第五章 秋風に吹かれて

第22話 「彼女」との巡りあい

 二学期になり、高校では文化祭に向けて一気に学校が賑やかになってきた。僕は料理部員として、屋台を出店することになり、クラスの展示企画の準備とのはしごで忙しくなってきた。

 

 料理部では、カレーうどんを出すことになったのだが、麺は小麦粉からこね、カレーは香辛料から作ることにしたので大変だ。買い出し品目をリスト化し、片道三十分の安い業務用スーパーまで歩いて往復する。九月のまだ残暑の厳しい中、僕は買い出し係として汗だくになりながら歩き回った。


 でも、今回の文化祭には僕は密かな楽しみがあるのだ。夏のキャンプで知り合ったメンバーを誘っているのだ。文化祭後はみんなでカラオケやボーリングで遊ぼう、と約束している。僕はそれが楽しみで、鼻歌を歌いながら出店の準備を進めた。


「因幡君、楽しそう。何かいいことあった?」


新藤部長にそう聞かれ、僕は、何の気なしに、


「はい。文化祭に友達が来るんです」


と答えた。


「そうなんだ。中学時代の友達?」


と聞かれ、僕はちょっと困った。キャンプの話は水沢先輩に少し話した以外、誰にももちろん話していないし、話すこともできない。僕は、水沢先輩に助けを求めようと探すが、生憎、今日はまだ来ていないようだった。


「あ、いえ。最近出会った友達で」


「最近? 夏休みにどこか行ったの?」


まずいな・・・。これ以上聞かれたら何も答えられないや。


「あ、はい。まあ、いろいろあって・・・」


僕は妙に意味深な回答をしてしまった。


「いろいろって?」


新藤部長、そろそろやめてもらえないですか・・・。


「そういや、なんか因幡って隠し事してるっぽいっすよね」


宮上までご登場ときた。やはり、僕が隠し事を抱えていることがオーラとして出ているのだろうか。


「か、隠し事なんかしてるわけないじゃん。宮上ったら、変なこと言うなぁ。あ、いけない。僕、これからクラスの方で展示企画の準備やることになってるので、ちょっと抜けますね」


 本当は今日はもうクラスの展示企画の仕事などないのだが、ここにこれ以上いたら危険だと察知した僕は、慌てて部室を飛び出した。


 危ない危ない。ちょっとでも言い方を間違えると、怪しまれてしまう。やっぱり、「普通の男子」として学校でやっていくのは気を遣う。夏のキャンプと比較してしまうと、いかにゲイ男子たちの中にいるのが楽だったかを、僕は思い知った。


 僕はクラスの展示企画の仕事に行ってくる、と部室を飛び出した手前、すぐに料理部に戻ることもできない。どこで時間を潰そうか思案していると、近くで何かをひっくり返す大きな音が聞こえ、僕はそちらへ駆けつけた。


 すると、大きな段ボールが何個か床に転がり、中身がそこら中に散乱していた。その真ん中には、一人の女子生徒が座り込んでた。


「大丈夫ですか?」


僕がその女子生徒の方に走っていくと、それは果たして、僕が自分がゲイであることを隠そうと「好きな女の子」として僕がクラスメートに語っていた笹原さんだった。僕は一瞬、どうしよう、と躊躇したが、駆け付けた手前、何もしないで去るわけにもいかない。


 笹原さんは僕に小さく会釈した。


「大丈夫です。ごめんなさい」


「僕、片付けるの手伝うよ」


僕はそう言うと、散乱した段ボールの中身を拾い始めた。


「ありがとう」


笹原さんも僕に礼を述べ、一緒に拾い始める。中身は雑多なものばかりだ。鬘、文房具、おもちゃの刀・・・。


「これ、何に使うの?」


「演劇部の小道具なの」


そっか。笹原さんって演劇部だったっけ。僕は「好きな」笹原さんのことを少しは調べていたのだ。好きな子なのに、何も知らないというのは逆に怪しいしね。


「笹原さんって、小道具係なんだね」


僕がそう尋ねると、笹原さんは驚いた顔をした。


「あの、わたし、あなたにどこかで会ったっけ?」


「あ、ごめん。僕、新入生合宿の時に一緒だった因幡一郎。同じグループだから、名前覚えていて」


「あ、そうか。そういえば、一緒だったかも」


笹原さんは、「笹原華に片想い」している僕は眼中になかったようだ。僕の噂は学年中の生徒が知っていたと思っていたけど、知っているのは男子の中だけなのかもしれない。なら、ちょっと安心できるな。


