終章 彼らは静かな森の中

第三十五話

 全身の打撲と創傷で、五樹は一週間の入院を余儀なくされた。退院する頃には消失事件は解決し、学校再開の日程が決定した旨が、高校のホームページに掲載されていた。

 消失事件から今回の深宿の騒動は全て、フリークスとカミガタ、斑鳩によるものとされた。消失事件に使用された才能の詳細についてを含め、真犯人である香椎の名前が、報道に出ることは無かった。

 香椎はこれから洗脳、そしていじめの被害者として、カウンセリングを受けていくという。

 消失に遭った人々は、香椎が才能を解除した途端、全員が元居た場所に現れたらしい。被害者は消されていた間の記憶の一切が無く、世間では神隠しだと騒ぎ立てられていた。

 伊依の死については、ライブを勝手に行った謝罪と共に、改めてLINALIAメンバーに伝えた。歌唱担当死亡の公表の次第は、実名を出さないという約束の上で、彼らの選択に委ねることにした。

 いつかはその死を公表することになるだろうけれど。それを熱りが冷めた後にするも今にするも、五樹が決めるべきではないと思ったから。伊依が信じていた仲間に託すことにした。

 フリークスを撃退し、消失事件の被害者を解放した英雄として、五樹は世間に讃えられた。猪戸コウの息子というところも大きいのだろう。新たな英雄の誕生と銘打って、連日連夜報道されている。

──伊依の歌、アトリエテラスの献身、香椎の苦しみ。そのどれもが、明るみに出ることは無く。

 全ては五樹一人の抵抗によるものとされ、深宿駅前で五樹がカミガタと争った目撃情報から、それは容易く信じられた。

 退院後、五樹は何度も花杜山へ向かった。けれど、アトリエテラスへたどり着くことはできなかった。

 まるで最初から無かったかのように。



 五樹は創生塾の一室で、酒葉と向かい合って座っている。金髪オールバックの厳つい彼の顔を見たのは、半月ぶり程だろうか。

 これから塾の上階にある会議室で記者会見を受け、管理局員である酒葉から感謝状を受け取る予定だ。形式的な物だから緊張するなと酒葉は言った。

 彼は五樹の入院中も度々見舞いに来てくれて、伊依のことは病室で時間をかけて話した。昼前に話し初めて、すっかり日が暮れる頃まで。

 そして今もまた浸るように、二人で彼女の話をしている。

「五樹は、悲しくないのか?」

 酒葉が問う。純粋な疑問として。

「悲しくない訳ない」

「そうだよな、ごめん」

「ううん、怒ってるわけじゃないよ。伊依に前を向けって言われたから、そうやって生きていきたいだけ。過去のことは大事だけど、前に進まないと。ずっと悲しんでは居られない。泣くのは誰も見てない時か、夜だけって決めたから」

 伊依の事を思い出すと、胸が痛くて苦しいけれど。泣きべそかいてばかりだと、彼女はきっと五樹を怒る。

 伊依は目の前に居ると言っていた。今も透明な幽霊になって、酒葉の上を浮かんでいるかも。だから格好悪いところは見せられない、それだけだ。

「はは。子供はすごいな、目を離した隙にどんどん大きくなっていく」

 悲痛そうに酒葉が顔を伏せる。

「才能、見つけたんだってな」

「うん」

「俺も、昔は才能が使えたんだ」

「え」

 彼がぽつりと呟いた言葉に驚いて顔をあげると、酒葉は普段の頼りがいのある爽やかな笑みではなく、気の弱い面持ちで苦笑いをしていた。

「昔から身体が弱くて、寝たきりになりがちでな。今回の事件前後も、検査の関係で入院してた。二年前も、そうだった。管理局の仕事を休んで入院してた時期があって──その時に、大解放が起きたんだ。待合室のテレビの速報で事件を知って、勝手に病院抜け出して駆けつけて、コウさんの死を看取った。それから、仲間の元に走ったよ」

「それで、どうなったの」

「四人死んだ。そのうち三人の死は、人づてで聞いた。一人だけ、遺体を見る機会があったけど──あの時の光景が、まだ忘れられない。霊安室に横たわってた仲間は、顔も身体も、ひでぇ火傷だらけで。あ、死んでるんだ、って一目でわかった」

