第6話 杵臼邂逅
「できる限り、無傷であの少女たちを手に入れたいものだ」
エッダ方面叛乱討伐軍総司令官、シェティ・ザントライユは、軍議の席でそう言った。何人かの将官偏将がお追従の捕縛策を言い立てるなか、北嶺院文(ほくれいいん・あや)は苦々しげに奥歯をかむ。舌打ちしたいくらいなところだが、さすがに自分の立場ともと大公家の育ちがそれは思いとどまらせる。
とはいえ。
完全に腑抜けね……これは勝てるものも勝てない……。
という実感はどうしようもない。すでに文の中でこの戦いは、いかにして勝つか、ではなくいかにして損害少なく負けるか、そちらに比重が移っていた。
「私が小勢で前に出れば彼女らも油断して気を許すのではないかな。そのうえで説得を……」
「「「駄目でございます! 御身玉体に万一のことがあっては!!」」」
シェティの言葉には基本イエスマンしかいないこの軍だが、しかしシェティに瑕瑾(かきん)ひとつでもつけようものなら女帝エーリカの嘆きと怒りが恐ろしい。ために将校連は過剰なほど、シェティを前衛に出すことに反対する。
それにしてもシェティはまだ戦争の機微というものを知らない、そういうほかない。100万の兵を率いているという慢心は、彼がこの1ヶ月で磨き上げた天賦、智慧の鑑をすっかり濁らせていた。100万対6万、一見して負けるはずがない状況だが、勝敗に戦力差はあまり関係がない。士気と策と勢い、それが勝る方が勝つということを、シェティは頭脳で理解できていても実感として実にしていなかった。
……
そのころヘリアン・ディード、ヒルダ・シュバルト、スクルド・ウランゲリの三人は欣喜雀躍の報せを受け取った。
明染白夜、出陣。本来これは前哨戦、軽々に出馬するよりまずはひとあたりして敵を測るべし、と説くレンナート以下の参謀連に、それでは無辜(むこ)が死ぬだろう、と反駁してついに7万での出陣を認めさせた大公家の次期当主、白銀の甲冑と白マントをまとい、騎兵隊を率いて征く偉容はすでにレーヴェンスノックの勝利で彼を軍神たらしめている。カリスマのもと、士卒たちは十全以上の力を尽くして働き、白夜が率いる大公家兵7万は兵威10倍である。
そして帝国軍。彼らも足並み整わない愚将の集まりでは、当然ないのだが。なにぶんにも次期皇帝の前でいいところを見せて栄達の糸口にしようという考えがある。結果として抜け駆けで突出する将が相次ぎ、血気にはやる彼らは後続を待たずして深入り、伏兵で叩かれ、そして相手が寡兵ゆえになんとか凌いで反撃、というところ、それまで地面であった表面が割れて水底に沈む。服を着て泳ぐだけでも相当な離れ業、鎧を着けてとなればそれはよほど並外れた勇者の技である。ゆえに並外れた勇者ならぬ過半の兵はここにおぼれて沈む。5万の兵が2カ所、同じ手で覆滅せられ、帰還を果たしたのは10万中の6万。その6万はまずこの戦争中には復活できまい。
「勝てる……! この勝利を白夜さまに!」
ヘリアンは生気を取り戻した顔で叫び、後ろに立つ兵たちも気勢を上げる。このとき普段見慣れぬ男の姿が陣中にあることに気づければよかったのだろうが、緒戦に大勝したことで浮かれるヘリアンも、ヒルダもスクルドも気づくことがなく、そのため帝国間諜による火攻めへの対応が一拍遅れた。
陣を焼き、恐慌に乗じて兵を乗り入れる。これはもとよりシェティの策ではない。これを実行させたのは北嶺院文である。シェティは殺戮の停止と消化を呼びかけたが、その間文は冷徹に勝利のための手を打ち続けた。なにより皇子の心を乱すヘリアン・ディード以下3人の身柄を確保すると彼女らを死亡扱いにしてシェティの目から遠ざけ、実際には獄吏に与えて陵辱尋問を続けさせ、情報を搾り取らせた。
果たせるかなその数日後、明染白夜率いる7万が到来。指揮官不在の民兵4万と合流し、ヘリアンたちの仇討ちに燃える。文は士気と気勢からして勝ち目なし、とシェティに促し、消沈状態のシェティはその勧めに従って約32キロばかり陣を退いて鋭気を整えた。やがてシェティも冷静と頭脳の明晰を取り戻し、ゆだんなく陣を構える。両陣対峙してにらみ合い、かくてこのまま互い思考の、読みあい、長考に入る。
