第七章 「らしく」あるために

第29話 演劇部らしく演技して

 僕は、湊と何とか仲直りすることができた。今でも、嶺くんの携帯を使って、電話もくれるし、たまに手紙も書いてくれる。僕はこれまで、普通に恋をし、普通に付き合い、たまに喧嘩をしながらも愛を育むことのできる、「普通の」異性愛者たちに憧れを持っていた。僕には、そんな恋をすることすらできないと思っていたから。だが、いざ実際に恋をしてみて、想ったり想われたりする関係は、僕が想い描いていたような美しい場面ばかりではないことに、やっと気が付いて来た。


 恋人になにか変化があると無性に心配になるし、ちょっとしたことで嫉妬もする。そして、湊のように、大切に思っていた誰かに想いを寄せられ、その想いに応えることのできないときのつらさは、僕はもう二度と経験したくない。


 これからはしばらく、翔と平和に暮らしていきたい。僕にとっては、翔だけが僕を想っていてくれれば十分だし、翔にも僕だけのそばにいてほしい。これまでそうだったように、これからも。僕は最近、翔を心の底から信頼できるようになったので、何も心配はしていない。何かあっても、きっと翔は僕の元に戻って来てくれる、そんな確固たる感覚が僕の中にはあるのだ。


 だけど、もう僕たち二人に他の誰かから恋心を一方的に向けられるのはたくさんだ。もし、僕のことを魅力的に思う人がいたとしても、僕は遠慮しておきます。




 そんなことを言いつつ、僕は高校で笹原さん以外に関して「女っ気」が全くない男子生徒だったので、この手の心配は何もない。笹原さんはいい友達の一人だし、まさか、僕に友達以上の好意を抱いている、なんてことは考えられない。演劇部は、これから控える地区大会に向け、練習が佳境に入っていた。僕も料理部との掛け持ちでなかなか忙しいけれど、充実した日々を送った。


 このころ、僕は笹原さんと、すっかりなんでも話せる仲になっていた。彼女は僕と同じく、大人しい性格で、小学校のころからずっと図書館を居場所にしていたそうだ。僕は何冊も面白い本を紹介してもらった。その本を図書館や本屋さんで入手しては、その感想を笹原さんと言い合うのが楽しかった。あまりにも話に熱中しすぎて、僕に任されていた暗転時の舞台転換の仕事をすっかり忘れ、何度も部員や顧問の先生に叱られた。


 演劇部員にも


「因幡くんは笹原さんとお似合いだね」


なんてからかわれたが、この頃の僕は随分図太くなったものだ。


「はい。おかげさまで」


なんて調子のいいことを言って笑っていた。


 すっかり、僕は「普通の男子」を演じることに慣れ、そのおかげか、妙に自信がついた気がする。「嘘も方便」というけれど、これまでのように、ちょっとしたことで激しく動揺することもない。適当に嘘をついていなしておけばいい。僕がこの半年間で学んだ「処世術」だ。


 そんなある時、笹原さんは僕に少し照れたような様子でこう言った。


「因幡くん、もしよかったら、わたし、因幡くんのこと一郎くんって呼んでもいい?」


「え? あ、うん。いいよ」


この時の僕は、この笹原さんの言葉に何の意味も感じ取ってはいなかった。ただ単に、だいぶ仲良くなってきた印だな、なんてノー天気に喜んでさえいた。笹原さんの頬がぽっと赤くなる。


「ありがとう。じゃあ、わたしのことも華って呼んでくれていいよ」


「いいよ。でも、呼び捨てにするのはちょっと気まずいから、華さん、でいいかな?」


「ちょっとそれは変」


笹原さんがクスクス笑う。


「えっと、じゃあ、華ちゃんで!」


「うん!」


 こうして、僕らはファーストネームで呼び合う仲に発展していった。これは、僕にも学校でマブダチができた、という認識でいいのかな? 何だか、最近、学校が本当に楽しくなってきた気がする。


 周囲の連中はこの頃から、とうとう僕が華ちゃんと付き合った、とか、カップル成立だ、とか噂し合っていたが、もう、僕にはこんな噂はどうでもよかった。僕は、華ちゃんと話が合うから一緒にいるだけだし、それをカップルだとか恋人関係だと囃し立てるのであれば、好きにすればいい。別に、僕はそんなことをされても、もう動揺しない。勝手に言わせておけばいい。それに、そういう噂が立つなら立った方が、僕のゲイ疑惑が立たないので好都合だ。


 僕はちょっとカップルっぽく華ちゃんをリードしてみたり、なかなかの「演技派俳優」っぷりを発揮していた。僕はそのことを翔に自慢した。


「僕も演劇部入ろうかな。絶対主役やれると思うんだ」


そんなわかりやすく調子に乗る僕に、翔は眉をひそめた。


「お前、もうちょっと気を付けた方がいいぞ。その笹原って子、距離を置けって俺、前にも言ったよな。そんなに仲良くなるのは問題だ」


「なんで? あ、もしかして、翔、嫉妬してる?」


僕はアハハと笑い転げた。


「そんなんじゃねぇよ」


と、翔は顔を赤らめた。


「翔ったらバカだなぁ。湊の時ならまだわかるよ? でも、華ちゃんは女の子だよ? 翔だって知ってるじゃん、僕が女の子好きになれない男だって」


「いや、だから、そういうことじゃなくて。もし、その笹原に告白でもされたらどうするんだって話だよ! お前、曲がりなりにも笹原のこと片想いしている設定なんだろ? それで告白を断ったりしたらどうなる? もうちょっとその辺のこと慎重に考えろ」


「翔も心配性だなぁ。大丈夫だよ。華ちゃんは僕の親友。それ以上でもそれ以下でもないって。僕、これでも華ちゃんといつも接してるからわかるんだ。だから、安心して」


「安心しろって言ってもなぁ。お前、湊の気持ちに全然気付かないスーパー鈍感人間だからなぁ」


「なに、それ? 失礼しちゃうな。でも、今回に関しては僕、自信もって言えるよ。華ちゃんは僕に友達以上の感情は抱いていない。以上!」


僕は高らかにそう宣言した。

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