第10話 偽り

 高校の入学式を迎え、僕の新しい学校生活はスタートした。僕はとにかく、「普通」を装うことに全意識を集中させた。僕は大して男らしい男でもなかったけれど、「オカマ」などと陰口を叩かれないように、言動に行動に常に注意を払っていた。


 僕のそんな努力はなんとか実を結んだようで、誰も僕がゲイだと気づく者はいなさそうだった。僕には小学校から九年間の学校生活を経て初めて普通の友達も少しだけできた。


 中でも僕と仲良くなった荒川信一あらかわしんいちは、性格から趣味までよく合った。僕は信一となんでも話せる仲になっていた。唯一、翔とのことを除いては。そもそも信一と仲良くできているのは、信一が好きな女子の話などほとんどしない男だったから、というのも大きな理由のひとつだ。


 他のクラスメートはすぐに好きな女子だとか、好きな異性のタイプだとか、とかく異性の話題を出したがる。でも、僕にとってその質問は苦痛以外の何物でもない。好きな女子を聞かれたときに「いない」と答えていて済めばいいのだが、あまりにも女子に興味を示さないと、逆に「ホモ」疑惑をかけられる。


 だから、僕はありもしない理想の女子のタイプを創り上げた。僕は、隣のクラスの笹原華ささはらはなを「好きな女の子」という設定にしていた。彼女とは、高校入学してすぐの新入生合宿のグループワークで、少し話しただけの仲だった。でも、それ以外に僕に思いつく女子がいなかったのだ。「因幡が笹原のこと好きなんだって」などと噂を立てられ、彼女にとってはどんなに迷惑なことだっただろう。


 だが、この時の僕には、笹原さんの迷惑を慮ることはできなかった。もし、僕がゲイであることが、たった一人でも他の誰かに知られれば、やっとできかけた僕のこの高校での交友関係ももろく崩れ去るだろうことは容易に想像できたからだ。僕は、自分を守るために嘘をつき続けるしかなかった。




 でも、僕は、そんな嘘で塗り固められたような自分が嫌だった。僕は、学校終わりに翔に愚痴をこぼした。


「こんなこと、いつまで続けなきゃいけないんだろう。女の子の話を振られるのはもう嫌だ。疲れた」


「一郎は頑張っているよ。俺がびっくりするくらいだ」


そう言って、翔は優しく僕の頭を撫でてくれた。


「でも、僕、いつまでこの嘘をつき続けられるのか自信がないよ」


「そうだな。俺も、不安になるときはある。でも、本当のことは言えない。だから、俺も嘘をついていくしかないんだ」


「そういえば、翔はどんな嘘ついてるの?」


僕は興味本位で聞いてみた。


「俺の好きなタイプは愛崎茉奈あいさきまなってことになってる」


それを聞いて僕は思わず吹き出した。愛崎茉奈といえば、今一番売れっ子のアイドルだ。「まなみん星からやってきたお姫さま」なんて、ベタな設定でテレビに出ている。あんなコテコテのアイドルが好きな翔というのを想像すると面白くて笑いが止まらない。


「笑うな、バカ」


翔が僕を軽くどつく。


「これだって俺はもう一年間もやり通して来てる。お前なんて、まだ高校入学してから一か月も経たないだろ? こんなことで音を上げてどうするんだよ」


 そう言われてみれば、翔もすごい。翔はすでに一年間、この高校で過ごしてきている。この一年、翔は男が恋愛対象であることも、僕と付き合っていることも決してバレることなく高校生活を送ってきたのだ。


「でもさ、なんで、愛崎茉奈が翔のタイプってことになってるの?」


僕は少し気になっていたことを聞いてみた。翔はちらっと僕を見てからこう答えた。


「だって、あいつ、お前にちょっと雰囲気似てるんだもん」


それは、褒めているんだか貶しているんだかわからないよ、翔くん!


「うっそだぁ! 僕のどういうとこが愛崎茉奈なの?」


僕は、「あざとい所、とか言ったらただじゃおかないぞ」と思って身構えた。すると翔は、


「そりゃ、可愛いところが」


と言いながら僕の頭を軽くぽんぽん叩いた。翔のやつ、僕がおだてに弱いって弱点知っていてこういうところを攻めてくるなんて卑怯だぞ! 僕より翔の方がよっぽどあざといじゃないか。


「・・・僕、そんな可愛くないから」


はにかむ僕を翔はベッドの上に押し倒した。


「そうやって照れるところも最高に可愛い」


と言うなり、唇を奪うのだった。ずるいよ、翔。僕がこんなこと言われたら抵抗できないの知っていてさ。


 だけど、僕はここで断言しておきたい。僕はぶりっ子アイドルでは断じてありません!



 ゴールデンウイークも過ぎ、五月に入り、気候も暖かくなってくるころには、僕もだいぶ隠し事が上達してきた。しかし、隠し事をせずにいられるなら、そっちの方がずっといい。僕は、専ら「女っ気のない」信一たち二、三人とだけ普段過ごすようにしていた。こいつらと一緒にいる時は、ほとんど自分を偽らずに済むから、僕は頗る楽だった。

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