第18話 危険な香り

 翌朝、僕が目覚めると、すでに湊は戻っていた。


 朝ごはんを食べ、テントを畳み、帰り支度を済ませる。


 僕はテントの片づけをしながら湊に昨夜、どこに行っていたのか尋ねた。


「へへ。ワンナイトラブってやつ」


「え?」


「アプリでこの合宿に参加してる子見つけたんだ。軽くだけだけどね、野外でしちゃった」


そんな湊に僕は目を丸くした。


「湊、その相手と付き合うの?」


「ワンナイトラブ」の意味を全く理解していない僕はそう尋ねた。


「んなわけないじゃん。昨夜だけの関係ってこと! 誰にも言っちゃだめだよ?」


湊はいたずらっぽく笑った。大胆だなぁ。湊のはっちゃけっぷりには、僕は舌を巻くばかりだ。


「なんなら、今夜、一郎も僕とヤらない?」


そんな湊に僕は慌てて首を横に振った。


「そりゃそうか。一郎には翔くんがいるもんね」


いやいや、そういう問題じゃないから。


「じゃあ、翔くんには秘密でヤらない?」


「ヤりません!」


「えー! ケチ!」


湊、もうこれ以上僕を困らせないでよ。


「でもさ、湊、出会い系アプリってそうやってセックスする人を探すために使ってるの?」


という僕の質問に湊はちょっと考えて、


「うーん。いろいろかな。ヤる人を見つけることが一番多いけど、彼氏もここで見つけたし」


と答えた。


 へぇ。そんな使い方をしているんだ。でも、湊、僕と同い年なのに、こんなに大胆なことやっていて大丈夫なのかな?


「だけど、そんなにいろんな人とたくさんヤったりするの、ちょっと怖かったりしないの?」


「しないよ」


湊は即答した。


「今まで特に怖い思いしたことはないかな。あと、ちょっとしたお小遣い稼ぎもできたりする」


お小遣い稼ぎ⁉ 絶句する僕に、湊は笑いながら言った。


「ちょっとしたね。社会人の人とヤると、たまにお金くれたりするんだ」


僕はさすがに湊が心配になった。


「ねえ、湊。それはちょっとまずいんじゃないかな?」


「まぁ、よくはないけどね。くれるっていうもの、受け取らないのも悪いじゃん?」


「でも、それはよくないよ。やめた方がいいって」


「あー、はいはい。わかったって。もうやらないよ」


僕が説得するも、湊はあまり真面目に取り合ってくれない。


「僕らくらいの年齢のゲイの子でこういうのやってる子多いよ。サポっていうんだけどさ。一郎も可愛い顔してるし、もしやったら結構稼げそうだけどな」


そんな湊に僕は呆れた。


「そんなことする訳ないじゃん。絶対やらないよ、僕は。湊、本当にやめなよ。怖いって」


 そこに嶺くんが合流した。


「何の話してるんだ?」


湊は今の話を嶺くんにも全て洗いざらい話した。こんな際どい話をするのも湊には抵抗がないらしい。


「バカ、危ないだろ、そんなこと。もう絶対にするなよ」


と嶺くんはかなり真剣に怒った。湊は、


「もうしないって。一郎も嶺くんも固いなあ。そのくらいなんてことないのに」


と聞き流そうとした。しかし、そんな湊の両肩をつかんで、一層嶺くんは強く言った。


「そういう問題じゃないだろ。お前自身が危ない目に遭う危険があるんだ。これまで危ない目に遭ったことないとか、そういう問題じゃない。これからもし危ない人に出会ったりしたらどうするんだ? 湊、お前はもっとお前自身を大切にした方がいい。そんなこと続けていたら、お前自身が傷つくことになる」


その嶺くんの言葉に、湊は初めてちょっと怯んだ表情を見せた。


「・・・わかってるよ。僕だって、自分のこと大切にしてるから」


湊は少し視線をそらす。


「本当だな? 絶対だぞ。もう、自分を安売りするのはやめろ」


「なんで、そんなにお節介焼くの? 僕がどうしようが、僕の勝手でしょ?」


湊は、少し苛立ったように言った。


「俺はお前のことを友達だと思ってるから!」


「友達?」


「うん。きっと一郎もそう思ってる。俺は、このキャンプに来て、俺自身ちょっとだけ受け入れようって気持ちになったんだ。それは、湊のおかげでもあるし、一郎のおかげでもあるし、翔のおかげでもある。だから、そんな人たちが、危ないことをしようとしているのなら、俺は絶対に止めたいんだ。お前だって大切な誰かがいたら、同じように止めるだろ!」


