第8話 瀆者驕横

「戦場になるとすれば」

「クリグ・マウル山谷地帯、ですね」


 間髪を入れない応答に、良き生徒を得た教師の面持ちで上杉慎太郎は破顔する。いまは急遽とって返して京師に10万を残し、残余の兵で西の方へむかう途上。馬上の乕の背には晦日緋咲が、斥候・密偵という自分の職分をすっかり忘れたとろけた表情で、幸せそうにしがみつく。かわりに斥候任務に出ているのは牢城雫で、再三心配する乕に「トラちゃんに心配されるほどおちぶれてないよ~、やはは~♪」と言い残してさっさと行ってしまった。恍惚境の緋咲はほとんど痴呆状態で会話する能力を失っており、乕と馬術で比肩できる存在もまず他にいないと言うことで併走する上杉との一問一答的な流れになっている。


「ご名答。100万の兵もあそこに引きずり込みゃあ、各個撃破してくださいって行ってるよーなもんです。トラさんの軍師があの戚なら、まずそこの誘引をしくじるってこたぁないでしょー……で、分断しましたとして、次は?」

「……混乱させて同士討ちを狙う?」

「いい感じっスね。さすが辰馬サンの息子サマ。で、やるとすりゃあ火か岩でしょーな。あのあたり、空気が乾いてて火が付きやすいし火計には上々、味方も火に巻かれるのが嫌なら高所から岩で」

「どちらも人死にが大きくなりませんか? 僕としては可能な限り損害は減らしたいのですが……」

「カーッ!!」

「っ!? す、すみません、生死を懸けた戦場で、甘いことを……」

「いやぁー、まるで辰馬サンみてーだなって! んなこと言われたらじーちゃん嬉しくなっちまいますなぁ! っし、損害抑える方向でやりましょう!!」


………………


「誘い込まれた、か」


 全軍後方から、してやられたとハゲネ・グングォルドは上唇を舐めた。敵の繰り出した小部隊を叩いて進み、叩いた先にまた置かれている小部隊を叩いてはまた進み。それを繰り返させられるうちに、帝国軍の先鋒隊10万ほどはすっかり断崖に囲まれた山谷地帯に引きずり込まれてしまった。意気軒昂な先鋒隊に今更引き返せというのは無駄であろうし、指揮官が消極的な言葉を吐くのは士気にも関わる。敵のこざかしい罠を食い破って勝ち進むことを願うばかりだ。


………………


 中軍を統帥するヘラクリウス・アウグストはやや焦燥していた。岩陰から襲いかかる公国軍の野伏部隊が、異常なほどに強い。これまでヘラクリウスは真っ向勝負の戦に押し負けたことのないのが自慢だったが、その伝説を瓦解させるほど皇国の野伏たちは強かった。兵力としては多くない。上杉慎太郎を降して大急ぎで20万をこちらに割いたとはいえ、その配備はまだ完全ではないから彼らはもと帝国正規兵とは違う。トウカ・サトラ(旧桃華帝国)において、失脚させられた師父・呂燦将軍。そのお家再興を目的に、40年近く寡兵でのゲリラ戦を繰り広げ続けてきた戚凌雲の用兵は、こういう地形、こういう状況でこそ冴えに冴える。こちらが気勢を張って強行すれば引いていなし、こちらの勢いが減衰するとその機を逃さず猛撃を加えてくる。ただ敵の至強をこちらの最強でねじ伏せ、ひしぎ倒すという戦法では通用しない相手に、ヘラクリウスは翻弄される。


………………


「お前たち、どうにかしろぉ!  俺は指揮官だぞ、兵士は指揮官を助けるのが仕事だろーが!?」


 最前線で戦法大将を拝命するのは月護刻晴(つきもり・ときはる)という若手将官。祖父に新羅辰馬の士官学校における後輩、月護孔雀をもち、エリートとして嘱望される人材である。しかしこの月護は無能ではないものの、優秀ともまた言いがたかった。本来同僚のラグラン・カスターと並進する手はずであったのに、自尊心の強い月護は栄誉ある太祖直臣の血脈がぽっとでのカスターに手柄を奪われてはならじとカスターを出し抜いて猛進、敵を追って追って追いまくり、気づいたときには軍は伸びきって孤立させられている。そうなれぱもう、狩人と得物の立場は逆転である。ライフルの弾丸が、驟雨のごとく雷霆のごとくに月護の頭上を襲う。月護はみっともなく兵士たちを盾にして逃げ惑い、そして結局逃れきれず、抜剣突撃の前に負傷してとらわる。


………………


「……とまぁ、前哨の状況はこんなところです」


 合流した新羅乕を迎えて師父と皇帝の抱擁を交わし、上杉とも万感の思いを握手に込めて、戚凌雲はそう言った。戦前、状況は絶望的と詠嘆していた人物とは思えない水際だった用兵に、乕は改めて感嘆させられる。そもそも戚にせよ上杉にせよ、すでにボケがきていておかしくないのだが、二人ともその鋭気風発なること一切老いを感じさせない。これが新羅辰馬と大陸唱覇を戦った人傑の才覚かと、舌を巻くほかはない。


