絆(神崎翼×チャハヤ)

1.(新)

 神崎翼が諜報員マールになるためにヴァナヤラにやってきたのは八年前だった。

 十年前、当時住んでいたシンガポールでアヴァラに巻き込まれた彼女は初めツァンナ州の州都ユヴルグにいたが、中国語と英語ができることを現地の華奴ブダカン代表者に買われて首都に送られることとなった。

 十五歳からの三年間、南洋人と日本人のハーフで元諜報員の蔵王ざおうさとしの指導の下、彼女はヴェリティ語の習得に励み、厳しい身体強化訓練を受けていた。

 そんな彼女の下に飛び込んできたのがチャハヤだった。


 ●


 ヴァナヤラ最大の神殿、ラン・トゥッダ神殿——「五人の神ラン・アジン五つの柱ラン・トゥッダ」を標語に掲げるヴェリティ王国では、この神殿は五つの民族の融和を表す象徴的な場所だった。

 七年前の八月、米軍の協力でヴァナヤラに初めて鉄道が通ってから五十周年を向かえたヴェリティ王国では、このラン・トゥッダ神殿前広場で記念式典が開かれていた。五十年前に起きたアヴァラでヴァナヤラ北のチャールズ・ジョンソン湾に漂着したアメリカ第七艦隊大型巡洋艦「カリスター」がもたらした数々の技術革新とその功績を讃える、という名目だった。

 この式典にはヴェリ人の様々な部族や王国アラハンナの発展に寄与した北洋人が参加し、翼は子供代表としてスピーチをする役回りを任されていた。


 この日はよく晴れていて式展会場はとても暑かったが、大勢の見物客が詰め掛けていた。

 そんな衆人環視の中、カリスターの最後の生き残りであるジェシー・トッド氏が壇上でスピーチをする横で、翼はステージ脇でヴェリ人や北洋人の子供たちと一緒にずっと並んで立っていた。

「……我々の学問的知識と科学技術によって、ヴェリティ王国にさらなる栄光と発展がもたらされることを願います。王国アラハンナ、そしてアメリカに神の祝福あれゴッド・ブレス・アメリカ。国歴三一三年、ジェシー・トッド」

 トッド氏は最後にそう締めくくって笑顔で降壇すると、傍で控えていた子供たちに花や果物でできた首飾りレイを渡した。未来の象徴である子供に夢を受け継ぐという趣旨だった。彼は子供たちに微笑みながら、この翌年諜報員長官DIに就任した林光輝リン・グァンホイらと共に立っていた。

 そして、ここからが翼の出番だった。

 ――見えなければ、大丈夫。見えなければ……。

 翼は目をつぶって自分にそう言い聞かせたが、首飾りレイの贈呈はすぐに終わってしまい、彼女が再び目を開くとそこにはいよいよ目の前のそこにはおびただしい数の黒い人ごみが見えた。彼女は思わず唾を飲み込んだ。

 ――ダメだ。私の役目はまだ終わりじゃない。

 翼は一度深呼吸をしてから、他の子供たちよりも一歩前に出た。すると、まるで揃えたように同じタイミングで、人々が一斉に彼女の顔に注目した。

 彼女は汗がどっと噴出してくるのを感じながら、できるだけ目の前の人の数に気をとられないようにトッド氏の前で短くスピーチをした。

「ジェシー・トッド、ありがとうございました。チャールズ・ジョンソンの意思を受け継ぎ、私たち北洋人はこれからもヴェリティ王国の発展に貢献していきます」

 彼女はまず英語で挨拶し、ほぼ同じ内容をヴェリティ語、さらに中国語で言った。マイクがないのでかなりの大声で叫ぶように話したが、それでも彼女のヴェリティ語の発音は非常にきれいで、群集の中にはそれを褒めるものもいた。そしてその様子を見届けたリンは満足げだった。

 やがて会場は拍手に包まれ、翼は他の子供たちとともに退場した。終わった後もしばらく、彼女の心臓の鼓動は速くなったまま元に戻らなかった。

 ――よかった。なんとかなった……。

 たったこれだけのスピーチだったが、数百人の群集を前に翼はとてつもなく緊張していたのだった。


 式が終わって、翼は他のスタッフと共に後片付けの作業を始めた。まだまばらに人は残っていたが、この神殿は宗教省の通常業務にも使われるため、ステージなどを早めに撤去する必要があった。

 翼は指示されたとおり、椅子を外へ向かって運び出そうとしていた。すると、人を掻き分けて一人の女の子が彼女の元へやってきた。

 その女の子は長い黒髪のヴェリ人の女の子で、笑顔で元気よく翼に声をかけた。

「ねえ、そこのあなた!」

 翼が振り向くと、そこには彼女が立っていた。彼女は黒いスカートと白い半そでのシャツを着ていて、翼と同い年ぐらいに見えた。

 ――王立学院の学生かな。

 翼がそんなことを考えていると、彼女ははきはきとした口調で彼女に尋ねた。

「あなた、さっきスピーチしてた子でしょ?」

 翼は式典の関係者かと思って、少しまた緊張した。

「……そうですけど?」

 すると彼女は興奮したように腕を左右に大きく動かしながら、彼女を褒めちぎった。

「英語と中国語だけじゃなくてヴェリティ語もあんなに上手に話せるなんて、あなたってすごいわ!」

 なんだか急に褒められてしまったが、嬉しかったので翼はお礼を言った。

「……ありがとう」

 彼女はさらに翼に尋ねた。

「あなた、年はいくつ?」

「八月に十六歳になったばっかりです。今年一年は十六歳かな」

 翼の誕生日は八月十一日で、年度初めが八月のヴェリティ王国ではある意味分かりやすい感じだった。

「偶然ね、私も十六歳よ! 私と同い年なのにそれだけたくさん外国語ができるなんてホント尊敬するわ!」

 すると彼女は目を輝かせて、また大げさに翼を褒めた。彼女はこの時十六歳で、ちょうど王立学院を卒業する年だった。

 翼はなんだか照れくさくなってきて、ハハ、と笑ってごまかした。

「私と友達になりましょう! 私、英語勉強してて、北洋人とお友達になりたかったの!」

 何のジェスチャーなのか、彼女はさっきから手を激しく動かしながら翼に迫ってきた。

「そうなんだ。まぁ、いいよ。友達になるぐらいなら……」

 翼は彼女の勢いにたじろいだ。

「ホントに? うれしい! 私のことは同い年ぐらいの家族や親戚プラガだと思って! あと、できたら中国語も教えて。にも興味あるから!」

「わ、分かった」

 そう言われて、翼は少し苦笑した。

「そういえば、何て呼んだらいい?」

 聞きそびれていたので、翼は彼女の名前を尋ねた。

「そうね……。『チャハヤ』って呼んで」

 彼女が口にしたのはヴェリティ語で「イガラ」と呼ばれるニックネームだった。

「あなたは何て名前なの?」

 今度はチャハヤが尋ねた。

「皆には『小翼シァオイー』って呼ばれてるけど、言いづらいよね」

 翼は中国語でのあだ名を教えた。

「シァオイー……? それはどういう意味の名前なの?」

 すると翼はヴェリティ語で意味を言った。

「『ツバサパル』の意味だ」

「へー! 面白いね。うーん、それをあなたの名前イガラにしてもいい?」

 こうして二人は、ヴェリ人たちが皆そうしているように、お互いをどう呼び合うかをその場で決めた。

「分かった。『チャハヤ』」

「よろしくね、『ツバサ』ちゃん」

 これが、彼女ら二人の初めての出会いだった。そして十六歳の一年間で、翼の人生は大きく変わっていった。

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