第24話

 墓地の外れ。

 妖達が群れを成して女に擦り寄っていた。


「よし。お前達も行っておいで。分家とはいえ、実力のある子だ。数で攻めねば。こちらに駆け付けられたら少し困る」


 女に群がっていた妖達が、その言葉に応じて村の方へ下りていく。

 女はそれを見送ると、旋律を口ずさみ始めた。幼子をあやすような、優しい音色の旋律。幼き頃の我が子にも聞かせてやった、子守唄。


「……あら」


 ふと、女が瞬きした。こてり、と小首を傾げる。


「やられてしまったようね」


 式の消失を感じ取ったものの、女はさして気にしていないようだ。


「じゃあ、ここに来るかしら」


 そう呟く様子は嬉しそうにすら見える。

 女はそっと衿を直して、待ち構える。子孫の到着を、まだかまだかと待っている。


「……」


 だが、真っ先に到着したのは、女の待ち望んだ者ではなかった。

 戦装束に身を包み、全身に闘気を漲らせた小柄な娘。我が子が、愛した女を模して作り上げた、式神の娘。

 嗚呼。我が子が愛した女の写し。それだけで、激しい嫉妬で狂いそうになる。

 女は椅子代わりにしていた岩の上から立ち上がり、警戒心を露わにする紅姫に微笑みかけた。


「いらっしゃい。我が子の造りし式神の娘、紅姫。今は、我が曾孫の式神になったようね」


 その言葉に、紅姫は二本の脇差を逆手に構えた。


「貴女は我が主の曾祖母、ひいては政彦様の母であると言うのですか」


 主の血族である可能性があるために口調は慇懃であったが、声音には敵意が剥き出しであった。とても友好的には感じられない。

 それもそうだ。女からは、怨念と邪気が立ち上るように溢れ出ている。

 臨戦態勢を取ったまま、紅姫は女の動向を探る。この女、何も構えていないように見えて、その気になればすぐに攻撃してくる。どこにも隙がない。

 紅姫の警戒心を解すように、女は優しげな声を出した。


「そう構えないで。あの子の造った式神ならば、私の子も同然。そんな貴女に危害を加える訳がないでしょう?」

「戯言を仰る」


 紅姫は短く吐き捨てた。


「現に、貴女は我が主、我が一族が長年守護する土地を、我が主の一族を、襲っているではありませんか。信用できない」


 身も蓋もなかった。対話の余地はない。対話する気にもならない。

 紅姫は元凶を倒すだけ。話し合いは主の役目だ。紅姫のやるべきことは、この身の気配を辿って主がこの場に辿り着く前に、この女の力を少しでも削ぎ落とすこと。

 少しだけ柔らかな風が吹いた。間もなく、花の季節だ。冬を超え、木々草花が美しく花咲く時期がやって来る。

 冬のうちに、この女を倒し、禍根を絶つ。

 紅姫は足に力を込めた。


「もうやるの? ……どうせ、勝てないのに」


 女が嘲笑う。


「いいわよ。あの子が着くまで遊んであげるわ。……私は、あざみ。お前の主なら、きっとこの名に聞き覚えがあることでしょう」


 刹那、薊の肉体から無数の触手が伸びた。腐臭のするそれらは、紅姫を捕らえようとする。


「ハッ!」


 脇差で難なく叩き落とし、紅姫は跳躍した。軽々と宙に舞えば、薊は余裕綽々とした微笑みを浮かべて見上げてくる。


「……っ」


 薊の立っているところから邪気が立ち上った。太い刃のようなそれは、宙にいた紅姫の身体を容赦なく貫く。流石に身構えることが出来ず、真正面から喰らってしまった。


「ああっ!」


 外傷はない。

 だが、全身を邪気に汚染される感覚に、紅姫は堪らず悲鳴を上げた。そのまま吹っ飛ばされ、さらに触手に拘束された。


「ぐっ……」


 首、胴、両腕、両足。身動きが取れないようにされながらも、紅姫は脇差を手放さなかった。邪気を浴びて痺れる身体を叱咤し、拘束を振り解こうと足掻く。脇差を突き刺すも、緩む気配はなかった。

 だが、紅姫は足掻くごとに強く縛り上げられながらも考える。


(なぜ、彰比古の曾祖母がこのような姿に)


