第22話
使用人達は非常時に備えて建造された蔵の中に避難していた。紅姫は自身のことを後に回して、まず彼女らの無事を確かめに行った。封印を一時解呪して分厚い扉を開けると、女中の中でも古参の者が駆け寄って来た。残りは蔵の奥で固まって、息を潜めている。
「姫様、お怪我は」
「彰比古と私に問題はありません。安心なさいませ」
「それは……ようございました」
愁眉を開いた女中は、すぐに表情を引き締める。
「戦はまだ終わっていないのでしょう。姫様、我らは亡き政彦様の言いつけの通り、この蔵に潜んでおります。どうか、我々のことはお気になさらずに」
「この屋敷と村は宗昌殿に任せています。この後は、彰比古と共に、この戦の首謀者を叩いて参ります。あと少しの辛抱です。どうか、気を強く持って、待っていて下さい」
紅姫の言葉に、女中は強く頷いた。
「勿論ですよ、姫様。我らは
信頼に満ちた女中の声音に、紅姫も強く頷き返した。
***
紅姫が自室に戻ると、彰比古が湯を張った盥と手拭い、戦装束一式を用意して待ち構えていた。
「彰比古? 一体、何を」
「見てわからないか? お前の身を清めるんだ」
手拭いをひらひらと見せられ、紅姫は顔面に熱が集中するのを感じた。
「じ、自分で出来ます!」
「せっかく俺が符で火をつけて湯を用意したんだ。最後までさせろ」
「嫌です!」
「くどいぞ、紅姫。腹を括れ」
楽しそうに壁際へと紅姫を追い詰める彰比古。先程の疲労は既に見られない。
「わざわざこちらに来て下さった宗昌殿が守備に当たっている中、なんてことを!」
「この件は内密にな。今は、女中達も蔵の中だろう。この機にお前と触れ合わずしてどうする」
「不謹慎です!」
叱ると同時に、壁に背がぶつかる。
彰比古は笑みを引っ込めて、ふと真顔になった。
「……此度の戦。俺は妙な違和感を覚えてならん。嫌な予感がする」
「……」
紅姫の頬に手を伸ばし、撫でながら彰比古は続ける。
「お前も何か感じただろう。……この戦いは、単なる妖の復讐ではない」
「……はい」
「妖がここまで連携して襲ってくる時点で妙だ。徒党を組んだとて、奴らは自分勝手だ。あれ程に上手く集団行動が出来るとは思えん」
「首謀者が大物としか思えませぬ」
「だろう? だからな、紅姫」
彰比古は乾いた血で汚れた紅姫の手を取って接吻した。そのまま腰に片腕を回し、抱き寄せる。
「今のうちに逢瀬をせねば、後悔すると……感じた」
「彰比古、それは杞憂です。私は決して負けは」
「頼む。聞き入れてくれ。……術師としての、勘だ」
術師の勘。それは、ほぼ予言に近い。
紅姫は、彰比古が思った以上に憔悴していることを察して目を見開いた。彰比古の恐れに染まった瞳を見つめ、そして静かに瞼を伏せる。
「私は、その勘を信じたくはありませんし、そんな予感は引っ繰り返してみせます」
「ああ」
「ですが」
今度は紅姫が彰比古の手を取って、その手を自らの頬に添えた。
「貴方の恐怖を拭えるのなら、私は貴方の望みに応えましょう」
彰比古は小声で、ありがとうと礼を告げた。そして、無抵抗になった紅姫の帯を解いていく。
妖の血をたっぷり吸い込んだ小袖は既に元の色を失っていた。血が乾き始めているためか、暗赤色と濃茶色の中間のような微妙な色味に変色している。元は、柔らかな印象の山吹色だった。愛らしい野山の草花が刺繍され、素朴な町娘に見えるような品だったのだが。それも、全て血とこびりついた肉片で台無しになってしまった。
陶器のように白い肌には、細かな裂傷と打ち身による鬱血が散見される。式神とはいえ、肉体は人間に限りなく寄せている。怪我を負えば、相応の見た目に変わる。
彰比古が湯に浸した手拭いで紅姫の身体を拭い始めると、紅姫は落ち着かなそうにちらちらと彰比古を振り返る。だが、彰比古の深刻な表情を見て、妙な悪戯はしないと確信し、むしろ身構えた自身に罪悪感を覚えた。
「……彰比古」
帰還途中に思い浮かんだ想定を告げようと、紅姫は口を開く。
「どうした」
紅姫の腕にこびりついた血を優しく擦って落としながら促す。
「……一連の襲撃。陽動、の可能性を思いついたのですが。いかがでしょう」
それを聞いた彰比古が手を止めた。そして、中途半端な体勢のまま何やら考え込む。
紅姫は彰比古のつむじ辺りを見つめて待つ。
「陽動……そうか。そうだな。その可能性は捨てきれない」
彰比古は紅姫の身体を拭く速度を上げた。
「紅姫。急いで支度しろ。一族の墓地に向かう」
「はい」
思い至った最悪の想定は、残念ながら当たっている。
***
術師、政彦の墓。
墓の前に、たおやかな肢体を持つ女が手を合わせていた。
「……政彦や」
琴の音のような、柔らかな響きの声音だ。墓に眠る者への愛しさが溢れている。
「お前は、よく頑張ったね」
女の声に悍ましさが混じる。
「この母が、お前の子らを安寧に導いてあげようね」
だから。
「母の言うことを、聞いて、おくれ?」
墓石に女の細い手が触れる。瑞々しい艶と張りのある手は、妙齢の女性のものだろう。
その掌から、じわりと赤い液体が滲み出て来た。液体は墓石を伝い、じわじわと地面に染み込んでいく。それは、言うまでもない。女の血だ。
ドクンと、地面の奥底が脈動する。
「眠っているところを起こしてしまうが」
母と共に、来ておくれ。
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