第21話

 紅姫が交戦を開始した同時刻。

 屋敷にも異変が起こっていた。


「こいつは……」


 山の向こうから聞こえてくる悍ましい歌声。


 殺せ。

 殺せ。

 殺せ。

 殺せ。

 殺せ。

 殺せ。


 何重奏なのか。ざっと見積もって、数百。

 彰比古は懐に仕込んである呪具の数々を確かめて、屋敷の門の上に飛び乗る。ぶわっと顔にぶつかった風は重く、邪気で澱んでいた。

 肌を刺す毒素に彰比古が思わず顔を顰めて息を浅くすると、上空に集結していたと思しき第一陣がざわめいた。


 いたぞ。

 若造を、殺せ!


 彰比古は妖を睨んで舌打ちし、素早く印を組む。

 前代未聞の規模となる百鬼夜行の襲来であった。


 ***


 小袖が妖気と鮮血に塗れていく。

 美しい織りも何もかも、血と怨嗟に塗り潰されていく。


「っ……」


 紅姫は歯を食い縛って、大蛇の妖の首に背後から懐刀を突き立てた。そのまま全身を使って正面まで貫通させる。

 どす黒い血と肉塊を全身に浴びながら、紅姫は妖を掃討していく。

 対話が期待できる相手ではなかった。これらは一族に対して何らかの恨みを持つ妖達だ。彼らの目的は一族の滅びと終焉。つまり、どちらかが死に絶えるまで、戦は終わらない。


(流石に普段着では厳しいか)


 第一陣を難なく殺し尽くしたものの、間もなく第二陣、三陣と続き、殺戮に長けた紅姫にも疲労の色が垣間見える。

 一匹一匹の力は大したことない。ただ、量だ。物量が凄まじい。

 間もなく田植えを迎えるであろう土壌に妖の肉や血を撒き散らすのは大変心苦しいが、この村は彰比古の一族の守護下にある。恐らく、妖は容赦なく村人を食らうだろう。

 守るためにも、手段は選んでいられない。


 死ね!


 もう何陣になるのかもわからない。恐らく、紅姫と彰比古を分断させておきたいのだろう。足止めのように、数百の妖が襲い掛かってくる。


「はあ……」


 雑魚ばかりであっても、数が多くては億劫になる。

 早く屋敷に戻って装備を整えたい紅姫は、この状態をどうやって打開するか考えつつ、小物を次々に斬り伏せていく。さながら舞っているかのようだが、これほどの穢れに満ちた舞は誰も見たくはないだろう。


「……動くか」


 黒々とした妖の群れが天を覆い尽くしている。これらを蹴散らしながらでも、一旦帰還すべきだと本能が告げる。彰比古も交戦状態に入っているようだし、応援に向かうべきだ。


「屋敷の一箇所に妖を集め、纏めて祓ってしまった方が村への被害を軽減できる」


 大したことはないと当初は軽く見込んでいたが、この量を単独で、しかも他人様の田畑に撒き散らす形で殺していては申し訳なかった。

 紅姫は跳躍し、上空から襲ってくる群れと真っ向からぶつかった。

 斬撃と蹴りを組み合わせ、妖を倒しながら、屋敷へと向かう。妖の背を足場に、空を難なく進んで行く。

 紅姫が空を舞えば、眼下の道には妖の躯が列を成す。死屍累々となった道には、血と死の穢れが染み込みていく。一族が守る土地が穢れていく。


「くっ……」


 政彦と共に愛してきた土地の有様に、紅姫は強く唇を噛んだ。そして、次にハッとする。


「待て、まさかこれは」


 嫌な予感が胸を過る。


「急がねば」


 鮮血でぬるつく柄を強く握り締め、紅姫は妖を屠っていった。

 いち早く主へ最悪の想定を告げるために。


 ***


 彰比古も屋敷を襲う群れを片っ端から滅していた。


「チッ、何て数だ」


 吐き捨てるように悪態をつき、懐から新たな符を抜く。刹那、高圧で出力される彰比古の霊力に耐えかねて、子供の頃から愛用している数珠が焼き切れた。玉を繋いでいたのは、母の遺髪だ。我が子を守るようにと、強い祈りのこもった数珠が、ついに音を上げてしまった。幼少期から使い古していたものではあるが、顔も知らない母との絆が一つ消えたようで、一瞬だけ彰比古が動揺する。

