第4話 両虎共食
春三月、新羅乕決起。
そのおよそ1月後に女帝エーリカが倒れ、さらにその半月後、明染白夜蜂起。レーヴェンスノックの野で帝国将軍ハゲネ・グンヴォルトおよびヘラクリウス・アウグストゥスが敗北したのが、奇しくも先帝新羅辰馬と第一皇妃瑞穂の邂逅した6月19日と重なった。
そして7月1日、約4ヶ月の意識不明から、女帝エーリカ・新羅・ザントライユ復活。
目覚めてみれば体調はとくに悪くない。このまま征伐の軍を率いるのもいいかもね、と軽口をたたくと、典医チームから大目玉を食らった。曰く今回は過労による貧血性の昏睡で済んだが、可能性としては生還の率の方が低かったらしい。理由としては老齢にもかかわらず日に1~2時間の睡眠しか取らず、激務をこなすことが指摘された。なにせエーリカはこの年になってなお工房、法廷、練兵場などありとあらゆるところに顔を出し、些細なことにも自ら裁断を下す。故・新羅辰馬もそうであったが、人任せにできるところをしないあたりが彼や彼女の美点でありつつ欠点であり、特にこの年になると肉体の損耗はすこぶる激しい。
ともかくとしてエーリカ不在のまま帝都を衝かれる、という最悪の事態は避けられたがわけだが、女帝を怒らせたのは一人息子・シェティ・ザントライユの態度である。37才にして子供のようにおろおろと「母上、母上」と泣くばかり。なき夫であれば「おれが代わりにやる」と言ってのけるところであり、なまじっか見た目だけは辰馬にうり二つであるばかりに、皇太子へのいらだちは愛情が反転して苛烈なものになった。
「お前はさきにサトラ・アカツキの総督位を願ったのではなかったか!? それが母が倒れたくらいでこのていたらく、皇家の連枝として恥ずかしくはないのか! むしろ母の命を断って自ら践祚(せんそ)するくらいの気概を見せなさい!」
「ッ!?」
母の強烈な叱咤に、皇太子は恬然(てんぜん)としてこれまでの甘えた自分を悔悟(かいご)する。ここでつまらぬ反発を抱いたりなおも泣き続けるならばいっそ、帝国は乕なり白夜なりに呉れてやってもよかったが、シェティの目に理知の輝きが宿ったのを見てエーリカはそれを思いとどまる。
その折、ウェルスの戦陣を平らげて帰国した女将軍・北嶺院文(ほくれいいん・あや)にエーリカは遅まきながら、シェティの軍略指南を委ねる。文は新羅辰馬の貴妃にまで上ったが、結局子をなせなかったため皇妃候補になることもなく、エーリカもことさらの警戒を払うことはなく将軍職においた女性である。もともと兵站や調略、陣法といった直接戦闘とは関わらない部分を得意とする文だがそれは明染焔や朝比奈大輔に比べると荒事向きではないというだけであり、少なくとも将略・知謀ともにレーヴェンスノックの立役者、レンナート・バーネルに劣るものではない。
そして、やはり新羅の……というか伽耶の……血筋というべきか。皇太子シェティは砂が水を吸い込むように、軍学というものをものにしていく。まだ基礎の段階ではあるが、その成長スピードの長足は亡父に届かんばかりだ。エーリカも文も驚き、そして何より誰より、シェティ自身が新しい扉を開いた自分に驚いた。ぽやぽやとしていた風貌は1週間で精悍さを加え、1ヶ月で鋭利さを伴う。この時期になるとシェティはハゲネやヘラクリウスと模擬戦を競っても互角か、あるいは優勢で推移するだけの技量を身につけていた。特に周囲の地形を素早く見極め、最適の作戦行動を取る即応力が素晴らしい。
ただ、幼いまま大人になったようなシェティの中に闘争心の熾火がともったことで、闘争心の表裏一体、性欲が顕在したのは困りもの。これまでずっと栓をしていたものが一気に解放されたために本人ももてあますらしく、若手の取り巻き将校に誘われるまま娼館通いの癖をつけてしまった。まだ身を持ち崩すところまでは行ってないから、自分が健在なうち、早々に「彼女」を迎えなくてはならない、エーリカはそう思ってまた深夜まで起居し、アカツキ、ヒノミヤへと手紙をしたためた。
