第8話 想い想われ

 そんなある日、僕が翔の家にいつものように遊びに行くと、翔は二人きりで場所を変えて話したいことがあると言い、僕を河川敷に連れて行った。河川敷の土手に二人で並んで腰を掛けた。翔は、何やら重大な話があるようで、緊張からかなかなか話し出せないでいた。彼は、しばらく黙ったまま河辺の景色をじっと眺めていた。僕は「どんな話だろう」と思いをめぐらせ、内心ドキドキした。そして、翔と同じように川の流れを見つめていた。




 どれくらい時間が経っただろうか。翔が僕に話す決意を固めた様子で、


「一郎、お前、自分のこと、普通だと思ってる?」


と切り出した。僕はドキッとした。でも、僕はそんな心の動揺を隠すために、わざと平静を装って明るく返答した。


「普通だよ。何だよ、急に。びっくりするじゃん」


 翔はいつになく真剣な表情で話し始めた。


「お前が小学生のころ、ずっと俺を見ていた理由、俺の泳ぎが好きだからって言ってたよな。でも、他にも何か理由があるんじゃないのか?」


 僕は全身から血の気が引いていくのがわかった。僕は、男のくせに男を好きになること。そんな異常な性癖を抱えていることを翔にだけには知られたくなかった。それに、僕は、そんな男を好きになる自分の感情に向き合いたくなかったのだ。


 僕は「普通」でいたかった。もし、僕がここで「翔が好き」と言えば、きっと廉也たちのように僕を嫌いになる。それに、翔にここで告白するということは、自分のこの異常な性癖を認めることと同義だ。つまり、自分が異常であるという捺印を押すことになる。それがたまらなく怖い。


「僕、ちょっと今日は家の用事があるんだ。帰るね」


僕は逃げ出そうと立ち上がった。


「俺、もうわかってんだよ!」


 そんな僕の背中に翔は叫んだ。もう、おしまいだ・・・。僕は目をつむった。


 ところが、翔の口から続いて出た言葉は僕の予想に反するものだった。


「俺もさ…たぶん、お前と同じなんだ」


僕はびっくりして振り返った。


「え? 同じってどういうこと?」


 翔は非常に気まずそうに、しばらく続く言葉を出せずにいたが、意を決したように話し出した。


「俺な、お前が俺のことずっと見てくるの、正直、最初はちょっと嫌な感じだった。なんでこいつ、俺のことずっと見てるんだろうって。でも、そのうちだんだん俺もお前のことが気になっていって、いつの間にか、いつもお前のこと考えてるようになったんだよ。だから、実は俺、水泳教室辞めた後も、お前が通う日は外からお前のこと見ていたんだ」


 なんてことを言い出すんだ! 翔が水泳教室を辞めた後も、僕のことをずっと見ていたなんて、僕は一度も気付かなかった。


 翔は話し続けた。


「でも、一郎が水泳教室にいつか来なくなっただろ。その時、俺、実はすげぇ淋しくてさ。変だろ? 俺と一郎は一度も話もしたことないのに。中学入ってからも何かあるたびにお前を思い出す。この感情なんなんだろうって俺、思ってた。俺、お前のことを水泳教室で見ていた時の俺の感情を思い返してみたんだ。お前は水泳そんな得意じゃなかったよな。小学一、二年の頃なんか、水に顔をつけるのも怖がってた。でも、お前はずっと一生懸命だった。その姿がすごく、なんていうか、いとしいっていうか、かわいいと思ったんだ」


 僕がかわいい⁉


 僕は顔が真っ赤になっていた。同時に翔の顔も高揚しているのがわかった。


「俺、なんで男のお前をかわいい、なんて思ったんだろうな、とずっと考えてた。でもさ、俺ってバカだよな。そのことを中学の親友に相談したんだ。そしたら、噂が一気に学校中に広まって、俺がホモだオカマだって大騒ぎになってさ」


 翔が、中学で僕と同じ理由でいじめられていただって⁉ 僕にはにわかには信じられない話だった。


「その時になって俺、初めて気づいたんだ。俺は、一郎のことを好きだったんだって」


 僕は耳を疑った。今、翔は僕のことを「好き」だと言わなかったか? 空耳じゃないよな?


 僕が二の句を継げずにいると、翔は頬を赤く染めたまま怒った。


「なんとか言えよ。俺だけこんな話して恥ずかしいだろ」


「翔、今の話、本当なの?」


 僕はどうしても今の翔の話が信じられなくて聞き返した。


「こんな嘘、つくかよ」


 翔は非常に気まずそうだった。


「だから、お前が俺をずっと見ていたのも、実は俺と同じだったんじゃないかな、と思ってさ。特にお前、俺が着替える時、めちゃくちゃ俺の方見てたよな?」


 そんなところまで見られていたとは・・・。僕は穴があったら入りたかった。


 翔は続けた。


「もし、お前が俺と同じなら、もし、そのことでずっと悩んできたんだったら俺、お前の気持ち、誰よりもわかるから。だから、もしそのことでお前が自分のこと責めたりしているなら、もうやめてほしいんだ。俺はお前に幸せでいてほしい。ずっとつらい気持ちでいてほしくないんだ。だって、俺、今でもお前のことが好きだから」


 僕の鼓動が高鳴り、頬が高揚し、今までに感じたことのない興奮が僕の全身を貫いた。


「僕も・・・僕も翔のことが好きだったよ。今も翔のことが好き。ううん、今の翔が好き」


 僕は気づくと、自然と自分の本心が口をついていた。翔は今までに見せたことのないうれしそうな表情で僕を抱きしめた。僕らは固く抱き合い、初めてのキスを交わした。




 そうだ。僕は翔が好きなんだ。大好きなんだ。僕はもう自分の隠して来た翔に対する想いを抑えることができなかった。


 僕はこの日、初めて翔に抱かれた。


 僕ら、まだ中学生なんだけどな。


 ほんのちょっと前まで「オナニー」すら知らなかった僕が、今は裸になって翔と抱き合っている。


 男と性行為をする。そんな「異常な」行為に僕は身を任せていた。でも、この気持ちは抑えようがなかった。ずっと翔に触れていたい。その気持ちが勝つのだ。


 僕は翔と絡み合い続けた。ずっと、ずっと。




 僕らはこの日から付き合うことになった。


 僕は、翔にずっと抱えて来た闇を打ち明けていった。異常性癖を持っていると周囲からずっと言われ続けてきたこと。それが原因でいじめられ、ボロボロになったこと。僕がそんな異常性癖を持って生まれてきたせいで母さんを死なせてしまったこと。


 僕は翔の前でこの話をしながら何度も泣いた。翔も何度も泣きながらそんな僕を抱きしめてくれた。ずっと今まで僕は自分の将来が真っ暗だと信じて生きて来た。まだ、完全に僕は自分自身を受け入れられたわけではない。今でも、母さんを死なせた元凶は自分だと思っている。


 でも、翔は、僕のすべてを優しく包み込んでくれた。僕が僕自身を受け入れられなくても、翔だけは僕の味方でいてくれた。僕はどんなことがあっても、翔といる時だけは安心できた。翔は、この時から僕の「居場所」になったのだ。

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