 彰比古を曾孫と言っていた。しかし、平然と佇む薊の容姿は妙齢のそれだ。

 黒地に桜の柄が入った着物を纏い、艶やかな黒髪は一部だけ結い上げて、殆どを色っぽく下ろしている。毛先だけ緩やかに癖のある髪は、確かに彰比古の髪質によく似ていた。


「何を考えている?」


 触手からどす黒い邪気が流れ込んできた。


「ぐぅっ……」


 彰比古の霊気で維持されている肉体に、薊の邪気が入ってくる。これは、少々まずい事態だった。このまま邪気を受け入れ続けたら、式神としての所有権を奪われかねない。彰比古との縁まで汚染されてしまえば、紅姫は薊の手に落ちる。


「それ、だけは……っ」


 避けなければならない。

 だが、薊はそんな紅姫の思考を察したのか、くすくすと笑う。


「別にお前を欲しいなんて思っていないわ。……目障りだから、消してしまいたいだけよ」

「何……?」

「可愛い曾孫と可愛い息子が懸想した式神の娘。……全く、身の程を弁えなさい」


 それは。

 紅姫の直感に何かが掠める。


「可愛い息子。可愛い孫。可愛い曾孫。……どうして、どこの馬の骨かもわからぬ者に心惹かれるの?」


 一族に名を連ねない者は皆目障りよ。

 だけど、お前達がいなければ、可愛い子が生まれない。

 だから、私が。


「用が済んだら殺してきてあげたのよ」


 私の可愛い息子と、その血を引く可愛い子供達。

 お前達を愛するのは、この薊だけで十分なのよ。

 だけど。


女児おなごは別。私は男児おのこが好きなの」


 だから、孫娘は曾孫を産んだら殺してしまったわ。子供の頃は可愛かったけれど。

 だって、母親はどうしても、息子の愛情を一身に受けるでしょう?

 そんなの、狡くて見ていられないわ。


「……あの子はお前を受肉させて娶りたいそうね?」


 薊の微笑みが狂気に染まる。


「そんなこと、させないわ」


 紅姫は本能的な危機感を覚えた。この女、やはり正気どころか、もう人の心まで捨ててしまっている。

 一族を愛し、息子を愛し、己の血を引く男児おのこには恋情すら抱いてきたと言うのか。そして、嫉妬に駆られて孫娘をあっさり手にかけたと。


「……お前は」


 彰比古の曾祖母でありながら。


「外道に堕ちたと言うのか。あの一族に名を連ねながら、人の道を外れたと」


 紅姫は軽蔑を込めて吐き捨てた。


「嘆かわしい」


 すると、紅姫を縛る拘束が一層強くなった。


「生意気な口を叩くか。この造り物が」

「可愛い息子の造った物に、そんなことを言っていいのか?」


 挑発すれば、更に拘束が強くなる。肋骨が数本折れたが、紅姫は気にしない。

 何故ならば。


「ッ――彰比古! 一族にかけられた呪い、一族に付き纏いし、全ての元凶がここに!」


 紅姫の絶叫に応じたのは、紅蓮の炎だった。火界呪が紅姫を拘束していた触手を焼き切る。拘束から解放された紅姫はくるりと回転して均衡を取り、主の傍らに着地した。


「申し訳ありません。お手間を」

「気にするな。……無事か」

「多少の負傷のみです」

「なら良い。後で診よう」

「ありがとうございます」


 彰比古は火界呪で辺りの邪気を一掃し、艶やかに微笑む曾祖母を静かに見据えた。


「来たね。我が曾孫、彰比古」

「……貴女が、ひいおばあ様ですか。祖父から名だけは聞いたことがありましたね」

「そう。……お前を誰よりも愛し――――ずっと、共に居てあげられる者。それが、私。妖にこの身を捧げることで、永久とわに子孫を見守ってきた」

「そうですか」

「けどね、もっと良い考えが浮かんだのよ。いっそ、殺してしまえば、皆で私と共に居られるでしょう? 人としての私はとうに死んでいるもの。皆で死ねば、ずっと一緒に」


 薊の演説は、可愛い曾孫によって遮られた。


「息子を愛するあまり狂気に心を壊し、妖に身を捧げ、人に害をなす存在へと堕落したのなら……我が曾祖母と言えど、斃さねばなりませぬ」


 彰比古の目には見えていた。

 曾祖母の強すぎる愛情が。愛に狂い、愛に酔い、そして愛に堕ちた女の末路が。

 この人を消さなければならない。子孫としての責任を以て、自分が。止めを。

 彰比古は躊躇いなく太刀を抜いた。彰比古の霊力が刀身に流れ込み、青白く光を放つ。


「ひいおばあ様。貴女がどれだけこの身を望もうと、俺は」


 柄を握り締め、彰比古は叫ぶ。


「紅姫の手を取って生きる!」


 彰比古が飛び出すと同時に、紅姫もそれに続く。

 呪いと戦の発端を斬る。


 それが、我々の成すべきことだ。

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