・・・
真統新羅皇国、京師太宰。
宗教街区ヒノミヤの山麓。
「兄さま、ヒノミヤは初めてですかー?」
「あぁ、うん……。僕はずっと辺境か、国外にいたからね。神職の方に会ったこともほとんどない……雫さんは、知っているんですか? 覇城(はじょう)すせりさん」
「んー、あの子もまぁね、トラちゃんの縁者ってことになるかー。まあ、実際のとこあたしとの縁のほうが濃いけどね」
「?」
「えーとねぇー……、あたしの牢城家が覇城家の分家で、すせりんのおとーさんってのがまあ、あたしの又従兄弟なの。で、すせりんのおばーちゃん……磐座穣(いわくら・みのり)さんはたぁくんの奥さんの一人……なんかややこしーねぇ」
晦日緋咲(つごもり・ひさき)に先導され、新羅乕と牢城雫はヒノミヤに続く整備された山道を登っていた。凹凸の少ない磨き上げられた石の階段は、磐座穣が腐心して造らせた建造物だ。40年前の時点ではヒノミヤへの道は荒々しく猛々しい山道であり、登山するだけで苦行だったものを病人や老人にもせめて登り易くと配慮したあたりに、穣の人柄が窺える。
「また、父の女性遍歴の話ですか……本当に不誠実な……」
「いやー、ある意味すごく誠実だよ? たぁくんは」
「どこがですか。そこだけは雫さんの言葉でも聞けません。雫さんは父の幻を見て真実を見ていないんです」
「そーかなー? そーかもねー、やはは」
相変わらず、亡き父に対するときだけ乕の舌鋒は鋭い。異性は生涯一人と決めている乕にとって、どんな理由があろうと大勢の皇妃・貴妃を迎えた「だらしのない」父は嫌悪の対象でしかない。そこに千言万言を費やしても乕の意思を変えられないのは分かっている……乕が10代の頃はこの母子はもっと激しく、新羅辰馬論を巡ってしばしば大げんかだった……から、今更雫は食い下がらない。
「それで、縁者ということは分かりましたが、まだ17才? の子供ですよね? 彼女が皇国の命運を担う、というのは……?」
「あー、うん。天才なんだよね、あの子。おばーちゃん……穣ちゃんもそうだったけど、ほとんど未来予知みたいな力があって」
「……、それは魔術、でしょうか?」
「違うよ-。完全に純粋な情報収集力と分析力からくる先読み」
「はぁ……それはそれで、すごいですね……」
「あとまぁ、おばーちゃんはもう、壊滅的に運動神経鈍かったんだけど。すせりんは運動神経もいいんだよねー。戚さんとしては自分がいなくなったあとの軍師としてお迎えしたいんじゃない?」
「なるほど……とはいえ、当面戚さんが倒れる図は想像もつきませんが」
「どんなことだって突然に起こるよー。トラちゃんは若いからまだわかんないかー」
「兄さまー、雫ねーさまー、もうお姉様待ってますよー!」
「あーはいはい。ほら、急ぐよー、トラちゃん!」
「……はい」
どんなことも突然に起こる。雫はそうしたことをあまた見てきたのだろうが、そうであれば。……雫が突然いなくなることも、あるのだろうか。
そう、考えていると。
悲鳴が空を劈(つんざ)いた。
・・・
ヒノミヤ内宮府本殿紫宸殿(ししんでん)。
襲撃者はエッダの民だった。海の民らしく潮焼けした体躯を毛皮の服でよろい、手に幅広のバトル・アクスを軽々と振るう。明らかに暗殺者(ハシシ・アシン)というより海賊(ヴァイキング)であり、斧刃の根の部分に刻んだ勝利のルーンからしても間違いなく、エッダ系。かつては聡明英邁な君主を多く輩出する国柄故に【英国】といわれたエッダだが、現在かの国を統治するのは明染白夜とその知嚢レンナート・バーネル。君主賓席とは似ても似つかぬ、末端の荒くれ兵に命じて世界有数の天才軍師、その後継を抹殺せよと命じたのはレンナートではなくさらにその下の軍師の独断だが、独断専行を阻止できなかったあたりレンナートや白夜にも責任はある。ともかくとして30人ほどのヴァイキング兵はヒノミヤ山裏の水路(かつて新羅辰馬が小舟を通し、その途上梁田篤と出会った川は現在、大運河になっている)から上陸して速攻で山を登り、一挙拝殿を襲った。
