第十三話 二位真夏③

 うそ寒い清風が部屋にカーテンを揺らしながら侵入した。その部屋では、一人の少年がない頭を絞ってプリントに向き合っていた。

 シャーペンに付いた消しゴムを顎にぐりぐりと押し付けて刺激を与えるが、画期的な回答は思いつきそうもない。

 宿題を前にその優秀な頭脳を唸らせているのは、魔法使いの少年、二位真夏。

 夏休みが始まって早々から三度の死闘を繰り広げた魔法使いではあるが、本業は何だと問われれば中学生としか答える事が出来ない程度の少年でもある。従って、彼は今夏休みの宿題を処理していた。

 進学校といえども、医者志望の真夏にとって中学校の宿題はそう難しい訳でもないのだが、彼を悩ませているのは忙しなく動く点Pの所為ではない。今年も宿題が終わらないと泣きついてくるであろう燃々の所為でもない。

「……色々あったな」

 いや、本当に。

 真夏の一言に多大な情報量が込められている事を察せられるのはごく少数だろう。

 赤毛の少女と散々な出会いをして、世界を壊そうとする英国紳士と殺し合い、口の悪い魔法使いの少年の葬儀の手伝いをし、謎の組織の陰謀を止めた。

 数学のプリントの余白に最近の出来事を箇条書きする。改めて回想すると酷いなこれ、と思った。夏休みの日記は暫く捏造で埋まりそうだ。

 あれだけの事件があったのに、社会には驚くほど何の影響もなかった。ただ一日だけニュースキャスターが無感情に『海に突如として氷河が発生』『世界各地で宗教団体複数摘発』等と読み上げただけ。

『優生思想』の事件の顛末は、それだけで終わった。テレビの話題は大手企業の贈賄疑惑が掻っ攫っていった。

『教室』には魔法事件の情報統制の役割もある。当然今回の一件は表には出せない為、情報処理、隠蔽しつつ、適当なスケープゴートに怪しい宗教団体や暴力団らをアルマが摘発。無関係の団体からすればとんだとばっちりではあるが同情の余地はない。

 虚しい事に、『優生思想』の全てはアルマの手によって闇に葬られた。

 事件の解決に魔法使いの子供たちが死力を尽くした事など彼らは知る由もない。ただ、近海の漁師が氷の海に迷惑していたらしく、それについては少し申し訳なく思った。

「…………ちょっと休憩」

 ペンを机上に捨て、ベッドに横たわる。頭の中がまだ魔法でいっぱいだ。一旦頭を冷やしてまた考えよう。夏休みはまだ始まったばかり。別に急ぐ必要もない。

「……明原」

 アクアノートとの決戦後、真夏たちは『教室』にて治療を受け、終わったら各自で勝手に解散した。雪丸なんて真夏たちに本当に一言もなく帰った。

 家に帰れば、大して心配もしていなかった姉と妹がテレビを見ながら「おかえりー」と出迎えてくれた。東京も危機も知らずにのほほんと夏休みを満喫している二人を見て、思わず頬が綻んだ。

 能面がデフォルトの長男の笑みに不気味がる妹の頭をわしゃわしゃと撫で、益々当惑する二人を置いて自室に戻った。

 家に帰るまでが遠足、とは少し状況が違うが、似たような事を考えた。

 郷愁。解放感。安堵。アルマのムカつく笑顔。魔法について。これからの自分。雪丸の小言。

 脳内を走馬灯のように目まぐるしく駆け回った情感と不安と苛立ちは、睡魔によって一度忘れられ、真夏は静かに眠りについた。

「…………」

 そして現在。あれからアルマから連絡は何も来ない。アンダーへの『鍵』は持っているが、何となく行く気がしない。カフェには出向いているので燃々やいととは度々会っている。

 ベッドに転がる真夏は、ふとある事を思い出し、壁に貼り付けているカレンダーを横目で見る。7月末。もうすぐ8月が来る。

「……」

 真夏は何気なく立ち上がり、出発の支度を始めた。

 

 