「このまま、勝てますか?」

「難しいですな。なにせ100万の大軍をいちどきに覆滅する策となると、古今に類がない。兵の練度・武装においても敵が優位、こちらの利は地形のみですが、兵法にも要害を恃むは下策、亡国のはじめといいますからな。そしてハゲネはなかなかの良将、彼を狙っての誘引はもうそう簡単には成功しますまい」

「そんならハゲネに近いヤツを誘えばいーんだよ。捕虜の……月護。こいつ使えるんじゃね?」

「……なるほど。あの男の虚栄心と功名心を利用するか」

「おう。んじゃ、細かい話は軍師殿に任す!」


 悪い笑顔をかわしあう戚と上杉に、乕は頼もしいと同時にうすら寒いものをも同時に感じる。万が一にも裏切ることなどない二人ながら、彼らを敵に回したらと思うと正直、勝ち目がない。


「偵察、行ってきたよ~♪」


 雫が戻ってくる。


「おかえりなさーい、雫おねーさま。うふふ、うひ、えへへ♡」

「んー、どしたの、緋咲ちゃん? なんかいーことあった?」

「はい! それはもう! にーさまと二人乗りで、えへへぇ~♡」

「うんうん、よかったねぇ」

「雫ちゃん先生、情報は?」


 緋咲の頭をなでてあげる雫に、上杉が声を掛ける。その声がやや硬質なのは、内心の焦慮の現れか。上杉の隣で、戚もまた表情をこわばらせている。いくら自信満々に振る舞っていたとして、全面的に勝利を確信できてなどいないのだ。


「うん。やっぱり大回りして山岳地帯を迂回しようとしてる部隊がいるね」

「後背の平原を取られてはこちらに不利。それはどうあっても叩かねばなりませんな」

「では、そちらは僕が」

「主上の御身に危険があっては……と、言いたいところですが、主上以上に遊撃任務に向く人間がいないのも確か。お願いいたします……牢城殿も、お願いできるか?」

「もっちろん! あたしがトラちゃんほったらかしたらたぁくんに怒られちゃうからねー」


 心配されるならそれはそれで嬉しい乕だが、その理由が父親との約束だから、と言われると悔しいやらつらいやら悲しいやら。最初から芽がないことはわかっているとしても、ここまで男として意識されていないのはつらい。


………………


時を少しさかのぼって、ハゲネ・グングォルドの幕舎。


 地形図と駒を動かして戦況をシミュレーションするハゲネの前に、5人の、あまりガラの良さそうでない兵士が現れる。ハゲネとて配下の兵士すべての顔と名前を記憶しているわけではないが、それにしても見覚えがなさ過ぎる。男たちの身ごなしやまとう烈気、そういうものを総合的に勘案して、一度見ればまず忘れないたぐいのレベルでありながら覚えがないというのは、少々おかしい。