ヴァイキング兵の強襲に、教主にして齋姫(いつきひめ)たる覇城すせりは拝殿で舞を奉納していた。これはヒノミヤ新生以前からの伝統であり、おろそかにするわけに行かない。そして武術に熟達したすせりは侵入者の気配に鋭敏に気づいたが、だからといってやることを変えはしなかった。
ただ、舞いながら途中で壁面により、下に向けられていたレバーを上に上げる。
「っ?」
「かまうな、やるぞ!」
なにも起こらないのを訝りながらも、ヴァイキング兵はうなずき合い、斧振り上げてすせりにかかる。その、彼らの足が歩を進めた瞬間、床に穴が開き、あるいは横合いから梵鐘衝きの撞木のような大木が打ち出され、あるいは天井から鉄鎖が降る。30人いたヴァイキング兵のほとんどは、この仕掛け罠の前に瞬時に無力化された。
「……危ないですよ。きちんとした手順通りに足を運ばないと、罠が作動します」
ふぅ、とほのかに汗をにじませて奉納舞を終え、覇城すせりはのんきな顔でそういった。わかっていてあとからこういうことを言うのだから、この娘もやはり、穏やかに見えて人が悪い。
それでも10人ほどは残った。彼らは罠の発動がこれ以上ないと確信するや、一斉にかかる!
「危ないですねーさまーッ!」
少女の声と同時に、なにかが痛烈に男数人の背中を打ち据える。得物は鉄鎖であり、放ったのは晦日緋咲。学生ながら、ヒノミヤ・覇城すせり付きの密偵として修練を積んできた緋咲の技前は相当に優秀、ひとつ320グラムの鉄鎖は男たちの背骨や肩甲骨をたたいて、容赦なく粉砕する凶器。最初祖母のつかう鋼糸を「かっこいー、緋咲もそれやるー!」と学んだ緋咲だったがさすがに職業軍人、それも専門職なみの技能を要するあの技は継承できなかった。しかし殺傷力だけなら、緋咲は祖母にも負けてはいない。
その隙に、すせりはほとんど身動きすることなく、自分に打ちかかった4人の男を体捌きだけで躱し、崩して逆に極める。父・覇城瀬名(はじょう・せな)譲りのアカツキ古流集成、その技量は達人の域。
最後に一人だけ、ヴァイキングの男が残る。
「どうします? お帰り願えますと嬉しいのですが」
「そーですよ、勘弁してあげるから逃げ帰りなさいです!」
「フン、クソガキどもが……仕方ねぇ、こいつを使うか……」
バトルアクスを放り捨て、懐から右手に剣を取る。幅広それは本来なら、ヴェスローディアのグンヴォルド家……現大将ハゲネの家……に継承されるはずの剣。英雄殺し、黄金の呪いといわれる剣。
「ホグニをしてシグルドを殺せしめた、金の呪いの魔の剣(ダインスレフ)! 神魔の絶えたこの世界で、なおあがく英雄気取りを狩って見せろォ!」
喚ばれた名に応えて、ダインスレフは妖しく黄金色に輝く。
刹那。
大気が、ゆがむ。本来神力・魔力を触媒として発動されるはずのこの剣は、限りなくそれらが希薄となった現代世界において大気中にある薄い霊的威力をかき集めて無理矢理に発動する。唸るような音を上げ、魔力を帯びて妖しく輝く剣は明らかに、普通の武器ではない。緋咲が鉄鎖を連投するも、男が刃先をかざしただけでことごとく力を失い、堕ちる。すせりも手詰まりのようで、わずかに悔しげに柳眉をゆがめた。
「へへ……最初からこれ使っときゃあ良かったぜ……。報復の呪いがどうとか言ってたが知ったことか!」
ダインスレフから尽絶な力の供給を受けた男は下卑た笑いを浮かべ、一気にすせりに肉薄。英雄殺しの魔剣は、英雄を殺せるだけの力と技量を使い手に供給する。そののど元に鋭鋒が突き立つ、魔力というものに無縁で過ごしてきたすせりにとって、この力はあまりにも異質、反則に過ぎる。
命を刈られるその寸前。
槍の穂先が、ダインスレフを阻んだ。
「兄さま! 待ってましたです、やっちゃってください!」
雀躍の声を上げる緋咲と、乕の腕の中で腰を抜かすすせり。
「そうだね……僕の大事な身内たちをいじめてくれたお礼は、しなくてはいけないかな。名前は?」