 桶に入れた水をばしゃりと墓石にかける。炎天下、湿って濃くなった柱状の墓石の色は日に照らされてすぐ薄くなった。

 酷暑日に水も財布も忘れた無防備な少年を、太陽は嘲笑うようかのように中天に輝く。

 滝のような汗を拭い、物言わぬ墓石に真夏は言う。

「…………きたよ。母さん。少し、お盆には早いけど」

 墓に刻まれた名前は——『二位葉音』。

 真夏の実の母親だ。

 真夏は母が死んでから、どんなに遅くなろうと、毎日母の下へ足繫く通っていた。最近は、どうしても無理な日が多くて通えてなかったのだが。

 真夏は母に嵐のような日々を物語る。

「…………ここ最近、ちょっと色々あったんだ。美少女に出会った途端殺されかけたり、ブラックな宗教団体潰したり……。ま、色々あったよ」

 母の墓前で真夏は『杖』――指に嵌めた指輪を掲げる。あれだけの出来事を共にしたというのに、掠り傷どころか汚れてすらいない。

「仲間もできたんだ。燃々以外にも。すげー口悪い美青年と、あとさっき言った殺人狂の美少女。二人とも字面は酷いが悪い奴らじゃない。きっと長い付き合いになる。いつか、連れてくるよ」

 友人を紹介する口調に、思わず玩具を自慢する子供のように熱が籠り、真夏はそれを自覚して少し恥ずかしくなった。

 静寂。

 言いたい事は沢山ある。だがいざこうして前に立つと、しばらくぶりだからか何だか言葉が上手く出てこない。普段なら一時間は喋っているのに。

 それとも、真夏の胸中に浸るこの気持ちが、自身でも読み取れない程に混迷しているからだろうか。

 数分、黙り込む。煩雑とした感情を一先ず整理してぽつぽつと話し始める。

「……魔法は、やっぱり嫌いだ。ここ最近の出来事でその気持ちはもっと強くなったと思う。でも燃々に明原、あと雪丸……あいつらまで嫌いなわけじゃない。あいつらとの出会いまで、後悔したくない」

 魔法使いになって、陽太を殺し、燃々といとに救われ、明原と出会って、『優生思想』の陰謀に巻き込まれ、『教室』の生徒になった。

「過去を何度悔やんでも、後ろ向きのまま生きられないから。どれだけ過去が辛くても、未来は前にしかないから」

 過去は変えられない。どうしようもないものをいくら悩んでも時間の無駄だ。過去から学んだことを現下の苦難に活かし、未来に備えるしかない。人類はそうやって進歩していった。