 だから酒葉は、五樹がコウの遺体を見ないように、必死に目を隠したのか。五樹が同じ思いをせずに済むように。

「何もできなかった無力さで、ぶん殴られたみてぇな衝撃があって、そっからまた寝込んで──起きてから今日までずっと才能が使えない。精神的ショックがでかかったんだと思う、一種のスランプだな。仲間も助けられないで、何が才能だって自分を責めてたら、このザマだ。でもマ、こうして管理局所属のまま、雑務や調査に勤しんでる訳だけど」

 彼は誤魔化すように髪を掻いて笑う。五樹は同情するように目を伏せて、悼むべく問うた。

「その仲間って、どんな人だったの?」

「面白れぇ奴らだったよ。俺に世界を教えてくれた、陽気な先生みたいな奴。顔だけは良い厨二病と、子供みたいに感情が豊かな傲慢支配者、サバサバした単純馬鹿。当時の俺はだいぶひ弱な性格で、弄ばれてばっかだったけどな。楽しかったよ」

 ふと、彼の言葉を聞いて顔をあげる。聞いた特徴どれもに既視感があった。

 懐古して目を細める彼に五樹は、まさか、と大慌ててボディバッグを漁ってクロッキー帳を取り出して。

「もしかしてその人達って、こんな顔してた?」

 アトリエテラス三人衆の顔を見せる。

 酒葉は瞬きながら驚愕しつつ勢いよくクロッキー帳をつかみ、焼き付けるようにそれを見る。

「なんでお前が、こいつらのこと知って」

 絞り出すような震えた声に、五樹は安堵して胸を撫で下ろした。

「生きてるよ、羽深さんも哀川さんも加賀美さんも」

「そうか、そうなのか。皆、生きていたのか」

 噛みしめるように呟いて、彼はぱたりとクロッキー帳を机に置く。

「なんだよ、手紙ぐらい書けよ。でもそうか、生きてるのか」

 彼は涙で崩れた顔で、歪んだ、けれど心底嬉しそうに笑って。

「五樹、絵が上手くなったなぁ」

 五樹の頭を強く、優しく撫で付けて。

 彼らを殺さなくてよかったと、湧き上がるように思った。



 五樹はアトリエテラスとの出会いから今回の事件に至るまで、物事の経緯を全て彼に話した。

 大解放の本当の理由まで、余すところなく。

「マザーボード・リモートって今、どうなったの?」

 少しして落ち着いた彼に問う。酒葉は涙を拭いながら、記者会見のカメラ映りを気にして静かに鼻をかんでいた。

「火事の被害で一棟使えなくなりはしたが、それでも収容人数に余裕はあったからな。どうにかなってるらしい」

「それは良かった」

「そういえばあの日、牢獄内で暴動があったんだ。脱獄しようとした囚人と、それを抑えようとした囚人のな。囚人は才能の使用許可のタグなんて持ってねぇから、ひでぇ殴り合いだったらしい」

「火は、どうやって鎮火したの」

 中枢の絵画が焼けたことで世界は割れた。けれど亀裂が残っていなかった今、絵画の損傷は修復されたのだろうか。

「暴動の中、局員の一人が必死に鎮火作業をしていたらしい。弥の絵についた炎が消えたら、空間の穴も塞がったって。マザーボード・リモート全体の鎮火は、もっと時間がかかったみたいだけどな」

「局員の一人?」

「嗚呼、梶谷さんだ──いや、本当はカミガタだったんだってな。必死に消火作業して、そこに夜警が水持って駆けつけて、ようやく鎮火したらしい。そのときの梶谷さんが、どっち偽物だったかはわからないけどな」

「そっか」

 それがどちらだったのかは、収容所に戻ったカミガタだけが知っている。

 だがどちらでも良い。彼を含めた皆の功績の上に、五樹が居ることに変わりはない。

「ねぇ。酒葉さんに一つ、お願いがあるんだけど」



 報道陣が囲う中、酒葉から感謝状を受け取って、二人仲良くシャッターの明滅に晒される。次いで質疑応答が始まり、五樹は照れ臭そうに笑いながら、マイクの沢山ついた教壇の前へ立った。