そう言って両肩をしっかりつかんで向かい合う嶺くんの手を湊は払いのけた。


「そんなやつ、いないよ。僕には」


僕は何となくだけど、湊の状況がわかる気がした。


「僕も中学の頃、そうだった」


僕がそうつぶやくと、湊はシニカルに笑いながら、


「そうだったって、一郎は出会い系アプリやってるわけじゃないじゃん?」


と言った。


「やってないよ。だけど、僕にも中学の時、大切な人がいなかったから。だから、そんな時に自分を大切にできない気持ち、ちょっとはわかる」


「何があったの?」


嶺くんが聞いた。


「・・・うん。僕、昨日、中学の時に好きな同級生がいたって言ったよね? あの話には続きがあるんだ」


 僕は中学校でのいじめ、母の死、そして自殺未遂・・・。僕のあの暗い時代をすべて打ち明けた。嶺くんも湊も僕の壮絶な体験談に言葉を失った。


「僕はあのとき、僕自身がずっと嫌いだった。僕が嫌われているのもいじめられているのも、僕がゲイだからだって。僕がこんな風に生まれて来たせいだって思っていた。


 だけどね、翔に出会って救われたんだ。今でも、まだ僕は完全に僕自身のことが好きになったわけじゃない。でも、僕にとって一番大切な翔には、自分を好きでいてほしいって思っているし、翔も僕に対して同じことを思ってくれてる。


 だから、僕はもう前のように自分を傷つけるのはやめようと思うんだ。このキャンプに来て、初めて僕は翔との関係をこんなに多くの人に認めてもらった。本当にうれしかったよ。


 僕は以前よりももう少し、僕自身のこと認めてあげようって思ってる。ずっとこんな風に僕がゲイであることを認めてもらえる友達がほしかったんだ。だから、そんな友達にも、僕は自分を傷つけたりしてほしくない。その中には湊も入っているんだよ」


湊は黙っていた。嶺くんが僕に続けた。


「一郎の言う通りだよ。俺は一郎のような体験をしたわけじゃない。俺は今まで、学校生活だって特にいじめられたこともないし、それなりに楽しくやってきた。だけど、このキャンプで出会った湊は特に大切だと思えるんだ」


湊はじっと唇を噛みしめていたが、ポツリと言った。


「本当に、二人ともお節介だな。でも、わかったよ。二人がそんなに言うならもうちょっと考えてみる」


僕らは頷き合った。


 僕のあの中学時代の経験がこんなところで役に立つなんてな。人生ってわからないものだ。これで、湊はちょっとは考え直してくれるだろうか? 僕は一抹の不安を覚えない訳でもなかった。


 僕らは今後も連絡を取り合うことを約束し、それぞれの帰路についた。翔の隣で僕は、行きとは全く違う感覚で電車に揺られていた。


「また、みんなで集まりたいね」


「そうだな。みんなと今度、どこかで集まれたらいいよな」


「いつにする?」


僕は考えただけで何だかワクワクしてきた。


「いや、まだ別れたばかりだぞ。会うとしても、夏休みの後だろ」


翔はそう苦笑した後、


「でも、まずは一郎と二人でどこか行きたいな。今回、あまり一緒にいられなかったし」


とボソッとこぼした。


「行っちゃう?」


僕はそう言って翔をニヤリと見やった。翔は僕に笑い返し、「行こうか」と頷いた。


 僕らは帰る予定を急遽変更し、途中で電車を降りた。そこで、海水浴場へ向かうバスに乗り換えた。僕らは日が暮れるまで海で遊んだ。いろんな友達と遊ぶのも楽しい。だけど、やっぱり翔と二人で過ごすのがいい。一番落ち着く。


 僕らは予定を一日延ばすことを家に連絡し、海辺の安宿に泊まることにした。


 夜、僕らは宿の温泉につかり、温泉に誰もいないのをいいことに泳いだりお湯をかけあったり子どものように遊んだ。そして、部屋に帰ると、いつものように僕は翔に抱かれた。その時、僕は翔に言ってみた。


「ねえ、翔。僕、今日はタチやってみようかな?」


「お前が? 無理だろ」


翔がまともに取り合おうとしないので、僕はムキになって、


「やれるよ! こうやってやればいいんでしょ?」


と言いながらぎこちなく翔の上にまたがろうとした。しかし、どうすればいいのか、そこでわからなくなってしまった。僕がまごまごしていると、翔は僕を押し倒した。


「お前には百年早い」


そう言うなり、僕の唇を奪った。


百年だって? 後一年もしないで習得してやるよ!


僕はそんなことを想いながら、結局は今日も翔を相手にウケになるのだった。

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