第23話

 一族の墓地は裏山の一角に設けられている。屋敷の周囲にある森から裏山に登ることができた。

 戦装束に着替えた紅姫が先行する形で二人は獣道を駆けていく。

 一応、きちんと舗装された墓地への道も用意されているのだが、それを使うのは嫌な予感がしたため、敢えて険しい道を選択した。

 湿気でぬるつく足元に気を付けながらも、最大限の速度を出して登っていく。その速さは、並の人間では視認できない程である。

 紅姫は式神としての身体能力を出しているだけだが、彰比古は足に霊力を集中的に循環させ、無理矢理自身の身体能力を紅姫と同等に引き上げていた。


「……彰比古!」


 傾斜を登り切り、墓地の裏手に出た瞬間だった。

 紅姫が両方の腰に差した脇差を引き抜いて迎撃の構えを取る。そして、木々を数本薙ぎ倒す威力の衝撃波が二人を容赦なく襲った。


「このッ」


 紅姫は咄嗟に脇差を翻して逆手に持ち、切り裂くようにして衝撃を分散させる。そして、視界が開けた。


「っ……なぜ」


 紅姫の声から覇気が消えた。


「紅姫?」


 彰比古は紅姫の異変に駆け寄る。肩を支えるように触れると、か細い身体が震えていた。


「なぜ……なぜ、主様が!」


 墓地の中に佇む青年。

 虚ろな瞳に、ふと愛しさを滲ませる。


「紅姫。元気そうだな」


 彰比古も、青年の霊気を視て察する。


「おじい様……」


 若かりし姿の政彦が、そこにいた。


 ***


 心ノ臓が軋む。ないはずの心ノ臓が酷く痛む。

 式神たる私には、心ノ臓が存在しないはずなのに。胸が、とても痛い。


「紅姫。少し見ない間に美しくなったな」


 式神は成長などしないのに、前の主はそんなことを言う。


「霊気が映えている。彰比古は良い主になったようだな」


 満足そうに頷く前の主。その仕草はよく知ったもの。

 だが、紅姫の全身は強張っていた。恐怖で頭の芯が重く痺れる。

 目の前にいる青年。それは逝って欲しくなかった、愛しい前の主。

 だが、紅姫の本能が警鐘をガンガンと鳴らしている。この青年は、敵だと。


「……貴方は、主様、なのですか」


 紅姫が震える声で問う。すると、青年はあっけらかんと答えた。


「ああ。墓から呼び出され、この全盛期の肉体を与えられた。まさしく、黄泉返りだな」


 紅姫は叫びそうになった。

 それでは、私は戦えない。生みの親であり、奉仕の対象であり、大好きな貴方を手にかけるなど……!

 だが、傍らで体躯を支えてくれていた今の主がはっきりとした口調で否定した。


「いや。貴方はおじい様ではない」

「ほう?」


 前の主が面白そうに瞳を細め、続きを促す。

 今の主は紅姫の肩を強く抱き寄せ、庇うようにして断定する。


「確かに、その霊気はおじい様のもの。だが、お前には異質なものが多く混ざり過ぎている! すなわち、おじい様の骨を利用して作り上げた傀儡! それが貴様の本性だ!」


 今の主の叫びに、紅姫はようやく我に返った。そして、青年を改めてよく観察する。

 前の主の肉体からは、馴染みある霊気が溢れている。だが、よく見ればそれ以上に邪悪な気配が駄々洩れであった。

 この人。いや、こいつは、優しくて、少し茶目っ気があって、大好きだった、あの人では、ない。

 紅姫の身体からようやく余計な力が抜ける。

 彰比古はそれを認めて紅姫から離れ、一歩前に出た。その表情は怒りと憤りで満ちている。


「よくも、おじい様の墓を……よくも、俺の式神を怯えさせてくれたな、偽物が!」


 彰比古の叫びと共に、爆風のような霊気が吹き荒れる。


「確かに俺は政彦とは言えん。だが、否定もし切れんぞ? 若造」


 彰比古から放たれた霊圧を軽く右手を振っただけでいなす。それは、まさしく生前の政彦が修行の際に、彰比古相手によくやっていた技術。


「お前の祖父の力と、あの方の力。とくと味わえ」


 紅姫は眉を潜めた。あの方とは誰だ。

 彰比古は政彦の偽物が放った術を結界で防ぎながら腕を振った。


「紅姫! こいつを操っている奴を探し出せ! こいつは、おじい様の骨を利用しているとはいえ、式神に過ぎん! 主たる術者を倒せば、こいつも倒れる!」


 それを聞いた紅姫は、彰比古を振り返った。偽物とはいえ、政彦の猛攻を受けている状態を放っては行けなかった。

 だが、彰比古は気丈にも唇の端を吊り上げて不敵に笑ってみせる。政彦から霊圧を倍返しされて潰されかかっている中でも、彰比古は結界を維持しつつ嗤う。


「お前の主はこんなことで、くたばる男か⁉」


 それを聞いて紅姫は決心する。躊躇うことなく、身を翻した。


「いいえ!」


 紅姫が跳躍して天を舞う。

 彰比古はその姿が虚空に消えてから目の前の状況に意識を戻した。そして、ちらりと腰に目を向けた。そこには、長年鍛えてきた太刀が差してあった。霊気を込めて鍛え上げた太刀は、強い威力を発揮する。念のため持ってきたが、政彦の遺骨を利用して造られた式神が相手では抜かねばならないかもしれない。


「いや……これは」


 抜くしかない。結界が音を立てて割れ始めている。この威力の霊圧を返したら、この後の本戦に残すべき体力がなくなるだろう。

 彰比古は一瞬で腹を括った。こんなとんでもないものを造り上げる者を、次は相手にしなければならない。迷っている暇はなかった。

 印を解いて結界を解くと同時に太刀を抜き、一閃する。霊圧を押し返し、相殺。


「ハッ!」


 足に霊力を込めながら地面を蹴り、一気に偽物との距離を詰め、懐に入り込む。


「……彰比古」


 祖父を思わせる慈しみに満ちた声がする。だが、これは。


「まやかしだ」


 彰比古は無表情だった。平然と、偽物の胴に太刀を叩き込み、真っ二つに両断する。

 偽物は絶叫もすることなく、砂のように崩れて消えていった。

 彰比古は血も付いていない太刀を暫し見下ろす。感触は人を斬った時のそれだった。だが、悍ましさも何も感じられない。

 術師は、時に人を殺める。人殺しに何の感傷も覚えない。罪悪感を感じてはならない。

 それを、彰比古は少しだけ寂しく思っていた。

 まるで、人ではない何かのように感じられるから。


「……こんなことを思っていては、夢枕でおじい様に怒られるな」


 彰比古は緩く首を振って気持ちを切り替える。そして、偽物の作成者を探しに行った紅姫の気配を辿り、墓地を走り始めた。

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