「五樹くんは将来、何になりたいとかあるんですか?」

「実はまだ、将来の夢決まってないんです。小さい時だったら、ヒーローになりたいとか言えたんですけど。あ、今からでもなれますかね、ヒーロー」

 冗談を言えば、記者たちから笑いが起こる。この記者会見は生放送もされているらしい。全国の人が五樹を見ているのだ。

「でも今回の事件で色々なことを経験しまして、なりたいものが決まりました。記者さん、誰か紙とペン貸してくれませんか? できれば大きめの紙と太めのペンで」

 問いかければ最前列の記者が五樹に、大きなノートと太いマーカーを手渡してくれた。五樹は教壇にそれを乗せて、でかでかと主張する文字を書くと、自慢げな顔で報道陣の前に掲げる。

『アトリエテラス なんでも屋【検索】!』

「生放送をご覧の皆さん、地域密着型のなんでも屋です。才能関連の怪事件調査とか、地域のお悩み解消とか、なんでもやってます。相談事があったら、記載のアドレスにメールしてください。俺も、ここに居るんで!」

 会見場に苦笑とどよめきが広がる。それを無視して五樹は言葉を続ける。

「皆の悩みも苦しみも、俺が救ってみせるからさ。だから、俺に手伝わせてください」

 画面の向こうの人々──そしてアトリへテラスへ向けて。

「じゃ、今日はこれで!」

 と手を振って、五樹は走ってその部屋柄逃げ出した。生放送で勝手な宣伝なんて前代未聞だろう。今の五樹は英雄だから、笑って許してくれるはず。



「皆の頑張りを無下にして、俺だけが英雄って讃えられるのは納得がいかない。だからこの授与式を、逆に利用してやろうと思って」

 それが五樹の計画だ。記者会見でアトリエテラスの宣伝を行えば宣伝費はかからない。それにあの三人も会見を見てやると言っていたから、画面越しに喧嘩を売ってやるのだ。

「あの人たちは、自分は救われちゃいけないって鎖を巻いて生きてた。だから俺は、伝えなきゃいけないんだ。あんた達は救われても良い、あんた達に救われた人がいるんだって。それに何より、ムカつくんだよ! 皆の努力で掴んだ勝利を全部俺の手柄にして、英雄って讃えられるのが。誰かの手柄を横取りした、手放しの称賛なんていらない。俺は、自分の力で認められるようになりたい」

 哀川が人々を救い、加賀美が決断して、羽深が勇気を出して外に出て、カミガタが抗って、香椎が立ち向かって。

 伊依が歌ったから。

 五樹一人じゃできなかった。

 三人の抱えた罪を許し、その苦痛から救いたい。きっとそれができるのは、彼らの被害者であり英雄の息子たる自分だけ。

「酒葉さん。あの三人が面食らう顔、見てみたくね?」

 五樹が悪戯っぽく笑って手を差し出すと、彼は苦笑いで肩をすくめてから。

「おう。いっちょ、かましてやれ!」

 と、気合を入れるようにハイタッチをした。



 そこは、鬱蒼と茂る木々の中、林冠の合間にできた、静けさが満ちた空間。神秘性と退廃さの棲まう、別世界のような光景。

 ぽつんと建ったガレージ。錆びたトタン屋根、塗装の剥がれて蔦の張った壁の横についた、少しひしゃげた鉄扉。

 獣道を歩いて近寄ると、いきなりその扉が開け放たれて、見慣れた人物が裸足で駆け出してきた。

 五樹は涙を噛み殺した不格好な顔で、人影へ目一杯笑いかける。

「人手足りてる? 世界を救った英雄が、力貸してあげよっか」

「──」

「はは、らしくないじゃん。そんなこと言わないで、笑ってよ」

「──」

「全部、アトリエテラスのおかげなんだよ」

「───」

「俺を救ってくれて、ありがとうございました」

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アトリエテラスの救い方 こましろますく @oishiiringo

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