第4話 どん底

 やがて、僕は学校に行こうとすると、心臓がバクバクと激しく波打つようになった。息もハアハアと荒くなる。


 学校に行けば、僕がされることはわかっている。きっと今日も罵詈雑言を浴びせられ、暴力を振るわれ、教科書を隠される。でも、学校に行かなければ母さんが心配する。僕は毎日必死に学校へ通い続けた。




 そんなある日、僕は風邪を引き、熱を出して数日学校を休んだ。


 何も危害を加えられることのない日々。僕はいじめられなくて済む日常が、こんなに平穏なのかと知った。いったん、その平穏な日々を知ってしまうと、もう、これ以上学校に通うことが僕はできなくなった。熱などとっくに下がっているにも関わらず、わざと体温計を温め、熱が出ていると母さんを騙し、何週間も学校を休んだ。


 でも、そんなことがいつまでも通用するわけがない。


 両親が僕の仮病に気付いたとき、僕は、学校に無理に連れて行かれそうになった。僕にとって、学校に行くことはもう恐怖の塊になっていた。僕は、あらんかぎりの力で抵抗した。


 そして、自分の部屋に閉じこもり、部屋の戸に鍵をかけて引きこもった。




 それからというもの、僕は一切外界との接触を拒否するようになった。


 部屋の外に出るのはトイレとお風呂の時だけ。食事は母さんが部屋の前に置いてくれたものをそそくさ自分の部屋に持ち込んで食べた。


 引きこもっている間、僕は、学校でいじめられていた時に何度も浴びせられた「ホモ」という言葉を検索してみた。


 「同性愛者ゲイの蔑称」が「ホモ」であるそうだ。


 同性愛、ゲイ・・・。


 僕の心に重くのしかかるその言葉に、僕は押しつぶされそうになった。そして、決定的であった一言を僕は目にしてしまった。


「同性愛を自分の意思で変えることはできない」


 うそだろ・・・。僕はこんな異常者として、それを変えることもできずにこれからの人生を生きていかなくてはならないのか。


 僕はそんなこと認めたくなかった。僕は部屋の中で布団にくるまりながら来る日も来る日も自分を異常人間だと責め続けた。


 母さんはそんな僕を心配して何度も話を聞こうとした。でも、こんなこと、母さんに言えるわけがない。男のくせに男が好きな異常者で、学校でいじめられ、友達もいない。母さんの息子がそんな惨めな人間だと知られたくない。その上、男のくせに男を好きになるというこの「異常な性癖」を未来永劫変えることができないなどと、どうして母さんに言えるだろう。


 僕は頑なに口を閉ざした。母さんは僕の将来の幸せを願ってくれる。でも、僕は男が好きな異常者として、これからもずっと日陰で怯えながら生きていかなくてはならない。恋をすることも、結婚することもできないのだ。


「いっちゃんは、将来どんなお嫁さんを連れて来てくれるのかしら」


母さんはそう冗談めかして語ったものだった。


 だけど、僕は、そんなの無理に決まっていると思った。


 そんな母さんの淡い期待にすら応えられない僕は人間失格だ。僕には幸せに、人と同じ平凡で幸せな人生を送ることのできる可能性もその資格すらない。一人で自分のこの異常な内面を隠し、誰にも悟られないように怯えながら、最後は一人で死んでいく。


 僕は、そんな未来を考え、怯え、布団の中でひたすら震えた。


こんな異常な人間の僕は、なぜこの世界に生まれてきたんだろう。


なぜ僕だけこんなに苦しい人生を送らなければならないんだろう?


母さんには僕なんかじゃない、もっと普通の子どもが生まれればよかったのに。僕なんかが生まれたばかりに、母さんに悲しい思いばかりさせている。


これからもずっと僕は母さんを悲しませ続けるんだ。


 僕はそんなことを日がな一日考えながら、毎日をカーテンを閉め切った部屋で布団にくるまり、ただただ時間が過ぎるのを待っていた。

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