 僕と笹原さんはその後、言葉を交わすでもなく、黙々と小道具を片付けた。すっかり段ボールに中身を詰め直すと、僕は、


「これ、全部運ぶの大変でしょ? 僕、手伝うよ」


と言い、三つある段ボールのうち、二つを担ぎ上げた。


「え、いいよ。因幡くんも忙しいんでしょ?」


と笹原さんが慌てて僕を止めようとしたが、今料理部に戻っても「クラス展示の手伝い」から戻るには早すぎる。演劇部の小道具の仕事の手伝いでもしていれば、ちょうどいい時間になりそうだと僕は安直に考えた。


「いいのいいの。僕、今手が空いてるから」


僕はそう言って笑った。


「本当? ありがとう」


笹原さんもはにかんで笑うと、段ボールを一つ持ち、僕と二人で演劇部の部室に向かった。手伝いを僕から申し出たものの、段ボールはなかなかに重い。さすがに小柄な笹原さん一人でこの大荷物を運ぶのは無理があっただろう。僕は演劇部の部室に着くころには汗だくになっていた。


 僕が一息ついていると、華の悲鳴が上がる。今度はなんだ? 見ると、僕が運んできた段ボールの一つの中に入っていたペンキの蓋が外れ、外に漏れ出していた。見ると、僕の制服から靴に至るまで、ペンキがべったりとくっついている。僕も思わず大声を上げた。


 これからが大参事だった。とりあえず、僕は体操着に着替え、汚れた制服、靴、そして靴下を必死に水道で洗った。ある程度色は落ちたものの、ぐっしょり濡れた制服を着るわけにもいかず、演劇部の部室横の日当たりのいい場所に干させてもらった。


 その後、床にぽたぽた続くペンキを掃除する。ペンキがべっとりついた段ボールを処分し、中身を他の空段ボールに詰め替えた。後片付けが終わると、笹原さんは申し訳なさそうに僕に謝った。


「迷惑こんなにかけてしまってごめんなさい」


「でも、大事にならなくてよかったね。小道具も無事だったし。汚れたのは僕の服だけだったから」


僕は笑ってそう答えながら、制服を触ってみた。しかし、まだまだ制服は湿ったままだ。こんなものをまだ着るわけにもいかない。乾くまではもう少し時間がかかりそうだ。僕はしばらく演劇部の部室で待たせてもらうことにした。


「そういえば、笹原さんって、小道具一人でやってるの?」


僕が尋ねると、彼女は頷いた。


「裏方はわたし一人。うちの演劇部、部員が四人しかいなくて、そのうちの三人は役者。お芝居の稽古のない時はみんなで裏方の仕事を手伝ってくれるけど、今日は稽古の日だからわたし一人だよ」


「大変だね!」


「まあね。でも本番の時は部員とは別に音声さんや照明さんを友達にお願いしてるんだ」


結構スタッフ集めも大変そうだ。


「そういえば、何で笹原さんは演劇部に入ったの?」


そう聞く僕に、笹原は、


「わたし、劇作家になってみたいの」


と答えた。


「昔から文学が好きで、いろんな台本を読むのも好きだったから。もし、演劇部に入れば、台本書けるかなって。でも、難しいね。なかなか思ったようには台本なんて書けない。今は既存の台本でやってるから、わたしは出番なし。で、裏方の仕事を任されてるの」


「どんな劇作家が好きなの?」


僕が尋ねると、シェイクスピアから向田邦子まで古今東西のいろんな作家の話題がどんどん出て来る。僕も、小学校からずっと図書館で本を読む生活をしてきたから、この手の話は得意だ。文学の話題で僕らは大いに盛り上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る