第10話

「遊女の皆さんが……」

「はい。遊女としての身分は特に関係ないらしく、客を取っている女であれば誰でも発症する可能性があるようで」


 それを聞いた政彦は瞳を細める。


「ふむ。ということは、禿かむろの子らは今のところ無事であると」

「ええ。禿に発症者は今のところおりません。といっても、禿達も、いつか発症するのではないかと、すっかり怯え切っております」


 禿とは遊女見習いの女子おなご達だ。先輩である遊女の世話をしながら、いつか客を取る日が来るまで、漢文や和歌の勉学や三味線や舞といった習い事に励む。

 子供が発症していないとなると、新たな性病の可能性も出てくる。しかし、そう断定するには何かが引っかかった。


「……わざわざ時雨姐さんが持ち込んでくる話だ。何か気になる点があるんじゃ」

「流石は若君様。鋭いですわ」


 時雨がゆっくりと手を叩く。そして、妖艶な微笑から真面目な顔つきに変わった。

 夜風が湿った空気を庭先にまで運んでくる。これから始まる重い話題を示すような、嫌な湿気を含んだ風だった。


「現在被害者の人数は六人。死亡時期は全員、ここ半年以内。月に一人程亡くなっております。被害者に共通点は特になし。……ただ、最近の遊郭はいつにもまして、気が澱んでいるのです」

「時雨姐さんが気になるとは。かなり酷そうだな、おじい様」

「うむ。……霊狐れいこの血を引く時雨殿がそのような指摘をされるなら、相当じゃな」


 そう。時雨には白銀に輝く狐の尾と耳が生えているのだ。

 徒人には見えないものであるため、彼女の正体に気付く者は少ない。術師であったり、霊感の強い者であったり、そのような者には見抜かれてしまう。しかし、この時雨、霊狐としての力を強く遺伝しているため、三流術師程度なら余裕で煙に巻くことができる。

 自身の出生について、時雨自身もよくはわかっていないそうだ。母親が人間であり、父親が霊狐の混血であることはわかっているが、時雨は生まれて間もなく母親の手から離れてしまっていた。そんな生まれたばかりの時雨を預かり、育て上げたのが政彦の祖母。

 霊狐の血を引いたことで、人間の寿命からかけ離れた長い時を生きる女と化してしまった時雨。その寿命がいつ来るかは、誰にもわからない。時雨は養母である政彦の祖母に恩を感じ、ずっと一族お抱えの情報屋として関係を保ってきた。

 時雨は政彦の言葉に頷き、頭を下げる。


「当主様。どうか、この病の真相を白日の下に晒して下さいませ。女達が夢を売るかの地は、ある種の嫌悪の対象ともなりましょう。ですが、あそこに囚われ、春を売る皆は生きるために必死なのです。同じ女として、放ってはおけませぬ」


 懇願する時雨に、政彦は真剣な目を以て応じた。


「うむ。よかろう。時雨殿が守りたいと願う地を滅ぼす訳にはいかぬ」

「ありがとうございます。当主様」


 そこで、彰比古が口を挟んだ。


「しかし、おじい様。俺やおじい様では遊郭の深部まで調査するのは困難では? 客として通い始めたところで、流行り病のような都合の悪い話は楼主ろうしゅ殿らが隠蔽しているだろうし」

「策はある」


 政彦の瞳に厳格な術師としての色が帯びた。そして、パンと手を叩くと、隠形して控えていた紅姫が顕現する。


「主様」


 紅姫は彰比古に目もくれず、真っ直ぐに主を見据えていた。

 急に空気が冷えてきた。肌寒さすら感じる空気の中で、重い沈黙が辺りを包む。花札に興じていた頃に鳴いていた虫達も息を潜めてしまったようだ。

 紅姫の式神としての誇りに満ちた瞳を見て、彰比古は事態を察した。そして、さっと顔を強張らせる。

 嫌だ。止めてくれ、おじい様。何も言わないでくれ。それだけは。

 そんな言葉が口から飛び出しそうになるも、それを牽制するように政彦は彰比古を睨みつけた。


「黙っておれ、若輩者が」


 普段どれだけ反抗的な態度を取っていようと、政彦は自身の師であり、式神を志願した今では主ですらある。黙っていろと命じられてしまえば、何も口には出来なかった。


「主様」


 再び、紅姫が主を呼んだ。命じてくれ、と言うかのように。

 そして、政彦もそれに応じる。


「紅姫に命じる」


 彰比古が恐れていためいは抵抗虚しく下された。


「遊郭に潜入し、死病の原因を調査せよ」

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