第八章 弱さと強さ

第34話 ある寒い日に

 僕と翔の関係は、とうとう全校生徒の知るところとなった。しかし、僕と翔の関係が学校で変わったことは特段ない。


 僕らのカミングアウトは、決して暴力的な結末を迎えたわけではなかったが、完全に全員に受け入れられたわけでもない。学校の中でイチャつく姿を見たくない生徒もいるだろう。相変わらず、僕らは、学校では結局ある程度距離を置くことにした。


 それでも、登下校は堂々と二人でできるようになったし、何ならあまり人通りの多くない場所であれば、もう人目を気にすることなく堂々と手をつないでいる。


 水泳部をやめてから、翔は料理部の活動の日には、ちょくちょく僕の顔を見に来るようになった。もはや、「新入部員」のようなものだ。でも、翔は基本、僕の邪魔しかしない。僕の作った料理を勝手に味見するのが目的らしい。僕がちょっと目を離したすきに翔の手が伸びて来るので、何度も僕にその手をはたかれるのだった。


 そんな僕らの様子を新藤部長は「夫婦漫才」と呼んで面白がった。


「なんか、二人して本当の夫婦みたい」


なんて言われて、僕らはまんざらでもなかった。


 水沢先輩はそんな翔に、


「わたしが前に赤阪くんのこと好きだったときは、もっと近寄りがたい人かと思ってた。でも、意外に子どもっぽいところがあるんだね」


と真顔で言われ、翔は機嫌を損ねた。


「は? なんだよ、それ。俺のどこが子どもっぽいんだよ」


ところが、僕が、


「ですです。翔って結構世話がかかるんですよ」


なんて答えたものだから、帰ってからずっと翔がいじけてしまい、機嫌を取るのに苦労した。でも、こんな喧嘩も以前なら考えられなかったことだ。喧嘩しながらも、僕は幸せだった。


 カミングアウトで失ったものももちろんあったが、こんな風に普通に恋人として隠さずに生きられるようになったのは一番の収穫かもしれない。




 それに、僕はここ最近、自分が強くなったな、と感じることが増えた。特に、調子がいいときは余計に、自分に自信がついた気がする。もう、ちょっとやそっとのことではへこたれない。僕が翔のことを支えていくんだ。中学生の時のように、ただやられるだけで、惨めに愛想笑いしているような自分はもうおさらばだ。僕は、僕らしくこの世界を歩いていきたい。そう僕は思った。


 だが、そんな僕の自信は、日によって増減が激しいのも事実だった。時には、滅法弱気になる時がある。


 今日は、どんより曇って天気が悪い。季節はすっかり移ろい、冬の足音が近づいてきていた。今日の僕は、そんな弱気な自分が優勢だ。僕は、憂鬱な気分で机に座っていた。


 おまけに冬の授業は眠い。特に外で体育の授業を受けた後、暖かい教室に戻ると、ついうとうとしてしまう。今日は金曜日。一週間で疲れがたまる曜日の、午後の体育の後の授業。僕の周りでも寝息が漏れ聞こえて来る。


 今日は特に寒い日だ。体育の時間、身体が温まるまでは地獄のような極寒だった。あのくらい寒くなると、「寒い」というより、「痛い」。特に、いまだに耳の痛みが取れない。その不快感のせいで、僕は何とか眠らずに起きていられた。ぼうっと外を見ていると、雪がチラチラと落ちて来るのが目に入った。


「あ、雪」


僕はぽつりとつぶやいた。


 雪の季節になると、僕は母さんのことを思い出す。母さんが亡くなったのがこの季節だからだ。


母さん、そっちで元気にしてる?僕はこっちでだいぶ変わったよ。

料理も覚えた。母さんの代わりに掃除や洗濯もしてる。

それに、もう、僕は引きこもってないよ。学校にも毎日通っているし、友達もできた。それに、大切な恋人も・・・。

前よりちょっとは僕は自分のことが好きになれた気がする。


僕は雪のちらつく灰色の空を眺めながら、心の中で母さんに語り掛けた。


だけど、やっぱり母さんに会いたいな。母さんに会えないのは淋しいよ。もっと話を聞いてほしい。母さんに聞いてほしい話、たくさんあるんだ。うんうんって相槌だけでもいいから、母さんの声が聞きたい。


 僕はぼうっとそんなことを考えていた。まだ、時々母さんのことを思い出すと寂しくてたまらなくなる時がある。翔の家に遊びに行っても、翔がお母さんと仲良さそうに話しているのを見ると、ふと、僕も母さんとあんな風に話したいな、と思うことがある。と同時に、僕にはもう母さんはいないのだ、という現実が重く僕の心にのしかかるのだった。


 僕は気が付けば、自分が「ゲイ」だということに、以前ほどの抵抗感を感じなくなっていた。男が好きな自分は、もう、自分の中では「普通」だ。


 でも、母さんのことを思い出す時、僕は決まって考える。こんな僕を母さんは受け入れてくれているだろうか、と。確かに、母さんが最期に言い遺した通り、僕は少しはあの時よりも好きに生きられるようになった。でも、母さんを苦しめたのは僕だ、という罪悪感がこういうときは否応なく僕の心に襲い掛かる。


 僕は、今まで弱い人間だった。


 引きこもって母さんに心配をかけ続け、心が弱いから、その弱さを刺激され、母さんに当たり散らした。僕はもっと強くならないといけない。過去の弱い自分と決別して、もっと強く。翔と出会って、いろんな仲間ができて、僕は依然よりもずっと強くなれたと思っていた。でも、やっぱりこういう日はどうしてもそんなに強くいることができないのだ。


 気が付くと、地面にはうっすら雪が積もっていた。雪の勢いが増す。今日は積もりそうだ。母さん、こんな雪の中、冷たいお墓の中で寒いだろうな。僕は雪を眺めながらぼんやりとそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る