 真夏も同じ事をするだけ。魔法使いになって真夏の未来は良くも悪くも大きく変化した。だが、本質の生き方はあまり変わっていないのかもしれない。

「死にたくなるぐらい辛いこと、悲しいこと、きっとこれからも沢山ある。でも、心配しないで。魔法は嫌いだけど、怖くはあんまりない」

 真夏は指輪から刃を出し、ピッと親指の肌を浅く切り付ける。次いで、掌をぐっと握り込み、数秒後に緩やかに手を開いた。

 真夏の手中には、一輪の花が咲き誇っていた。小さな、されど確かに華やぐ朱色の花が。

「この魔法の中に母さんが生きている。仲間がおれの傍にいてくれる。今はもうそれだけでいい」

 血花を仏花のように墓石に添える。灰色の墓石の中央を陣取る朱色は、やけに目立っていた。

 瞳を閉じる。瞼の裏には、確かに母の笑顔が映った。

「母さんから貰った魔法と、生きていくよ」


「はい、自分に酔ってるところ失礼するよ」

「うおっ!?」

 背中にぶつけられた予想だにしない言葉に真夏は燃々のようなオーバーリアクションでその場から飛び退く。膝が墓石に強打した。痛い。

 声をかけられた背後を振り返れば、そこには真夏よりも大分背の低い小学生がいた。

「あ、アルマ先生…………?」

「はい、君らのアルマ先生ですよ」

 相変わらず教職とは思えないお調子者の言動が氷水のように真夏の頭を冷ます。

 冷静になるのと反比例して沸々と呆れと苛立ちのゲージが加速度的に吊り上がっていく。

「……何しに来たんだよ………………」

 とは言え、またこいつかという半ば諦観もあって、不快ゲージも徐々に降下していった。出会った当初に比べると真夏も寛容になったものである。

 だがアルマは真夏の質問に答えず、二位葉音の名が刻まれた墓石に目を留めた。

 何かを回顧するように目を細め、名を呼ぶ。

「二位葉音……。彼女もまた、未来ある次代の希望だった」

「え? おれの母と知り合い……だったのか?」

「まあね」

 何でもない事のように答えたアルマは、何処からか白いイングリッシュローズを一輪取り出し、血花の横に添えた。

「聞いてるだろ? 彼女も魔法使いだった。そしてその魔法は君に宿った」

「ああ……。死んだ後、いとさんから聞いた」

「彼女は別に『教室』の生徒じゃなかったけど、個人的に懇意にしている魔法使いだった。彼女は人として生きる事を選んだからね、アンダーに関わろうとしなかった」

 人として生きる——。つまり、魔法を忘れ、一般人の人生を歩んだという事だ。

「葉音は君が魔法使いの教室に入る事を恐れていたよ」

「え…………」

「『教室』に入れば間違いなく戦いに巻き込まれる。葉音は息子に自分のように普通の人生を生きて欲しかったみたいだ」

「…………母さんが、そんなことを?」

 母は生前、自分が魔法使いであると真夏に打ち明ける事はしなかった。それは真夏に魔法に関して無関係を貫いて欲しかったからだろう。

 だが現実は親子を嘲笑った。母の願いは叶わず、息子の夢は友を殺した。

「でも、自分が死んだら魔法を継ぐのは君だとも確信していた」

「————」

「葉音は僕にこう頼んだよ。『もしあの子が魔法使いになってしまっても暫くは放っておいてほしい。真夏は強い子だから、きっと自分で立ち直る事が出来る』」

 

「『けどもし、あの子が魔法と共に生きる事を選んだのなら、その時はサポートしてあげて』——と」

 

