第3話 三国鼎立
80万の大軍、しかしいちどきにそれを動かすことは不可能に近く、実際には数万を数回、十数回に分けての出動となる。全軍が出征を終えるには帝国の国力とエーリカの天才的政治力を駆使してどう急いでも2週間はかかり、それはそのままサトラ・アカツキ……アカツキ地方一帯奪回から1週間、新羅乕登極の時点で改称され、真統新羅皇国……の猶予期間となる。
「そんな余裕は与えないけどね」
エーリカは軍部の兵站事務その他書証への訓令指示を出しつつ、空きの時間で書信をしたためていた。
戚凌雲の将器は過去にさんざん、敵としても味方としても見せつけられた。強敵となることは間違いないというか、真っ向で戦えばまず、負ける。
しかしエーリカには、将器以外のところでの武気、すなわち権謀力があり、それに関して当世に比肩しうるものなしという自負がある。往古の名将の名将の言葉にいう「戦わずして勝つが上策」「上計は謀を伐つ」と。策謀をもって敵に対せば、勝負は兵をつきあわせる以前の時点ですでに決しているのだ。
そのための術策(て)として、まずは戚の双翼を削ぐ。虎翻(こ・ほん)と耿羿(こう・げい)は戚凌雲の50年来の腹心であり、戚に対して鋼の忠誠を持つ。彼らに直接調略をかけても無駄だろうが、それなら搦め手を使えば良い。情義に熱い人間ほど、おまえが従わないなら家族を殺すぞという言葉に弱いものはない。よしんばそれでもなお戚を選んだとしても、彼らの心には必ず動揺が生じる。手紙一つでその効果が得られるなら、出さない手はない。
「ハゲネとヘラクリウスだけではまず勝てないしね……本当に、大輔が使えればいいのだけど……」
手紙をしたため終え、ついでに海外出征中の妙染焔(みょうぜん・ほむら)、梁田篤(やなだ・あつし)、上杉慎太郎(うえすぎ・しんたろう)の三名への情報封鎖徹底を命じる。つい昨日も焔の息子、白夜が父に向けて送った使者を捕らえて処刑したばかりだ。エーリカは残忍酷薄なわけではないが、必要とあれば不穏分子を串刺し刑に処するくらいの冷酷さは持ち合わせている。そうでなければ30年間……実質、先帝新羅辰馬が生きていた頃から、朝廷の政務の半分くらいはエーリカが覧ていたので40年といってもいい……帝国の屋台骨を支えることなどできはしない。辰馬ほど度外れた度量と寛容さがあれば「優しさによる統治」も可能なのかもしれないが、あれはエーリカのような常人になしうるところではない。
「ふぅ……まずは、こんなところね。さて、シェティの顔でも見に……あ、ら……?」
文机から立ち上がったエーリカは、突然の眩暈に襲われ、ふらと倒れる。危うく机の角に頭を打ち付けそうになるのをかろうじて身をひねったのは、かつて「盾の乙女」として鍛えたフィジカルのたまものであったろう。大陸争覇戦争の半ばからはエーリカが前線にあることもほとんどなく、後方支援の天才として兵站と政略戦をもっぱらにしたのでだいぶ鈍ってはいるが、ともかく最悪の状態だけは避けられた。くらくらする頭を叱咤して膝立ちに立ち上がると鈴を鳴らし、典医を呼ぶ。
紅蓮の女帝エーリカ不豫、この報せは一気に大陸全土に波及し、押さえつけられた各地の野心家たちの蜂起に火をつけることとなる。宰相・出水秀規(いずみ・ひでのり)は宰相府の権限で元帥・朝比奈大輔(あさひな・だいすけ)に帝都ザントライユの守り、大将・北嶺院文(ほくれいいん・あや)、本田姫沙良(ほんだ・きさら)に各地の反乱鎮圧命令を出したが、さすがに今回、蜂起した不満分子はこの3人で捌くに多すぎる。これまでエーリカが豪腕でおさえつけてきたツケが、一気にこの局面で噴き出した形になった。
・・・
「という具合で、チャンスなのですよ、兄様!」
こちらは真統新羅皇国の京師太宰。緋想院蓮華洞の待合室で興奮気味かつ食い気味にしゃべり立てるのは、燃えるような赤毛を頭頂部でシニヨンにまとめた美少女。