 妖はすかさずそれを狙ってくるものの、彰比古が動じたのは本当に、瞬き一つ分だけだ。一呼吸後には、既に迎撃の構えを取っている。


「オン!」


 亡き母の念が込められた数珠の玉。空中に散ったそれらに向けて、霊力を飛ばす。玉に霊気が宿ったのを視ると、彰比古は刀印を横一文字に振った。

 彰比古の眼前に巨大な妖のあぎとが迫る。咥内から濃い妖気が溢れ、彰比古は咄嗟に息を止めた。強い毒素を孕んだ妖の呼気を吸ってしまえば、肉体が大きく消耗する。

 憎き術師を丸呑みにしようと、妖は大きく口を開いて彰比古を襲う。

 だが、それは叶わなかった。

 繋ぎが切れて宙に舞っていた無数の玉から、霊力の刃が放たれた。それらは、巨体を串刺しにし、深く抉る。同時に、妖の邪気を浄化した。

 苦悶の断末魔と共に、巨体はボロボロと肉片になっていく。

 そして、玉は最後の力を使い果たし、全て割れてしまった。欠片が地面に降り積もる。母の遺品と妖の残骸が敷地に積み重なり、彰比古は流石に疲労を感じて溜息を吐いた。


「……おじい様が亡くなった途端にこれか」


 一族がどれだけ悪しきものに憎まれ、恨まれているかがよくわかる。これまで襲撃がなかったことが不思議なものだが、恐らく奴らは時間をかけて集結していたのだろう。術師に辛酸を舐めさせられた妖達が集い、徒党を組み、最強の術師を失って勢力を弱めているところを一撃で根絶やしにしてやろうと。


「……ん」


 襲撃が少し収まったところで、上空から小鳥の形を模した式が舞い降りて来た。小鳥は彰比古の肩に止まり、主の言伝を告げる。


『俺のところが大騒ぎになっているということは、お前のところはもっと悲惨だろう』


 宗昌からの式だった。


『政彦様が亡くなった途端に勘弁して欲しいものだが、これは術師の宿命だ。やり通すしかない。応援が必要ならば、俺が向かう。うちには現役の術師が多くいるからな。だが、お前のところには、お前と紅姫しか戦力がいないだろう。これまでは政彦様が居たから、手薄で済んでいただろうが、流石に二人だけでは戦の出来ぬ使用人達が殺されるぞ』


 宗昌の言うことは正論だ。今は対処できているが、屋敷内へ一匹でも侵入を許せば、女中や侍女達は喰い殺されてしまう。術師の家に仕えている以上、このような事態に巻き込まれることは、彼女らも覚悟しているはず。だが、その命を守れずして、雇用主とは言えまい。


「宗昌に至急こちらの増援に来るよう伝えろ」


 彰比古が短く返答すると、小鳥は妖に壊されぬよう隠形して、曇天の中へ羽ばたいて行った。

 入れ替わるように、また妖の群れが山の向こうからやって来る。


「一匹ずつ相手をしてやることもないな」


 軽く五百を超える群れが、曇天を覆い隠し、さくのような闇のとばりを下ろす。だが、それは灼熱の赤い閃光によって照らされた。


「ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン――――!」


 不動明王の大呪、通称を火界呪。彰比古の全身から霊力が炎の渦となって立ち上る。それは、上空から飛来する妖を纏めて一掃していく。数多の肉を焼き、灰も残さずに滅する浄化の炎は、屋敷を守るように大きく膨らみ、荒々しくうねる。


(制御が……ッ)


 この真言は霊力の消費が激しい。意思で操ることすら、並の術師では困難である。

 彰比古は脂汗を垂らしながら、慎重に真言を唱え続ける。下手を打てば、守るべきものすら灰燼に帰す。それだけは避けなければならなかった。


 大切なものを。人々を。土地を。一族を。


 絶対に、守る。


 今の彰比古の心には、これしかなかった。

 単独で多くの妖を屠るためには、この手が最も効果的だ。しかし、暴走すれば、全てを失う。

 極度の緊張と霊力の消耗が彰比古に大きな負荷を掛けていた。

 汗が目に入り、染みる。拭うことも出来ない。


「っ……!」


 歯を食い縛り、心で真言を唱え続ける。

 その時だった。


「彰比古! もう良いです! 一旦おめください!」


 炎の赤に、血塗れのあかが突っ込んできた。浄化の炎に炙られても、紅姫は燃えなかった。何よりも守るべき存在を、彰比古がうっかり焼くことはない。紅姫は彰比古の身体を支えるように、傍らに立った。

 彰比古も紅姫の帰還を認識すると火界呪を止めた。

 妖の勢いはかなり衰えている。今なら、一時戦線を離脱しても問題はなさそうだ。さらに。


「彰比古、お前は一度引け! 消耗し過ぎだ!」


 宗昌も山を越えて、ちょうど屋敷に到着した。すぐに状況を把握した宗昌は、敷地全体を囲うように符を投げて、妖の侵入を防ぐ結界を構築する。


「敷地と村の守りは任せろ! お前達は休んでから、大元を探り、叩け!」


 二人と同じように塀の上に飛び乗った宗昌は印を組み、背中越しに二人に指示を飛ばした。

 紅姫は頷くと、慇懃に一礼を返す。


「ありがとうございます。……この場は、お頼み申し上げます」

「ああ。任せろ。……彰比古を頼む」

「はい」


 紅姫は肩で息をしている彰比古に触れ、屋敷の中へ一度戻るよう促した。その手は妖の血と肉で汚れ切っている。


「紅姫……お前は、無事か」

「はい。戦装束ではなかったため、少し動きにくくはありましたが、何の負傷もありません。ご安心を」


 彰比古の肩に、血でごわついた手を添えて、紅姫は普段通り微笑む。


「……そうか。なら、一旦休もう。お前も身を少し清めて、戦装束に着替えたいだろう」

「そうですね。さ、参りましょう。彰比古」


 紅姫に支えられて彰比古は塀から降り、一度自室に退却した。

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