「…………」

 数年越しに明かされた真実に、真夏は息が止まる。

 どれだけ黙っていたか。暫時の間口を閉ざしていた真夏の最初の言葉は。

「……そう、だったのか」

 ただ一言。短く呟いた。

 知らない事だらけで、少しまだ気持ちに整理が付いてないのもあったが——、それ以前に、不思議と納得していた。

 驚きから抜け切れていない真夏に、アルマが追い打ちをかける。

「彼女は君の為に頑張っていたよ。例えば——その『杖』を君にプレゼントしたりね」

「え!?」

 アルマが真夏の左手に嵌められた銀の指輪を指差す。ソールの経営している謎の骨董屋で真夏が貰ったものだ。

「これ、あんたが買った訳じゃないのか」

「別に、僕が買ったなんて一言も言ってないよ。君は何だか勝手に勘違いしてたみたいだけど」

「…………一千万なんて、おれの入院費もあった筈なのに……」

「因みに君の制服の装飾を選んだのも葉音。あの白い薔薇のタイクリップとか」

「それもかよ」

「バッグの中身もね」

「マジか失くした」

 衝撃の事実である。というか魔法使いを辞めたと言っていた割にはかなり自由にやってる。

「…………ま、それ以外にも結構準備してたみたいだよ。『教室』に入る自体は反対でも、どんな道を選んでも君がなるべく不幸にならないように」

「…………」

 真夏の脳内イメージと何ら変わらぬ母の所業に、呆れと共に込み上がってくるのは、途方もない愛情に対する感謝だ。自分はこんなにも愛されていたのかと、改めて実感する。

 真夏の口元が緩く弧を描く。そんな真夏にアルマは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

「で、どうする? 葉音は君が一般人として生きる事を望んでいるようだけど……、今からでも戻るかい?」

「馬鹿言え、今更明原や雪丸を——ん?」

 今までの会話に不審点が見つかり、真夏は台詞を途中で切る。

 真夏を腕を組み、小首を傾げてアルマに問う。

「あんた……、おれの『杖』はおれの母さんが買ったって言ったよな」

「言ったね」

「じゃあ……、明原たちの分は? 誰が買ったんだ? あんたが買ったんだよ……な?」

「…………どうしてそう思うんだい?」

「いや……、何となく。おれの『杖』はあんたから貰った訳じゃない。母親に買ってもらった。つまり、言い換えれば『自費』だ。でも雪丸はともかく、明原と燃々は『杖』をあんたから貰った。同じように言うなら、『奨学金』みたいな感じだな」

「何が言いたいんだい」

「いや……。何でおれの母親は、『杖』を買うのに自分の財布から金を出したのかなって。あんたが支給してくれるなら……、別に態々自分が買う必要はないんじゃないか?」

「…………」

 真夏の指摘を受け、ニコッと擬音が出そうなお手本のような笑みを顔に張り付けるアルマ。

 その無感情な笑顔の鉄仮面を見て真夏は一つの『嫌な予感』が思い浮かび、つうと冷や汗を垂らす。

「もしかして……もしかしてだけど。『杖』に関しては自分の金で買わなきゃいけないのか?」

「まっさか~。ちゃんと僕が買ったよ? あの時はね」

 アルマの言葉に、真夏は確信を持って迫る。

「明原たちはお前に、借金してる訳じゃ……、ないよな?」

 真夏が出来れば口にしたくなかった単語に、アルマは笑顔の鉄仮面を外さぬまま懐から四枚の紙を取り出した。それは面接カードのように数多の枠組みが幾重に走っており、それは左から順に『日野森雪丸』『兎束燃々』『明原玖秭名』『二位真夏』と記されていた。

 話の流れ的に、それがただの自己紹介シートではない事ぐらいわかった。鞠のように飛び跳ねるアルマを真夏は焦って追い駆ける。

「おい、それは――」

「さあ、真夏! 新しい魔法使いの事件があるよ! 皆で『教室』に行こう!」

「ちょっと待て!! ちゃんと合意の上だろうな!? 事前にちゃんと話してるんだよな!? 明原たちはこの事を知ってるんだろうな!?」

「大丈夫! 事件を解決すれば相応の給料は支払われるよ! 借金返済タイムアタックだ! 誰が一番最初に借金返済できるかな!?」

「張り倒すぞてめえ!! てかおれの『杖』は借金じゃないだろ!!」

「仲間外れは可哀そうだからね、君用に予備の分をもう一個注文しておいたよ! 真夏の名義で!」

「やっぱお前ここで倒す!!」

 呵々大笑と転げ回るアルマを、『霊器』を持って追い掛ける真夏。墓に添えられた血花がそれを見て面白がるように、風に揺らされてころりと転がった。

  

 これはある夏の物語。悲劇を魂に刻まれた少年少女の青い夏。

 運命に抗う魔法使いたちの物語。


「……お姉ちゃん。行ってきます」

「おばあちゃーん! 私アルマ先生から呼ばれたから午後から店番一人でよろしくね!」

「……そろそろ行こうか」

 

 もし君が魔法使いになったのなら、夕焼けに暮れる裏道を歩いてみるといい。

 きっと風変わりな服装をした怪しい小学生が話かけてくる。最初から最後まで警戒すると思うけど、それはこちらが我慢しよう。

 半透明の店主から魔法使いの杖を貰って制服を着こなせば、君はもう独りじゃない。

 医者を目指していた血花の少年も、

 殺人狂の死神少女も、

 涙を堪えて微笑む少女も、

 愛を以て兄を殺した少年も、そこでは皆平等だ。

 25時、不思議な鍵で裏世界への扉が開かれる。

 君の後ろに道はない。勇気を一歩踏み出して、扉をくぐれば新たな世界だ。

 魔法使いの教室で、彼らが君を待っている。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

25時、魔法使いの教室に。 小林研輔 @kobayashi6015

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