……
…………
………………
スノリングラ雪原の戦いが始まったそのほぼ同じ頃。
真統新羅皇国も危急を告げた。
帝国海軍元帥・梁田篤伯爵とその子飼い、上杉慎太郎子爵は、東の海からアルティミシア大陸東端、旧アカツキに上陸して、八幡平野を騎兵で西進、各所の砦を抜き、1週間で京師太宰に肉薄してしまう。あまりにも鮮やかすぎる電撃戦だった。アルティミシア大陸から西の方の新大陸を攻めていた彼らは、そこから転進するのではなく前進を続け、地球一周してアルティミシアに戻ったらしい。ずいぶんとダイナミックな行軍であり、よほど巧みな航海術と放胆さがなくてはこうはいかない。
さすがに、戚凌雲の智謀もこの敵は予想していなかった。現在皇国がアカツキ側で動員できる総兵力は大公家と同等でほぼ20万前後。それがアカツキ40余州に分かれて分屯しているわけで、太宰に一極集中させることのできる兵力となると5万というところ。国民軍の創設はとりあえず後回しにして、まずは用兵を雇い入れる……そう考えていた矢先、兵力の全く整っていないところへの猛チャージ、この戦局はいかんともしがたい。
「主上には蒙塵(もうじん)いただくほかない……、か」
蒙塵、皇帝が玉座を捨てて逃げること。帝位に就いたばかりの乕を落とさねばならない、そう考えるほどに事態は切迫していた。
……
「うらうらぁ~っ! 死ねや賊徒死ねや叛徒! この国はなァ、辰馬サンが必至で護って築いた国なんだよ! てめぇらが手垢臭ぇ手で勝手に触りやがんな!」
竜騎兵連隊の最前線に立って、上杉慎太郎はライフルを乱射する。乱射しているように見えて一発の無駄撃ちもなく、一射ごと間違いなく一人を射倒して外すことがない。他の兵士が持っている新式銃から比べると3世代ほど前のライフルなのだが、命中精度から飛距離、殺傷力に至るまで信じられないような破壊力を誇った。かつての新羅辰馬の腹心が一人、今なお健在である。
海軍60万のうち、梁田篤は40万を上杉に与えて先行突撃させた。輜重隊20万を除くとしても純兵力20万、これを相手にするのは現在の皇国としては不可能に等しい。
「……という状況にございます」
沈鬱な表情で、戚は言った。普段の自信も威風も、今ばかりは見る影もない。相手が実戦慣れしていない烏合ならまだしも、帝国で最も実戦経験豊富な二人が圧倒的大兵で攻め寄せるのだ。大兵に兵法なしとはよく言ったもので、この戦力差、そして梁田・上杉がなまなかの策には嵌まってくれないだけの智謀を有すること、それらを勘案して考えると、どう手を打っても真っ向勝負で揉み潰される。
「籠城して援軍を待つというのは?」
乕の言葉に、戚はかぶりを振る。
「こちらの総力を結集したとして20万、あちらはそれが集まる前に各個撃破ができる形成にあり、さらに本邦後方には帝国本軍100万。野戦より幾分の利があり、この柱天が天下の名城といえど、勝てる道理がございません」
「………………諦めたくないですね」
乕は摩擦を避けるタイプであり、あまり我を通すタイプではない。しかし国主としての自分に目覚め……それがたとえお飾り、象徴的な存在であるとしても……、彼のなかでなにかが変わっている。ひとに無理だと言われても固執したくなるものができた。
がらり、襖が開いて。
「たぶん、攻略法は簡単だよー?」
乗り込んできてそう言ったのは牢城雫。隣には女神サティアも一緒に居る。
「雫さん? 手がありますか?」
「手、ってゆーか。あの子たぁくんのすっげー信者だから。たぶんトラちゃんが姿見せれば一発だと思うよー?」
「は……ぁ?」
「まあね-、シンタくんが昔通りだったら、ケツ触らせろーって追いかけ回されるかも?」
「は……? なんですか、それは?」
「だーからあの子はそーゆうヤツなんだってば。やってみれば分かるよ!」
「ちょっとお化粧した方がいいかもね。旦那様とは少し、雰囲気が違うから……髪の色も染めて、肌も日焼けしすぎね」
「な、なんですか女神様……寄らないでください、近いですよ……」
「ふむ……そーいうところは昔の旦那様そっくり……。でもちょっと気弱ねぇ……」
