔が照らされている。
「翔・・・」
僕は一瞬心にうれしさがこみ上げたが、すぐに今の惨めな自分を思い出し、翔の方へ駆けだそうとした足が止まってしまった。
翔は雪の中を僕の方へずんずん進んで来ると、僕を抱きしめた。初めて、僕は人の温もりを感じた。僕は、あの、寸でのところで翔に命を救われた日のことを思い出した。あの時、冷え切っていた僕の心に初めて温かさを注いでくれたのは、翔の淹れてくれた一杯のお茶だったっけ。
「バカ、こんな時間までどこほっつき歩いてんだ。心配しただろ」
「・・・ごめん」
僕は一言だけそう謝って、ただ翔に抱き着いていた。
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