「……グンテル……姓はねぇ……てめぇが新羅の大将かあぁ!? なら死ね! オレの出世のために、脳みそぶちまけて死にやがれぇあ!!」
言うことこそ三下奴だが、その剣技は凄絶そのもの。魔剣ダインスレフから付与される力と技量は、彼をまさに「英雄を殺す者」に高めていた。
しかしなお、新羅乕には届かない、及ばない。乕は毎日、魔法全盛期の世界をフィジカルのみで乗り切った牢城雫の指南で鍛錬を行ってきた。そうそうまずまず、ただ魔剣に支配されているだけの三下に後れを取ることはない。
烈火か稲妻かという魔剣の攻撃を1.6メートルの手槍で受け、いなし、捌き。そして攻撃が已んだわすかな隙をついて、石突きでのどを衝く。その一撃で男……グンテルは倒れなかったが、次の一撃で乕はダインスレフをはね飛ばし、さらに次の一手でみぞおち深く再び石突きを沈ませて、KOした。
「やった、兄さまかっこいーぃ!」
「っと……、危ないですよ、緋咲。僕は槍持ってるんですから……」
「あ、ごめんなさい、つい……」
「いえ……そんなにしょげ返ると困ります。こちらこそすみません……それにしても魔剣とは……【遺産】ですか」
「しらねぇよ! オレは軍師サマからいざって時は使えって言われただけだ。ま、同じような得物持ちはたくさんいるんだろーよ……へ、てめぇら死ぬぜ?」
「死にませんよ。僕は大勢を生かすために即位しました。可能な限り味方も殺させないし、敵も死なせません……甘い幻想とは分かっていますが、政治家が幻想を信じられなくては終わりでしょうから」
そう理想を語る姿はまさしく、かつて40年前、30才当時の新羅辰馬に重なる。緋咲はうっとりと、すせりもほんのり頬を染め、乕を先行させてあとからゆっくりやってきた雫はうんうんとうなずいて見せた。
それから1週間とせず、今度は明染大公家京師ニーベルング。
「とんでもない真似をしてくれた……!」
明染白夜の腹心、レンナート・バーネルは拿捕された軍師……帝国の間諜……を詰問しながらも事態が及ばざるところに来てしまったことを悟らざるを得ない。戚凌雲(せき・りょううん)とレンナート・バーネル、この二人が手を組むことなど天が覆ってもないだろうと思っていたが、帝国打倒を果たすまでそのわだかまりは捨てるべきかと同盟を考えるところまで来ていたのだ。
しかしヒノミヤ教主暗殺未遂。信仰的・心理的支柱を弑さんとする、これほど強烈にヒノミヤ民の心を逆なでするやり方もあるまい。捕らえた軍師自身の発案ではなくその後ろには帝国宰相・出水秀規の策略があったらしいが、地味に見えてきわめて強烈な一手を楔のごとく打ち込んでくれた。これでは同盟はまず不可能だ。上層部はともかくとして、下層の兵や民がそれを許さない。この民衆心理、世論というやつばかりは、どんな名将でも無視できない。それを巧みに操るエーリカや出水という権謀家は、軍師にとっての天敵といえた。
かくて真統新羅皇国と明染大公家の間には大きな溝ができることとなる。新羅乕に芽生えた自負心や明染白夜の矜持にもかかわらず、状況は帝国による各個撃破の様相を呈して若き名君の萌芽を摘み取らんとする。
「さて、では虎と鶏を仕留めるとしましょうか。シェティ! 貴方を元帥、文を副帥として100万の軍を授けます、エッダ・ヘスティア叛軍を存分に打ち破ってきなさい! そしてハゲネ、ヘラクリウス! 敗戦の責は戦勝でぬぐうべし! ハゲネを正将として同じく軍は100万、アカツキ・桃華の叛徒を打ち払いなさい! 兵勢は必勝、必ず勝利あるべし!」
「女帝陛下に勝利を!」
「「「陛下に勝利を!!」」」
女帝を言祝ぐ声が、唱和する。帝都ザントライユ、女帝エーリカはかくして200万の兵を催す。今度は病に倒れるなどと言うアクシデントはなく、乕も白夜も100万の大軍を正面から迎え撃てるだけの兵力は持たない。事態は風雲急を告げた。
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