ずいと身を寄せてくるサティアに、脂汗を垂らす乕。魔獣相手なら百戦錬磨の彼だが、身内以外の異性にはすこぶる弱い。サティアのように露出の高い女性を相手にする機会もなかったので尚更だ。
「そんじゃ、戚さん。トラちゃん連れてくからねー」
「あ、あぁ……主上に無理はさせんようにお願いしますぞ……」
「だーいじょぶだって。シンタくんなら間違いないから。あの子三人の中でも一番たぁくんに惚れてたから。もうそりゃーね、あたしがうらやましくなるくらい」
……
半日後。
太宰近郊に、上杉慎太郎の兵は逼った。
兵威は圧倒的。突破力においてはおそらく、帝国でも朝比奈大輔を凌ぎ明染焔に次ぐ男の用兵は、戚凌雲の仕掛けた罠も策もことごとく踏み破ってここに至る。戚が無能なのではない、上杉が優秀すぎるというのもあるし、戚の策を実行する兵の練度が低かったり彼らが戚の意思を汲めていなかったり、そういう要素が大きい。そしてなにより、上杉慎太郎という男は将軍として、運のつきが抜群によかった。発動するはずの罠がなぜか発動しなかったり、伏兵のタイミングに合わせて、偶然に直前で進軍を停止したり、とにかく理由の分からないなんらかの加護的なものが、上杉にはある。
太宰城門前。
そこに陣するのは2千と数百人の、わずかな兵。いくら時間がなかったとはいえ、これは近隣からすら集めていないことになる。この危急にそれはおかしく、上杉は罠かと勘ぐり多少の疑心暗鬼に陥ったが、すぐに罠ならそのまのま食い破る、と考えを切り替える。この老将は既成概念という思考の陥穽(かんせい)にとらわれることがなく、その点非常に頭が若く、柔らかい。
副将がそんなふうに、頼もしく騎上の主将を見上げたとき。
上杉の目が驚きに見開かれる。
まだ敵陣までは数キロの距離、相手の細かい顔など見分けられないはずだが、それでもなお上杉は驚かざるを得なかった。
「舐めてやがんのか……辰馬サンを……陛下を穢すかアァ!!」
全軍突撃、そう言うまもなく、奔馬の突撃。ライフルを構え、射撃、狙撃。さすがにこの距離だと命中しない……というより射程外、末弩の勢いでしかない。
上杉慎太郎は怒っていた。ここ40年間ないほどに怒っていた。敬愛する主を穢されたという思いはそれほどに強い。死者を暴き立てその姿を真似る、どれほどの罪か教えてやると考える上杉は、敵将の名前が「新羅乕」であることを知らない。出水秀規からの通信では「叛徒がアカツキを奪った」としか聞いていないので当たり前だが。
たちまちに距離を詰める。一撃必中の間合い。瞬時に照準、次の瞬間には発射……そのはずが、引き金を引けない。指先が震える。相手が偽物だとしても、新羅辰馬の似姿を踏めぬ。
「シンタ」
「!?」
飛び上がらんばかりに驚く。やや低いが、叛徒の偽物の声は上杉が記憶している新羅辰馬の声、それに限りなく酷似していた。
「申し訳ありません、あなたを謀るつもりはなかったのです。僕は新羅乕、新羅辰馬と瑞穂の間の、第2子。京師太宰、柱天城の、緋色の間で生まれた紛れもない皇子です」
「皇……子……? 辰馬、サンと……瑞穂ねーさんの……い、生きて、生きておられたかアァァ!!」
感極まり、涙して、上杉は馬からほとんど転げ落ちるようにしはて下りるとすかさず平伏した。配下の将兵たちは茫然だ。当然と言えば当然、彼らは皇祖新羅辰馬の顔など知らない世代がほとんどであり、美少女めいた風貌を持つ敵将、その顔がなにほどの意味を持つのか全くもって理解できない。しかし彼らは上杉を信じること父を慕うがごとくであり、それゆえ上杉が「何してやがるァ!? おめーら全員、平伏ゥ!!」と怒鳴りつけると慌ててそれに追従した。
「生きてるうちに皇統の真主に出会えるとは……今日はこの40年で最良の日だ! 皇子、この命と30万の兵を貴方に捧げます! 存分にお使いあれ!!」
災い転じて福となす。かくして皇国は一挙まとまった軍事力を手にするに至る。
「有り難うございます、上杉さん」
「いやー、シンタでいいっスよ? トラさん。つーか……」
「はい?」
「ケツ、触らせてもらってもいーっスかね?」
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