晦日緋咲(つごもり・ひさき)。新羅辰馬と晦日美咲(つごもり・みさき)の娘、千咲(ちさき)の娘であり、16歳。美貌と言うことではかつて牢城雫をおおいに嫉妬させて情緒不安定にもさせた美咲の直系だけありすさまじいほどの美しさだが、いかんせん祖母譲りの胸(の貧しさ)とばたばたとお行儀悪く身振り手振りの態度、そしてやたら元気がよすぎて変化の激しすぎる表情のせいで、あまり「あの」晦日美咲の嫡孫というふうはない。「兄様」と呼ばれているのは昇殿資格のない緋咲のために微行(おしのび)で降りてきている新羅乕(実際には兄弟ではなく、伯父と姪にあたる)であり、その傍らにはなんとなく不機嫌そうな目で緋咲をにらむ梁田詩(やなだ・しい)。そんな三人をほほえましそうに見ているのは牢城雫だが、はたして乕が一途に想っているのが自分であることを至当に理解しているのかどうか。
「スカートの中、見えますよ、緋咲」
「あ、大丈夫なのです、これはスコート穿いてますから!」
「いやそういう問題ではなく……いえ、まあ、緋咲がいいならいいんですが……」
乕はやや憔悴した顔で曖昧にうなずく。見た目はともかく33歳、16歳の現役女子高生の相手をするのは精神的に疲れる。というか緋咲と乕の面識は8年前からなのだが、ずっと一緒に育ったかのようななつかれように少々、もてあますところがあるのは確かだ。なにぶんにも雫に生暖かい視線を投げかけられたりすると「誤解です!」と叫びたくなる。といって少女の思慕を無碍(むげ)にすることもできないので、父帝のように「そんなら全員相手しちゃる!」というちょっと規格外な態度が取れない以上は前述の通り曖昧な態度をとらざるをえない。
「別に兄様になら見られてもいいので! 気にしないでくださいませ!」
「公女殿下、それははしたないですよ」
と、諫める梁田詩は24歳。新羅乕という「伽耶の嫡流」に投資した豪商だが、やはり「奇貨(きか)置くべし」と思っただけではなく、たくましくも典雅な美貌の貴公子にほのかな恋情を抱いたからこそというのが大きい。彼女の祖父は容姿醜悪であったことで有名だが、孫の彼女は祖母がよかったのだろう、眼鏡の似合う理知的な美女である。そのうえで商才・将才ともに祖父譲りなのだから隙がない。
「殿方の前で隙を見せるのは淑女の振る舞いではありません、よいですか、まず貴賓の心得としては……」
「あー、あたしもおばーさまも公女ではないし、貴賓なんかでもないのです! 余計なお小言はなしにしてください!」
「そうはいきません! 皇統復辟がなされた暁には貴方も正式に公女として迎えられるのですから!」
「公女なんかまっぴらです! ……皇妃ならいいですけど!」
「いや……緋咲? そういう冗談はやめましょう、よくないです」
水を掛け合う緋咲と詩の間に、さすがに乕が割って入る。というか不特定の冒険者が集まるこんな場所で、皇統復辟(ふくへき)だなんだと身分にかかわるような言葉をぶつけ合う二人は不用意なことこの上ない。
「冗談じゃないですよぅ!」
「乕さまもなにか行ってやってくださいませ!」
「やははー、トラちゃんもてもてだ。こーしてると昔を思い出すねー」
「おねーさま、雫おねーさまはどっちの味方ですか!?」
「んー? さぁねー、どっちかなー?」
にこにこと受け答えする雫だが、深入りはしない。それは時間の流れという枠の外に置かれた彼女が、傷つかないよう身につけた処世術。誰にでも優しいが、心底は誰にも明かさない。それは乕に対してであってすらもそうだ。
・・・
そのころ、帝都から逐次出征し、旧ヴェスローディア国境の都市ヒルド・シグルーンに集結した80万の兵は、一路真統新羅皇国を目指すはずだったが女帝の身が危ういとあってはいったん引き下がらざるを得なくなった。なにしろ女帝がこのまま堕ちたとして、帝都近辺にいればつぎの帝位を手にする機会がなくもないのだ。実り少なく労ばかり多い征戦より、帝位争奪戦を狙った方がまちがいなく賢い。
ハゲネもヘラクリウスもそう考え、軍を班師(はんし)させる。
「帝都に帰れば政敵だがな」
「望むところ」
そんな軽口をたたきながら帰還の途についた矢先、帝国公道ながらに森と川に左右を囲まれた、一応は平野ながら敵を伏せられると非常に危険な地形……レーヴェンスノックの野が待つ。まさか敵兵はおるまいと一応、斥候を放つが、2刻が経ち半日が経っても100人の斥候兵は帰ってこなかった。これはまちがいなく、敵がいる。