「……迂回部隊が突然、謎の5人組に全滅させられたと聞いたが……刺客か?」

「いえいえ。俺等は帝国の忠良な臣民ですよぉ……。へへ、苦戦しておられるようで、この戦況、一気にひっくり返してみたくはないですか?」

「……なにか、手があるか?」

「簡単ですよ、暗殺です。皇国……おっと、賊軍の求心力・新羅乕を消せばいい」

「暗殺か。あまり私好みのやりようではないが、やむなしか……」

「ええ、実際手を汚すのは俺たち五人がやりますんで。閣下は山越え迂回作戦を承認したってだけで。たまたまその中に殺人狂が居た、そんだけです……」


 男は赤い宝石を見せながら、噛んで含めるようにハゲネに言う。ハゲネはなんの疑いもないように諾々と、山越え作戦の指令書にサインを書き付けた。


 ぼんやりした瞳のハゲネに見送られて、「それでは。朗報をご期待ください」男はそう言い、仲間たちを引き連れて退去する。


「へへ……、これで、罪人の俺が王侯だ」

「宰相様々だな。あのデブ、本当なら真っ先に皇国に寝返るべき人間のはずなのによ、太祖新羅辰馬さまへの忠誠ってのもたいしたことねぇな」

「ま、どーでもいいべ。ともかく、新羅乕がどれだけ強かろうが、これだけの【遺産】で武装した俺たちに敵うはずぁねーや」

「なんでもいい、ブチ殺すだけだ」

「新羅の血筋って美形揃いなんでしょお? 殺す前に味見したいわねぇ♡」


 かくして、獣たちは解き放たれた。


………………


 狼牙、雫、緋咲と、選抜された精鋭兵200は静かに山岳地帯の外周を進んでいた。


「この兵力って少なくないですかぁ? 敵さんが何万もいたら全滅しちゃいますよぅ?」

「向こうもこちらに動きを悟られたくはないからね。大規模な軍を動かすことはまずないよ。それ以上にこちらの後背を扼す、その事実がほしいわけだから」

「はあ。そういうものですか」

「そういうものだよ。不安なら緋咲は戻ってもいい」

「なにを言うのですかー! にーさまを放って緋咲が逃げるとか、そんな薄情な子だと思っていたんですか!」

「あ、あぁ……済まない、失言だった。そうだね、信じて付いてきてくれる緋咲に、いまのは失礼だった」

「そうですよ。わたしだって怒ります」

「じゃあ……、一緒に来てくれますか、お姫様?」

「……ふひゃあぁ~、はい、にーさまぁ♡」


 そんな乕と緋咲の会話を、「うんうん、仲良し仲良し」と雫は嬉しげに見つめる。雫としては新羅家正統の血脈を乕で絶やすことは許されないわけで、といって辰馬に操だてしている自分が乕に娶られるわけにもいかない、であれば誰が最適任かと考えた場合、誰より素直で明るく元気であり、意志の強さを併せ持つ緋咲以上の花嫁候補はいない。乕がまだ自分に懸想しているのはわかっているが、ここは強引にでも二人をひっつけてやろうと考える雫だった。


「とはいえ……その前にちょっと、ハードな闘いが待ってるみたいだけど」


腰の佩刀、「白露」2尺6寸5分を抜く。ぎらり輝く白刃の剣光を照り返して、勾配の上に待ち構える5人の男女が見えた。


「へぇ~……、あの若さで78才のババァ!? 全然ヤれるじゃん?」

「順番な。この女に最初に攻撃当てた順」

「だったら絶対俺じゃん。わりーな、おめーらに回す頃にはもうガバガバんなってるけどな」

「んー、いまあたしのことババァっていったのだーれーかーなー、かなかな~?(゜Д゜)」


 男の一人の不用意な言葉に、雫の頭がブチッと切れた。


「ほんと、すっごい美形……。殺しちゃうの勿体ないわ~。でも、自由とお金のためだから、死んで?」


 乕に気取られることなくその真横に滑り込んだ女は、濡れた瞳と熱い吐息を発しつつ乕のあご先をつつ、となで上げる。


「んじゃ、俺はこのチンクシャか……あと5年なんだよな~ぁ……まあ、仕方ねーか」


 最後の男はやる気なさげに気怠げに、面倒くさそうにそう言って、無造作に拳をブォン、と振る。


「ひゃう!?」


 素っ頓狂な声を上げながらも、腐っても密偵。軽捷な身ごなしで拳をかわす緋咲。そこで止まっていた時間が動き出す。200の兵士は指揮官たる乕たちを護るべく前に突出するが。


「三昧神火の神焔扇」


 女が短く呟き、羽扇を振るう。たちまちに200の兵はやけどだらけの火だるまとなり、戦力を失った。


「さぁ! そんじゃ遊ぼーぜぇ!」


 リーダー格の男が、短刀をかざす。ワイヤーでつながれた氷の刃は64枚、まるで天に咲き誇る桜の如し。


「それ……天楼!?」


 滅多には驚きを表に表さない雫が、驚愕と激昂を同時に現した。新羅辰馬が生涯佩刀として使い続けた、新羅家の家宝。それを許しなく振るうという不遜。それだけで、雫にとってこの連中を全力でたたき伏せる理由に足る。


「「「雫おねーちゃーん、遊ぼーぜぇ!」」」

「……五月蠅い」


 それぞれに強化系の遺産をふんだんに使い、さらに衣服は魔法防具、武器は聖剣。それで固めて三方から。絶対勝利を確信する男たち。


 対する雫はわずかに腰を落とし、居合いの構え。体内で練った「気」を、一気にはき出すと同時に発す。その動きの凄絶、まさしく竜巻の如し。一の太刀で向かってくる剣のすべてを跳ね上げ、二の太刀、まず一番手近な相手の腕を峰打ち強打、三の太刀、二人目の身体の下に入ってあご先を跳ね上げ、四の太刀で高く跳ね上げた身体を再びかがませつつ、三人目に打ち下ろしの袈裟懸け。五の太刀で同じく三人目のすねを強打し、六の太刀、二人目の脇を下から打ち上げ。七の太刀で一人目の脳天に唐竹割りの一撃! 瞬天七斬、神伏の妙技、いまなお健在!


「たぁくんを穢されちゃあねー……温厚なあたしもこれはね、キレちゃうから」


 蜻蛉の尾のように切っ先を揺らめかしながら、雫の宣戦布告。魔法防具で強化されていたとはいえ一気に大ダメージを受けた男たちは、敵愾心に燃える瞳でハーフ・アールヴの少女を睨めつける。


 いよいよ本格的に、戦闘開始であった。

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