「ふむ……おおかた森に伏せているのだろう。私がひともみに踏み破ってくれようぞ!」
ヘラクリウスは甲冑を着け直し、出陣……するその呼吸をまさに読んだかのように、ヘラクリウスが「先鋒隊、突撃!」の号令を叫ぶ直前で敵勢が爆ぜた。
正面の森から、パイク(長槍)歩兵が突出、重厚な槍衾を作って突撃を止め、その後方からライフル銃による支援射撃。そして側面の川沿い、谷間ができているところに伏せてあった数こそ少ないが強烈な竜騎兵(軽装銃騎兵)による騎兵突撃が、鈍重な大軍を縦横に斬り裂く。ヘラクリウスは守りにやや短所を抱えるとはいえ凡将ではない、それが一方的に押しまくられた。まさしく一方的と言って良い。
「っ、これは……!?」
「オクタヴィア、退け! これはなまなかの敵ではない!」
ヘラクリウスを救うために、ハゲネが後方から出張る。だがその機微すらもすべて手のひらの上と言わんばかりに喊声(かんせい)が上がった。指揮官不在の後陣の背から、正面森の軍とは桁違いの数……おそらくはこちらが敵の本陣であり、最初からこちらの撤退ルートを読んだ上で森で足止め、ハゲネがヘラクリウスを救うため前に出た隙に後ろからたたくという策。
そして、翻る白地に赤き鳳の旌旗(はた)。その紋章が意味するところは。
帝国において皇家新羅家に次ぐ家格を誇る、大元帥にして大公家、明染家が叛いたことを意味する。現当主明染焔は新大陸開拓のため出征中、となればこの軍を指揮するのは焔の嫡子、次期当主明染白夜(みょうぜん・びゃくや)。その右手として補弼の任に当たるのはレンナート・バーネル。新羅乕にとっての戚凌雲と同じように、明染白夜にはこの男がついた。
・・・
1日前。
「シャー・ルフ(王手)。勝てるか、レンナート?」
王将に歩で王手をかけつつ、もちろん勝てるか、というのはここから逆転できるかという意味ではない。明日ここを通るであろう帝国の大軍、80万に公国軍12万で勝てるかという意味だ。銀の鎧に白いマント、圧倒的なほどに秀麗な眉目を誇る36歳の青年の顔にも、わずかに緊張の色がうかがえる。これまで父に従って賊の討伐で功績を立てた経験はあるものの、正規軍相手の戦争、それも圧倒的大兵を敵に回す経験などないのだから当たり前だが。
それに対し、若い頃より少しやせたとはいえやはり小太り、白髪がきれいに白くなりきれず、所々黒が残ってまだら斑になっている老将は悠然と主君たる青年の瞳を見つめ、言う。
「若君が勝ちたいとお思いならば、この地上にその前を遮るものございますまい。貴方は勝利の運命に愛されておられる方、栄光をつかみなさいませ」
・・・
そして今。
まさに勝利に愛されるものとして、明染白夜は帝国の若き名将二人と80万の軍隊を、12万で押しに押しまくる。主力の竜騎兵は突撃しつつ中距離になると銃を置いてランス・チャージ(騎兵槍突撃)、衝撃力をたたきつけて敵を撼(ゆる)がせたらすかざず下馬し抜剣、白兵戦に持ち込み、敵になにひとつ主導権を与えることなく打撃力を与え続ける。
かくして2刻にも満たない戦闘で、「レーヴェンスノックの戦い」は終結した。明染大公軍が帝国正規軍に与えた損害は実に死者4万、重傷21万、軽傷33万人に及び、ほうほうのていで帝国に逃げ帰った兵はわずかに10万人前後、ほかほとんどの兵力および輜重と馬をはじめとする軍用家畜、褒賞用の財物が大公家のものとなった。この時点でレンナートはすでに旧エッダおよびヘスティアの蜂起勢力と結んでこの盟主となる約定を結んでおり……盟主となる条件がこの大軍を独力で打倒しきるだけの将器をみせつけることだった……先日の新羅乕に続いて帝国の勢力地図が大きく塗り替えられた瞬間だった。かくて旧ヴェスローディア、クーベルシュルト、ウェルス、クールマ・ガルパ、ラース・イラの赤竜帝国、アカツキ、桃華の真統新羅皇国、エッダ、ヘスティアの明染大公家が、三国鼎立する形となる。
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